第一六話 可愛いけど面倒な子だった

 山林の中。私は短剣で、襲い掛かってきた人影と鍔迫り合いになる。相手が持っている得物は長剣だと思われる。


 雲から太陽が顔を出し、辺り一帯は陽の光に照らされる。私達は互いの顔を認識すると、


「「子供⁉」」


 と言い合った。


 私に襲い掛かってきた人物は同い年ぐらいの女の子だった。襟足が長めのショートヘアで色白の肌に、小顔で瞳が大きく、中々可愛らしかった。


 こんな山中で一人の女の子がほっつき歩くわけがない。十中八九、私達が捜索している杏家の娘に違いない。


 私は安堵し、短剣を持っている手の力を緩めると、


「ぐぶっ!」


 なんと彼女は私の腹部を足裏で蹴ったのだ。


「な、何をするんですか!」


 私は腹部を押さえて抗議する。余りにも理不尽だ。私が何をしたっていうんだ。


「お前は何者なのだ?」


「ひぃ!」

 

 彼女は長剣を私の首にあてがった。


 こっっわ! 何この子! と、思っていると彼女は喋り出した。


「あたしは杏家の嫡女、杏英あんえい


 彼女の言葉で確実に行方不明だった豪族の長女である事が分かった。嫡女というのは正妻の子という意味だ。豪族に限らず、県の役人クラスでも複数人の妻がいる事は珍しくない。


 改めて考えると恐ろし過ぎる時代だ……このまま平民でいたら俺は取り残され、権力者達に好きな子を取られるに違いない。ぐぬぬっ!


 よく考えたら前世でもそうだったような……あれ? なんか目から雨が出てきたよ?


 私が涙目になっているのを見て杏英は言う。


「なんて情けない奴なのだ。男子の癖に泣くとは」


「ち、違うんです。ただ私……くっ! 理不尽なこの世界を嘆いていて……どうして私はモテないんだ‼」


「な……なんだこやつ……」


 彼女は剣を突きつけるのを止めて後退りしていた。ドン引きされてる。


 事態がややこしくなる前に自己紹介をしとくか。


「すみません…………取り乱しました……私の名は田豫でんよ。迷子になった君を捜索してました」


「ふーん」


「……それだけですか。もうちょっといい反応貰えると思ったんですが」


「あたしは迷子ではないのだ」


「もういいから、早く帰りましょう。雍奴県の兵士も君を探していますよ」


「獲物の一匹も狩れずに帰れるわけなかろう!」


 め……面倒くさっ! ややこしい事言いやがって。


「お前、あたしの事、面倒だと思ったのだろ? 顔に書いてある」


「思ってませんよ! 怠いなと、そう思っただけです」


「思ってるじゃないか! 愚弄しおって!」


 ついつい口が滑ってしまった。


 彼女と意味の無い口論を続けていると、私は背筋が凍った。何故なら、グルルルルッと唸り声が聞こえたからだ。


「! 獲物か!」


「馬鹿っ、声を出さないでください!」


 杏英は軽率にも声を上げたので咎めたが時すでに遅し、体長が二メートルある狼が現れた。顔仁がんじんと何度か狼を狩った事があるので唸り声で直ぐに動物を特定出来た。狼は北半球に広く分布している。そして私が居る幽州ゆうしゅうは今の中国の最北に位置するので狼は珍しくなかった。


 獰猛な動物は敵意がむき出しだったが襲い掛かってくる気配は無かった。


「獣一匹に何をそんなにビビっておるのだ?」


「……狼は群れで行動するのが基本です」


「……な!」


 流石の杏英も現状を把握したのだろう。狼は雌雄のペアを中心として群れを成している。一頭ならともかく、二頭以上出てこられたら厄介だ! 狼を狩った事があるといっても顔仁と一緒の馬に乗って矢で射た事があるだけだ。足で逃げたとしても狼に追いつかれてしまう!


 そして、姿は見えないが目の前に居る狼以外の唸り声が聞こえた。やばいっ!


 すると、杏英は私の服を摘まんで引っ張っていた。


「今、遊んでる場合では――」


「田豫……先程の無礼は謝る、から……助けてほしいのだ」


「‼」


 彼女は弱弱しく言った。命の危機を急速に感じたのだろう。確かに蹴られたり、剣を突きつけられたり散々だったが……幼気な女の子一人を見捨てるような私ではないっ‼


「最善は尽くします」


 そう言って私は頭を回転させ、今からすべき行動を考えた。今まで私が培ってきた戦闘技術、読み耽った兵法書を思い起こしていたのだ。

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