第三六話 私塾という選択

 九度目の春。つまり、西暦一七九年。私が九歳になる年だ。


 雍奴ようど県の近くにある丘陵きゅうりゅうにて。


穿うがて!」


 矢を弓につがえて放つ。近くには顔仁がんじんがいて、弓術を師事してもらっている最中だ。


「っ!」


 そして、ぐに左腰にぶら下げている矢筒やづつから矢を右手で取り出し、再度、矢を放つ。


 その間、最初に放った矢は真っすぐ飛んで行き、くいを打って木に固定させたまとのど真ん中に命中!


 更に二本目の矢は、先程放った矢の矢筈やはずに突き刺さる!


「いくら何でも出来過ぎ……」


 自分自身を感嘆していた。


 いつも上手くいくわけではないが。今の様に無風状態かつ二〇メートルの距離をとっても狙った場所を射貫いぬくことが出来る。


 ただ、歴史上に名を残している弓の名手達は恐ろしい逸話いつわばかり残しているので慢心まんしんしてはいられない、でも調子に乗りたい。


 だって私こと田豫でんよは、今年でようやく九歳。前世で言ってしまえば、小学三年から四年生。凄いとしか言えない。


 天才過ぎる、と思った矢先、


「この程度は出来てもらわないとな。次は的を縦に三つ並べで、連続で真ん中に当ててみてくれ。なるべく素早くだな」

 

 顔仁はハードな要求をしてきた。


「わ、分かりました」


「嫌そうだな」


「そんなことはないですよ、ははは」


 乾いた笑い声を出した私は二〇メートル先にある木に近寄り、杭を打って、的を二つ増やした。元々あった的は一番低い位置にあり、増やしたものはその上に並ぶようにした。


「的との距離はこれ以上伸ばさないから安心しろ。おめえの体はまだ出来上がっていない。無理に力を使ってもらうと骨が歪んじまって成長に影響が出るからな」


 と顔仁が言うが、個人的には少し距離を伸ばしてもらっても大丈夫だと思う。


 でも、彼が言いたいことは分かる。とにかく今は正確さと精度を高めるべし!


「ではいきます!」


 私は半身で弓を構えて、矢を番える。


 手先がブレないように全神経を集中し、的を見据える。


「ぬあっ!」


 矢を発射すると同時に思わず声を漏らしてしまう。放たれた矢は縦に三つ並んである的のうち一番低いものに向かって行き。そして直ぐに、増やした的に向けて下から順に二本目、三本目と矢を発射!

 

 的に矢が当たった音が三連続で響く。

 

「難しいですね」


「ふっ、そう簡単出来ても困るがな」


 私の言葉に鼻で笑う顔仁。彼の表情からして悪い感じではなさそうだ。


 放った矢はそれぞれ、三つの的には命中しているが手元を即座に動かしたせいで狙いがブレたのか、後から放った二本の矢は的の真ん中から大きくずれていた。


「知ってると思うが、手元が少しでもブレれば放たれた矢は狙った場所から大きくずれる」


「はい」


 私は粛々しゅくしゅくと頷く。


「力があればより遠く、より速い矢を放てるだろうが、弓矢を扱うのに大事なのは強い心と集中力だ。戦場で敵に矢を射るのなら一瞬で雑念を消し、集中力を高めて敵を狩らねばならない。そのうえで敵を倒しても周囲の警戒を怠たらないことだ、討ち取られては意味がないからな」


「はい」


 再び、私は頷いた。これはあれだ、いつもの顔仁の長いレクチャータイムが始まるに違いない。普通にありがたいから黙って聞いとくが。


 師の長い語りが始まりそうなので気を引き締めていると、


「おーーい!」


 誰かの声がする。この声はあいつだ、程全ていぜんに違いない。


「――ふぅ」


 丘陵を駆け上がって息をく程全。


「ランニング中ですか?」


「ちげぇよ! 田豫の家に寄ったら、ここにいるって聞いてな」


「今、修練中なので」


「時間はそんな取らないから、って、矢をこっちに向けんな‼」


 冗談で弓矢を程全に向けて構えてると、


「全く何やってんだ」


「ぐうぇ!」


 顔仁の拳骨げんこつが脳天に直撃。


「いてててっ」


 泣きそうになりながら私は殴られた頭を手で擦っていた。


「父さんから伝言でんごんってか、打診して欲しい話があるんだ」


「打診、一体何を?」


私塾しじゅくには通わないのかって話だ。今なら父さんが雍奴県にある私塾に推薦してくれるみたいなこと言ってたぜ」


 どうやら程全の父親は私塾――民間の教育機関――に入塾にゅうじゅくするのをすすめてくれてるらしい。また、私塾で教鞭きょうべんるのは学者、官職に就いている者や就いていた者だ。ゆえに人脈を広げる場でもある。

 

「一緒に通わないか。俺はもう入学することにしたから」


「んー、ちょっと考えさせて下さい」


 大変有難い話ではある。それにこの時代で学校に通えるのは資産があるほんの一握りの家庭だけだ。しかし、気が進まない。

  

 この時代の学問は国教とされている儒教じゅきょうを学問的側面から学ぶ儒学じゅがくが主体となっていて、それ以外の学問は重要視されていない。ただ、読み書きは学ぶだろうし、教鞭を執る者によっては算術や軍事的なことも教えてもらえるかも知れないが。


 すでに読み書きが出来る以上、今は私塾に時間を縛られるよりも伝手つてで書物を入手して儒学や兵法を学ぶ方が手っ取り早い。それに修練の時間を作りたいのもある。


「そっか、それと田豫の家に人がたくさん集まっていた気がする」


「なにそれ怖い」


「なんか馬が引いた荷車に金銀が積まれたあったような」


「もしかして!」


 高家こうけ杏家あんけが金銀を贈ってくれたに違いない!


「今日はありがとうございました! では!」


 私は顔仁に礼を告げ、すたこらと去って行った。


「相変わらず、現金な奴だ。田豫! 明日も同じ時間に来い!」


 後ろから、そんなことを言う顔仁の声が聞こえたので「はい!」と答えた。


 ――帰路の途中。私は贈られたであろうお金の使い道を考えていた。


 とりあえず、実家を城壁内に移すことを両親に勧めるか。いや……農地を買い取って両親を農民から経営者側の人間になってもらうことも出来るのではないか?


 そんなことを考えていると、立っている奥さん方が井戸端会議しているのが目に付いた。


「今年も、入塾希望者が多すぎて選別されるらしいわ」


「さすが盧植ろしょく先生のところね」


 盧植……その名前を聞いて私は足を止めた。文武の才を兼ね備えていて、儒教の教養を身に付けていることから儒将じゅしょうと呼ばれる人物だ。確かこの時期の盧植は官職を一時的に止めて故郷の幽州ゆうしゅう涿たく涿たく県で学びを開いてた気がする。確か、涿郡は今いる漁陽郡の二つ隣の郡だな。


 蜀国をおこした劉備りゅうびや群雄の一人として割拠した公孫瓚こうそんさんも盧植が主宰しゅさいした学び舎で学問を積んでいたといわれている。


 もし、その塾に通ったら今の劉備と会えるのだろうか?


 ただの興味本位だ。この段階で旗揚げしていない劉備と出会っても意味はないだろうし、本来の歴史より関係が悪化する恐れがある。

 

「だが……」

 

 私の知りうる限り田豫は劉備と共に義勇軍を結成したものの、年老いた両親を気にして故郷に戻った。最終的には魏国に仕えて、長い間、高い能力に見合わない官位を務めあげた。その生涯はあえて質素な生活を送り続けたという。


 しかし、私は違う。能力相応の地位が欲しいし、この世界をのし上がりたい!


 本来の田豫ほど無私無欲むしむよくではない。


 一早く、劉備と仲良くなることで将来的に彼が国を興すとき、良い地位も貰えるかもしれない!

 

 そして、劉備に会いたいだけという理屈では語れない感情がある。元を正せば私は三国志好きで蜀国に肩入れしている人間なのだから。

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