第七八話 きっとモテモテの未来が待ってんだ

 杏家あんけに協力してもらうための脅迫もとい交渉を終えた私は屋敷の外に出ようとしたが大広間を出ると廊下の曲がり角で杏英あんえいが顔を覗かせていた。 


「あの、杏英、そんなところで何を――」


 声をかけると杏英は顔を引っ込めて姿を消した。


 まさか、私と杏鳴あんめいとの会話を聞いて、高家こうけを陥れるために父親に利用されたことを知ってショックを受けているのでは⁉


 私は全力で廊下を走り、曲がり角に到達すると、


「あ、杏英! いたっ」


 普通に曲がり角の先に杏英が待っていたので、急ブレーキをかけようとして足をばたつかせるも、壁に側頭部を打ってしまった。


「何をそんなに焦っておるのだ」


「いや、ちょっと思うところがありまして」


 私は壁に打った側頭部をさする。


「思うところってなんだ」


「杏当主と私の会話を聞いて辛くなったのかなと思いまして」


「聞き耳は立てていたが、あんまり聞こえなかったのだ」


 杏英は壁に背を預けて腕を組む。どうやら部屋が広いおかげで会話は聞き取れなかったらしい。


「だけど、もうなんとなく事情は分かった。あたしを使ってのし上がろうとしたのだろう。父上のやりそうなことだ」


 杏鳴の性格を分かっているだけあって、利用されたことは気付いているらしい。


「田豫は父上を脅迫したんだろう。杏家の力を利用するために」


「脅迫だなんて人聞きが悪いですよ。話し合いの結果、杏鳴は快く私に忠誠を誓ってくれましたよ、あの様子だと私が挙兵するためにかなり尽力してくれると見ました」


「それを脅迫しておるというのだ。気が抜けて父上を呼び捨てにしてるあたり、もう下に見ているだろ」


「見てない見てない!」


 冷静に突っ込まれたので、懸命に首を横に振った。


「ふん……父上も哀れだな。若干、一四歳の子供に手玉に取られるとは」


 杏英は鼻で嘲笑あざわらっていた。


「君もどの目線でものを言ってるんですか。私と同い年でしょうに」


 杏英が歩きだしたので、私は彼女のあとを付いて行く。


「田豫、賢いお前なら分かるだろう。あたしはこれからどうなるんだ? 婚約の話がなくなった以上、父上からすればあたしの価値がなくなったと思うのだが」


 この親子の関係、あまりにもドライだ。さっぱりとしている。


 意外にも杏鳴は杏英に対して情があったので悪いようにはならないだろう。


「推測しかできませんが、今の反乱が落ち着くまでは婚約云々は何もないんじゃないんですか? そもそも安定した時代では嫁ぎ先の家の格が重視されますが、乱世では血統が問題外になるんですよ」


「ほう」


 杏英はこちらを振り向いたので私は足を止めた。なぜか興味深そうだ。


 後漢末から三国時代にかけての乱世では結婚は家柄より相手次第というケースがしばしば見られる。


「政略結婚が行われるとしても、台頭する群雄の一人となると思います。ただ、地方の一豪族が群雄に見向きされるかは分からないので将来有望そうな若者が相手になるかなと」


「ふーん、へぇ……」


 興味がありそうなわりには素っ気ない返事をされた。


 また、杏英がどこの馬の骨か分からないやつと婚約することを考えると気分が悪くなってきた。


「まぁ……それまでに杏家が無事かは分かりませんが、きっと今頃、各地で没落した豪族が山ほどいますからね。いつどうなるのやら」


 気を取り直して私は話を続けた。


「没落するぐらいなら、二、三人ってから自害するのだ」


 サラッと怖いこと言うな。その辺の官軍より誇り高いんですけど。


「挙兵するといったな、もしその、田豫が大物になれば、田豫に縁談の話がいくことになるのか……?」


 急によそよそしい態度になった杏英は髪を耳にかけていた。


 でもそうか、私がもし台頭するようなことになったら、


「そ、そうですねえ。あちらこちらから縁談の話しがやってきて、うへへ」


 もしかして、このままいけば結婚できる⁉ 前世で女性と触れ合うことすらなかった、この私が⁉


 思いっきりニヤけてしまう。


「もしかして、モテモテの未来が待っている……⁉」


「そう……ない」


 杏英が小声で何か言っている。


「なんか言いましたか?」


「そういうことを言ってんじゃない! この馬鹿!」


「ぐうぇ⁉」


 杏英は褚燕ちょえい並みの突進をしながら、体重を乗せたパンチを私の鳩尾みぞうちに食らわせていた。


 私はうずくまって胸を押さえた。


「……いい、パンチです」


 突然、不機嫌になった杏英の機嫌をとるために私は適当に褒めた。


 傷が癒えてないどころか、脳のリミッターを外したせいで全身、筋肉痛みたいな状態なので正直、辛い。


 杏英は背を向けて歩き出す。


「しばらく、魚陽ぎょよう県にはいるのか?」


「そう長くはいません。故郷に戻って兵を募ります」


 体が全快しなくても一週間以内には本格的に挙兵して、劉備軍と行動を共にするつもりだ。


 私は立ち上がり、杏英に近づく。


「死ぬなよ田豫」


「殺されそうになったら逃げるので死にませんよ」


「お前は面白いことをいうのだな」


 そう言って、杏英は振り向きながら笑ってくれた。

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