第一三六話 張角軍の秘策

 盧植ろしょく軍は城攻めを執拗に続けていた。一方、張角軍から脱走してきた賊曰く、病気が流行り、兵糧が尽きかけてきたと言っており、もはや敵は風前の灯火と思える状況だ。


 今日も盧植や劉備りゅうびは兵を率いて雲梯うんてい(梯子付きの台車)を用いることで賊を追い詰めていた。


 戦いが始まって数刻後、


「私も行くか……!」


 私は両手を組み、頭の上へと腕を伸ばす。少し前まで腕と足の自由が効かない状態だったので一応、様子を見てから出立することにしており、今からようやく参戦するところだ。


 バァァァァン‼


「!?」


 空に響き渡る稲妻のような音が耳に届いた。


 しかし、今日は快晴だ。


「一体何が」


 思案顔でぽつりと呟くと今度は違う音が耳に届く。


「う、ウワァァァァァ!」


「く、グワァァァァァ!」


 遠方から聞こえる雄叫び。盧植軍の声だ。


 私は矢筒を背負い、左腰に弓矢、後ろ越しに直刀をぶら下げるいつもの格好で駆け出す。


 まずは戦況を把握することが大事だ。


 私は盧植軍の後方部隊のさらに後ろに位置している雲梯うんていに飛び乗る。


「黄巾殺し!」


 雲梯を動かそうとしていた盧植の兵は私の登場に驚く。


「今の稲妻のような音は何ですか⁉」

 

 両手足を使って雲梯の梯子を登りながら兵に疑問をぶつける。


「囲んでいた城の門が幾つか同時に開いたらしいんだよ!」


「なるほど!」


 横にも何台か雲梯が並列して置いてあり、私と同じように戦場を確認しようとする者がちらほらといた。


「あれは……牛か!」


 私が前方に広がる光景に反応すると、


「牛だ!」


「あんなにたくさん城内にいたのか!」


 同じく雲梯の上に登っている兵達もおかしな光景に反応していた。


 なんと、数多の牛が広宗こうそう城から飛び出しており、その上に黄巾賊がしがみつくように乗っていたのだ。牛は盧植軍の兵を吹っ飛ばしたり、踏み倒したりしているため、誰も近づけない状態になっていた。


 広宗城の方を確認すると、南門、西門、東門が開いており、そこから黄巾賊がいきなり奇襲を仕掛けたとみた。


「もっと近づいて様子を確認しないと!」


 私は雲梯から飛び降りて、牛を確認するために再び駆け出す。


 盧植軍の後方部隊に近づくと、


「「「うああああああああ!」」」


 兵達は横へと飛び退いていた。


 私は不思議そうな面持ちで見ていると、


「うげっ!」


 兵達がいなくなった場所から数匹の牛が飛び出してきたのだ。


 足を滑らせて走るのを止め、


「やっばい……!!」


 横へと飛び込み前転。


 なんとか牛とぶつかることは無かったので一安心する。


「制限解除、知覚力の向上」


 私はさり気なく視覚認知能力の向上のみに神経を集中させる。前を通り過ぎる牛とその上に乗っている黄巾賊の姿が一瞬だけ、ゆっくり動いているように見える。


 乗っている黄巾賊は鎧もつけておらず、やせ細っているよく見かけるタイプの賊……と言ったら変だがなんら変わりのない賊だ。問題は牛だ。


「なるほど」


 数匹の牛は通り過ぎる。


 私はなぜ牛が黄巾賊を助けるように盧植軍の包囲網を突破した動きをしているかが分かった。


 まず、牛の角には刃が縛ってあり、誰も近づけない状態だ。加えて尾にはあし(イネ科の草)を縛り付けてあり、その草に火を付けていたので牛がたまらず走っていたというわけだ。


 今より昔――紀元前二七九年に行われた即墨そくぼくの戦いにて、斉という国の軍が今の張角軍と同じ戦術をとっていた。それにならったのだろう。えんという国に軍に囲まれたさいの軍が包囲網を突破するために、城中から一〇〇〇以上の牛を集めて今と同じことをして包囲網を解かせたのだ。厳密に言えば牛の上に人は乗ってなかったりしていたという細かい相違点はあるが。


 この戦術を『火牛の計』という。


「まさか張角ちょうかくが古の戦術を知っていたとは……」


 この場合、張角が提案した戦術とは限らないが、すぐにはこの奇策を止める方法も思いつかないし、今の私は指揮官という立場ではなく、戦場に参加しようとする一人の兵士なので思いついたところで兵を動かせない。ちなみに私の下にいた兵士は劉備に預けている状態だ。

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