第五七話 脳破壊はNGで

 ――――首が痛い。


「ぐえぇ……」


 何故なら、茶化して切れた杏英あんえいにチョークスリーパーされているからだ。しかも、高家の――人の庭で。


 意識が落ちるほどではないが苦しさはある。


 丁度、そのとき、


「なんだか楽しそうだね」


 のほほんとした玲華れいかがやってきた。私は言外に助けてくれと伝えるために、両腕を伸ばす。


「ん? なぁに?」


 玲華れいかは小首を傾げながら、私の両手に手のひらを重ねる。


 違う! そんなことがしたいんじゃない!


「随分と余裕だな」


 耳元が凍えるような冷たい声を出す杏英。私の首を絞めている腕に力が加わっている気もしなくもない。振りほどこうと思えば、幾らでもやりようはある。後頭部で頭突きしたり、力任せに体を丸めて背負い投げするなど。もちろん、そんなことはしないので平和的な方法を採る。


 私は後ろ手で杏英の両脇をくすぐり始めた。


「や、やめ、あははははっ――」


 ――杏英は身をよじらせて吹き出す。私の首を絞める力もどんどん弱まっていき、


「っ、あんっ」


 艶っぽい声を出して、腕を離していた。


 なんだ今の。


 私は後ろを振り返ると、ぜぇーはぁー、と息を切らし、頬を赤く染めた杏英がしゃがんでいた。


「あんって何ですか」


「うるさいのだ! 変態!」


 なんだこいつ、もしかして、


「くすぐられフェチかよ」


 ついぶっきらぼうな口調で突っ込んでしまった。


「くすぐられフェチ?」


 私達のやりとりを傍観していた玲華がオウム返しで尋ねてくる。


「えーっと、どうやって説明すればいいんでしょう。まぁ、そういう癖ですよ。変態です」


「わー、杏ちゃん……変なの」


 玲華はあらまぁ、と言わんばかりに口を両手で覆い、杏英は抗議の目を私に向けてくる。


「お前、会う度にあたしに遠慮がなくなってるな。昔、高家の外食産業を再興させたのがお前だってこと父上に伝えても――」


「すいませんでした!」


 相手の言葉を遮り、頭を地面に擦りつけて土下座。これがジャパニーズ流の誠意だ。見ててくれ杏英。


 顔を上げると困惑した顔の杏英がいた。


「そもそも、なんで喧嘩してたの?」


 玲華は杏英に疑問を尋ねる、なぜか平謝りしている私の背中に乗って。


 杏英は何をしてくるか予測しやすいが、玲華は予測不可能だ。ある意味、たちが悪い。


「こいつが――」


 杏英は玲華に事情を説明し始める。


「つまり……野生児とか、婚約相手に返却される? とか言われて怒っちゃったんだね」


「あれはですね、婚約を嫌がる杏英が湿っぽい空気を出してくるから私は場を茶化そうとしたんですよ。あと、どいてください」


 誤解を解きつつ、私の背に座っている玲華を立たせるよう促す。玲華は素直に従ってくれた。


「言い訳か」


 私が立ち上がると、杏英がそんなことを言うので首を何度も横に振る。


「まぁいい、今回の狼藉許してやるのだ」


 何様⁉


「田豫君は、杏ちゃんが結婚したら嫌なの?」


「ん~、そうですね……」


 玲華の言葉に対して言い淀んでしまう、チラッと杏英を見るとなんとも言えない顔をしている。


 想像してみる、どこぞの馬の骨とも知れない豪族のおじさんと結婚する杏英を、おじさんに関しては人のこと言えないかもしれないが。


 …………杏英は遠慮がないやつで手が出る性格だが、本気で相手を傷つけようとは思ってない。さっき、私の直刀こそ持って追いかけてきたが、もちろん持ってただけだ……脅して振ってきてたりもしてたが。なにより内面が優しい子なのは知っている。そんな子が? 知りもしないやつと結婚?


「――――脳が壊れちまうわ‼」


「「うわっ⁉」」


 両手で頭を抱えて叫ぶと二人は驚く。


「おほん、おほん、すみません取り乱しました」


 咳払いをし、気を取り直す。


「お前はなんで、そう奇行に走るのだ……」


 呆れ声を出す杏英。


 ちなみに、ぼそりと玲華が小声で「あ、嫌なんだ……」と、言ったのを聞き逃さなかった。


「ちなみに今、杏ちゃんの婚約相手の家族が来てるんだよ。わたし、どの部屋にいるか知ってるよ」


「よし、こっそり見に行きましょう。なにか良からぬことを話してたらすぐに杏当主に伝えましょう」


 そして、悪評を広げよう。


「うん、行こ~」


 乗り気な玲華は私を案内するように前を歩き屋敷の方へ向かっていく。


「ちょっと待つのだ」


 後ろから杏英が慌てて追ってくる。歩いてると玲華が私と足並みを揃える。


「ちなみにその家族は潁川郡えいせんぐんの人なんだよ」


「遥々遠くから来ていますね」


 都である洛陽らくように近く、太平道たいへいどうの信徒――黄巾賊こうきんぞくの主力が集まっている潁川郡。


 何故、黄巾賊の主力が集っているかというと、潁川郡は多くの知識人の出身地であり、そんな知識人の中には国に迫害された者や漢王朝に見切りをつけて政治に無関心になった者がおり、太平道をひとつの拠りどころとしていた。また、洛陽と近いこともあって国家転覆が謀りやすく密かに黄巾賊が集まっている。


 黄巾の乱は一見、宗教を背景とする農民の反乱にも思えるが実際は根が深いものなのだ。


 にしても……杏英の相手が潁川郡の名家なのか。黄巾の乱が起こるかもしれないこのタイミングで幽州ゆうしゅうにやってくるとは。


 ――もう、嫌な予感しかしない。家族ぐるみで太平道に鞍替えして黄巾賊に与するやつらなんて、山ほど湧いてくるのだから。


「どおしたの? 怖い顔して」


 横にいる玲華に話しかけられてハッと我に返る。


「色んなことを考えてたんですよ」


「ふぅん……ちなみに一つ聞いていいかな」


 顔を覗き込んでくる玲華。私は「いいですよ」と答える。


「田豫君は私が結婚するのは嫌だと思ってくれるかな?」


「もちろんですよ。今考えるだけで無理無理無理」


 急に可愛いことを聞かれたので、私はつい早口で即答した。


「えへへ~」


「おい! なんで玲華のときはすぐ返事してるんだ!」


「背中を小突かないでください」


 笑顔の玲華、怒気を放つ杏英。


 随分、二人と仲良くなったもんだ。


 それから、私達は高家の屋敷の中に入った。怪しさ満載の潁川郡の人達は一階の端にある部屋にいるらしい。


 弓と矢は泊まる予定の部屋に置いてあるので、とりあえずは、後腰にある直刀をいつでも抜けるよう気を張り詰めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る