第一〇七話 次の一手を考えよう

 魚陽ぎょよう郡の泉州せんしゅう県から広陽こうよう郡のけい県まではかなり距離がある。具体的には分からないが二〇〇里(八〇キロ)程度はあるだろう。普通に軍を率いて行軍すれば一週間近くはかかる距離だ。


 だが少数の騎兵による疾走なら一日はかからない。もちろん、馬は永久的に走れるわけではないので時折、休息は必要だ。また、義勇軍の騎兵は武装を固めた重騎兵ではなく軽騎兵に該当するのでより移動速度が速い。


 さらに騎兵のみの軍の良いところは一人一人が食料を持ち歩けるということだ。これは馬上で生活する異民族特有の兵站へいたん術だ。彼らを真似て私は皆に馬乳、干し肉等の発酵食品を持たせている。


 迅速に薊県には辿り着くだろうが、問題はその後だ。


 仮に背後から敵を奇襲出来たとしても二万人の軍相手に三二〇名で突っ込めば徒労に終わる可能性がある。


「雨が降ってきちゃったな」


 馬で疾走している呼銀こぎんは空を見上げる。ぽつぽつと雨が降り出していた。


田兄でんにい、川から離れよ。増水するかもしれない」


 呼雪こせつは私に注意を促してくれる。


 薊県の南にも渤海ぼっかいという海域に繋がる川があるので私は川に沿って軍を率いていたが、呼雪に従い、街道へと戻った。


 夜が更けて夜が明ける。出立当初は雑談をしていたが、移動しっぱなしなせいか体力を温存するために皆、口をつぐんでいた。


 馬が一日で移動できる限界の距離に到達した頃。再び夜が訪れた。


 雨は豪雨と化していた。私達はなるべく濡れないように途中、てい(宿舎)やきょう(集落)に寄り、かさを買って被っている。


「ようやく着いたなあ‼」


 急にでかい声を出す閻柔えんじゅう。彼の声がでかいのはいつものことだが。


「うるさ」「静かにしろ」「眠気覚めたわ」


 彼は義勇兵達に突っ込まれていた。


「しかし、状況は芳しくないようです」


 私は馬から降りて小高い丘の上から目を凝らす。薊県の県城けんじょうを確認していた。距離は僅か五里(二キロ)先、そこで黄巾賊の大軍が薊県の南門を前に陣取っているようだ。


劉備りゅうび殿らは籠城してるみたいだな!」


 いつの間にか右隣に閻柔が立っていた。


「ってことは、救援に行った官軍と義勇軍を合わせても薊県の軍勢は黄巾賊より少ないってことだろうな」


 左隣には呼銀がいた。


「もしくは野戦で負けて県城内に撤退した後かもしれません」


 私は呼銀の言葉に推測を付け加えた。だが、この際、今からどうするかだ。


 とりあえず、指示を下そう。一先ず、状況を見極める必要がある。


 今は戦っている様子はない、雨のせいか?


「幸い、私達は豪雨のおかげでこの距離でも黄巾賊に気取られていません。動きがあるまでここで待ちましょう」


 私は戦いを静観することにした。


 それから数刻後、深夜帯といったところだろうか、既に雨は止んでいた。


 ちなみに今に至るまで相手の陣容を確認していた。大方だいほう(黄巾賊の役職)が率いているだけあって兵法書通りの陣形だった。敷いている陣は『方陣ほうじん』と呼ばれるものであり、各陣を正方形にすることで自由自在に兵士を動かすことができる基本の陣だ。


 今、私は馬の上で首をカクンと落として、眠りそうになっていたのだが、


「し、城から兵士がでぇました!」


 南匈奴族の女性の声で眠気が吹っ飛ぶ。


 目を覚ました私は急いで元いた小高い丘へと向かった。


「……遠すぎて分かりかねますが……あの動き、劉備りゅうび殿ですね」


 県城から飛び出した軍は敵の陣を一つ潰すと颯爽と帰っていった。あの手際のいい急襲と見事な去り際は劉備のお得意な戦術だ。この一ケ月であの動きは幾度となく見てきた。それに彼の元には名立たる武将となる男達がいる。撤退前提ならば陣を一つ潰すことは容易いのだろう。


 陣を潰すことができれば敵の兵を減らせるうえに籠城している者達の士気を保たせることができる。


 しかしジリ貧だ。県城内の食糧が尽きたり、疫病が流行り出してしまえば全滅してしまう。


 私が何か手を打つべきなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る