第五八話 バタフライ・エフェクトが起きたのか?

 杏英の婚約相手が泊まっている部屋の前に来た私はふすま越しに話し声が聞こえたので聞き耳を立てようとする。


「何を言っているのか聞こえませんね。奴らの悪事を暴かないとならないのにっ」


 幼気いたいけな少女を救う使命感に駆られた私はキリキリと歯軋りをする。


「お前はこいつらになんの恨みがあるのだ……」


 隣にいる杏英あんえいが怪訝そうな顔をしていた。


「こっちこっち」


 すると、二つ隣の部屋を開けた玲華が手招きをする。


 私と杏英は顔を見合わせて、疑問符を浮かべるが、とりあえず玲華に着いて行くことにした。


 部屋に入ると、そこは一五畳の空き室で誰もいなかったが、


「えいっ」


 部屋の奥に入った玲華は可愛らしいかけ声を出しつつ、先が湾曲した青銅製の棒を天井に生えている謎の取っ手に引っかけた。そして、棒を引き下ろすと木が軋む音と共に、天井から階段が現れた。


「これ、なんのための階段ですか?」


 天井裏に繋がっているであろう階段を指差して尋ねる。


「なにかあったときに隠れるための場所なんだよ」


 そう言って、玲華は杏英に顔を向け、


「杏家が高家の財産を欲しさに襲ってくるかもしれないもんね」


 いきなり杏英を挑発し始めた。


「今すぐ、攻めてやろうか?」


 挑発に乗り、静かに宣戦する杏英。


 私の見えないところでやり合ってくれ、気まずくて仕方ない。不穏な雰囲気を漂わせる二人の間を通って天井裏に繋がる階段を上る。


 天井裏に入った私は這いつくばりながら、潁川えいせん郡から来た一家とやらがいる部屋の真上まで移動する。薄暗く視界が不良だが、二つ隣の部屋なので迷うことは無い。天井裏は立ち上がることはできないが、あぐらをかいて座れるぐらいの高さがあった。


 もちろん、杏英と玲華も後ろから着いてきていた。


(ここ)


 玲華がとある場所を指差して小声を出していたので、頭を寄せて指差した部分を見るとキリで開けたような小さい穴があった。


 杏英も私に続き、全員、這いつくばって、小さい穴を見るために頭を寄せ合うという端から見れば異様と思われることをしていた。


(どんな連中なのだ)


 杏英が早速、穴を覗く。


(早く交代してください)


(せかしおって、辛抱しろ)


 たしなめられてしまった。


(若い奴が二人、爺さんが一人いるのな。ほら田豫いいぞ)


 杏英が穴を覗くのをやめて代わってくれようとした、そのとき――――


「こんな簡単に潜り込めるとはな」


「あと少しすれば、この県城は落ちる」


「手筈通り人質を取ればいいんですよね」


 ――――不穏な言葉が耳に届く。ただごとではない。


 私は眉をひそめる。また、玲華は口を手に当て、杏英は目を見開いていた。


 二人も明らかに下にいる人達を警戒している。


 賊が跋扈ばっこし、子供ですら地面に転がっている死体を見慣れている時代だ。今の会話を聞いて、危機感が募らない人などいない。余ほどの能天気である場合は別だが。


 私は鼻に人差し指を当て、静かにするようにと二人に伝えてから、穴を覗く。


(案の定じゃないか)


 私は思わず、小声で呟く。


 若い男二人と年老いているが背筋がピンと伸びている老人は黄色の頭巾を被っていた。


 間違いない黄巾賊だ……だが、おかしい。


 太平道たいへいどうの信徒――教主である張角ちょうかくが開いた宗教の信徒――は、みな黄色の頭巾を被っていたらしいが、それは反乱を起こしてからだ。しかし、すでに反乱が起きたという話は聞いていない、局所的に起きているのか? だとしても不自然だ。本来の歴史なら二月に黄巾の乱が勃発する。一ケ月も早いことになる。


 違和感を覚えながら下にいる三人の話しに耳を傾ける。


「あと数刻もすれば北門への攻撃が始まる」


 老人が厳かに喋る。


 数刻……今の中国だと一刻は一五分なので、一時間ぐらいか?


「高家は今や郡レベルの豪族ですが、妻子を人質にして動きを抑えれば魚陽ぎょようは落ちますよ」


「今の官軍は腑抜ふぬけていますからね。相手にはならんでしょう」


 若者二人は自信満々に話していた。


 要約すると、玲華らを人質にして豪族の動きを抑えつつ、外から仲間たちに魚陽を攻撃させるってところだろうか。目的はなんとなく分かった。


 杏家あんけと婚約の契りを交わしたのは今日の為なのかもしれない。杏家側の思惑は勢力拡大だろうが、こいつらが杏英を迎え入れるメリットは今日、決起するためでもあり、今後この地域で人脈を広げる足掛かりにするためだろう。それ意外の思惑があるとすれば、三人の中にいる婚約相手が杏英のことを気に入ってたからか? 


 ただのロリコンかな。いや、この時代の豪族は一五歳になった娘を二〇歳を越えた男に嫁がせるのが普通だから、疑問視する点でもないのか。私の考えが新しすぎた。


 顔を上げると、杏英が私の肩を乱暴に揺さぶってきた。決死の表情をしている。早くなんとかしなければと思っているのだろう。私も同じ気持ちだ、それに混乱していることもある。


「――――上に鼠がいるな」


 ――――老人の声‼ まさか、ここにいるのがバレたのか⁉


 私はもう一度、穴を覗くと――


「なっ!」


 ――穴の向こうから剣の切っ先が伸びてくるではないか。


「くそ!」


「きゃあ!」「わっ!」


 顔を穴から離すと同時に、天井を越えて剣の先が突き出され、他の二人は驚嘆の声を上げていた。


「早く元の部屋に戻りましょう! 串刺しにされますよ!」


 虚を突かれて唖然とした二人に向かって大声を出す。


 杏英と玲華は無言で私の言葉に従い、急いで元の部屋に戻る。


 彼女らの後を追いながら混乱した頭を整理しよう。


 今まさに反乱が起きようとしている。しかも、信徒を内部に侵入させる用意周到さ。組織化されているであろう、この動き、まさに黄巾賊だ。こんなことが各地で同時に起こるというのか。


 全国が混乱に陥るわけだ。


 にしたって早すぎる。挙兵する暇もないとは思わなかった。かつて読んだ歴史書が間違っていたのか? それとも、私が本来の田豫とは違う動きをしたせいか?


 過去の些末な変化が未来に大きな変化をもたらしてしまう――バタフライ・エフェクトが起きているのかもしれない。

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