第五五話 余計なことを吹き込んでしまった

 私は目の前に座っている杏家あんけの当主――杏鳴あんめいに対して拱手きょうしゅを行う。


「おお~! 田豫でんよ、先ほどの騎射は見事である! おっほっほ!」


っ! ……お、お褒めに預かり光栄です」


 杏鳴は立ち上がって私の肩を何度も力強く叩く。


 彼なりに褒めているのだろうか? 止めてほしい。


高家こうけのお嬢さんもお綺麗になりましたな」


「ふふ、ありがとございます」


 杏鳴は玲華れいかの容姿を褒めだした。


 なんだこいつセクハラか?


田君でんくん、娘の相手をしてくれてありがとう」


「母上! 別に相手してもらってないのだ、相手してあげてるのが正しいからな」


 杏鳴の隣にいる張夫人ちょうふじんの言葉を否定する杏英。


「杏英の言う通りです。私の話し相手になってくれるので助かっています」


 ここぞとばかりに謙遜してみた。

 

「田君はいい子ね。そうだわ、とぎ汁を小瓶で持ち歩くことを教えてもらったおかげで、ずっと手を清潔にできるから助かってるわ」


「それは良かったです。でも張夫人はその……元々、肌が綺麗ですよ」


「お上手ね。そう言ってもらえると嬉しいわ」


 私は緊張しながら言いたいことを言うと、張夫人は微笑んでくれる。


 美しい人だ。


「お世辞とかではなく本当に綺麗だと思っ、ぐえっ!」


 突如、脳天に強い衝撃が加わる。


 杏英が手刀を食らわせてきたようだ。


「何をするんですか」


「よく分からないがよこしまな感じがしたのだ」


 前にもこんなやり取りがあった気がする。


 しかし今の私にはこんな理不尽なことをしてくる理由がわかる!


「ふっ、もしかして嫉妬してるんですか?」


 私は得意げに言う。


「は?? 何を言っておるのだ?」


 私が期待してた反応と違う⁉


 「そ、そんなんじゃないのだ‼ 別に田豫のことなんか!」と、慌てふためくと思ったのに、おかしい。


「こらこら、えいよ、婚約前の娘が人の頭を叩いてはいけないぞ」


「むぅ」


 父親にたしなめられる杏英。


「婚約前か……わたしもそろそろかな。どんな人と結婚するんだろ」


 玲華はそわそわしながらそんなことを言う。


「あの玲華、身近に気になる人とかいません? こんな人と結婚したいとか……」


「え? どーいうこと? 別にいないんだよ」


 あれ⁉ これも私が期待してた反応と違うんだが。


 「えっと……田豫君とか、なんてね」とか言うと思った。


 本当におかしい、モテ期きてなかった説が浮上してきた。


 なんだかテンションが下がったし、移動しよう。


「では杏当主と張夫人、私はこれで失礼します」


「うむ」


 その場を離れ、天を仰ぎながら歩く。


「うーむ」


 悩みながら歩いていると、杏英と玲華が私を追いかけて口を開く。


「どうしたの? 田豫君」


「何か悩みか?」


「あ、いえいえ別に大丈夫ですよ」


 いらぬ心配をかけてしまった。


 モテてるのかモテてないのかというアホみたいな悩みを打ち解けるわけにはいかない。


「そういえば杏英は婚約する相手のことは好きなんですか?」


「なぜ会っていない人間を好きになるのだ」


「え⁉︎ 会ってないんですね。結婚って恋してするのが理想的だと思ったので親が決めたこととはいえ、婚約前からその人を気に入ってるのかなと思いまして」


「「恋??」」


 杏英と玲華は首をひねる。


「そうか……」


 私は小声で呟く。

 

 当たり前のことだが長年、未来の日本で生きてきたので恋をして結婚するという価値観がある。私には無縁だったが。


 それはともかく、古代中国では未婚男女のあいだの交際を基本的には認めず、婚前の感情は抑圧される仕組みになっている。これは儒学の倫理に基づいたものだ。そのため、男女にとって結婚は媒酌人ばいしゃくにん斡旋あっせんか父母の取り決めという道しか残っていない。


 つまり婚前に恋を抱くことはあれど恋をしているということを理解できていない。この時代の好きという言葉には人として好きという意味と恋をしているという未知の概念が混在しているのかもしれない。


「なに一人で分かった気になっておるのだ」


「ねぇ、恋して結婚するってどいういうこと~?」


「えーっと」

 

 せ、説明が面倒臭い!


 というか恋愛経験皆無な私にそんなことかないでほしい。


「そ、そんなに見つめられても……」


 杏英と玲華はこちらを見て私の言葉を待っていた。


 仕方ない、はぐらかせばはぐらかすほど質問攻めされそうなので私なりの言葉で説明するとしよう。


「少し私の考え方が特殊なのかもしれませんが聞いてください、まず――」


 私は今の時代背景を交えて持ちうる価値観を説明した。


 異民族と近しい地域では婚前の男女が歌垣うたがき(共同飲食をしながら歌を掛け合うこと)を通じて交際をし恋をするという風習があることを。また私が理想的と言ったのは一度も対面したことのない者同士と結婚することよりも、品行や学問の程度を互いに理解したり、気心を知れた方が互いに親しくなり尊敬しあう夫婦になれるという意味であることを。


「はぇ~」


 話し続けている中、玲華は素っ頓狂な声出す。


 二人の少女は話に聞き入っていた、やっぱり女の子だから恋バナが好きなのかもしれない。


「それに、子供のことを考えたらより親しい夫婦の方が家庭環境が良くなると思いますし」


「そーいえば、子供ってどうやってできるの?」


「ぶっ⁉︎」


 玲華の発言に吹き出しそうになった。


「そんな笑うことなの? 杏ちゃんは知ってる?」


「ううん、でも嫁入りするときに貰う本に書いてあるらしいのだ」


「本?」


「知らないのか田豫。皆、嫁入り道具に子供の作り方が書いてある本を貰うのだ」


「えぇ……なにその風習」


 軽くびっくりした。


 いやでもそうか交際することないから、そんなことになるんだ。 


「で、子供はどこからくるんだ?」


「は⁉⁉ いやいや‼ それはちょっと」


「教えてよ~」


「玲華まで何を言ってるんですか」


 彼女たちは自由恋愛があるという話で胸を高鳴らせたのだろう。


 しかしこれはそんなワクワクするような話ではない。


「「…………」」


 無言の重圧。


 はぐらかせばはぐらかすほど、面倒なことになるのだろう。


 しかし、さすがに。


「おい、早く言え」


たたっ! 地味に痛い!」


 杏英が軽く頬をつねってきたので私はすぐに喋った。


 ――そして数分後。


「あわわ」


 動揺しながら顔を紅潮させる玲華。


「……顔がなんか熱い」


 赤らめた頬に手を当てる杏英。


 ほらね、口で言うには刺激が強すぎる話だったんだよ。


「確かに田豫の言う通りなのだ」


「へ?」


「今まで考えたことは無かったが、気心が知れた者同士で結婚するべきだな」


「わたしもそう思うんだよ」


「それだと儒学に反することになりますが」


 話が変な方向に進んだ。


 これは私が新しい概念を植え付けたせいだ。若いこともあって、すぐに新しいことに影響される。


「お前が言い出したんだぞ。それに見ず知らずの人とお前がいま言ったことをするのは嫌な気がするのだ。父上に婚約を拒否することを言っててくる」


「そ、それはまずいですって! いやもう行ってるし!」


 杏英は走り去っていった。


 古代中国では父母が取り決めた婚約を拒否することはタブーだ。親不孝ともいえる。


 それに私が杏英の考えを変えてしまったことがバレるとなんて文句を言われるか分からない! 追いかけなければ!


「婚約は決まってないけど、私も父様とうさまに拒否することを伝えに行くんだよ」


「そんなことをしたら怒られま、もう行ってるし!」


 玲華は杏英とは反対方向に走り去っていった。

 

「やっちゃった。もう駄目だ」


 私は地面に手をついて項垂れた。


 迂闊うかつなことをしてしまった。違う世界を知らなければ、幸も不幸もない。自由恋愛の良さを説いてしまったことで新しい世界を知り、現状を苦しいと感じてしまったのだ。


 さすがに親子の間に溝ができるほど喧嘩はしないと思うが、一悶着ひともんちゃくはあるだろう。


 ほんと余計なこと言っちゃったよ。

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