第八話 私がいた時代とこの時代の違い

 後日、私は程全ていぜんの父親から弓使いの武人の名前を聞いた。姓は顔、名は仁で顔仁がんじんという名前である。顔仁は雍奴ようど県の県尉けんいという官職に就いている。県尉は県の軍事行政を司る、いわゆる県の警察長官といった所だ。


 冬の間、私は程全の家に寄るのが日課となっていた。程全に呼ばれているというより、程全の父親が私を偉く気にいっているようだ。これはもう大人になったら確実に良い役職をもらえるぞ! やった! と思いたいところだが黄巾の乱が起きる事を考えれば、この国はどこもかしこも戦火に巻き込まれ、雍奴県は将来どうなるか分からない。


 つまり、大人になるまでという悠長な事は言ってられない。直ぐにでも名を轟かせなければいけないが、まだ私は六歳だ。良い所まで来たが年齢という壁で手詰まりを感じていた。


 せめて武力を上げる為に顔仁から弓術を教えてもらいたいと思ってた矢先、


「あ……この音はもしや!」


 中庭から矢が放たれた音が聞こえたのであった。私は直ぐに中庭に向かった。


「顔仁殿! いらしてたんですね!」


「……」


 顔仁はむっとした顔になったので私は失礼を働いていた事に気付いた。

 

「あ、すみません礼儀を欠きました! 顔県尉、お邪魔しています!」


「間違いは誰にでもある。責める気はないから安心しろ」


「ありがとうございます」

 

 私はうっかりしていた。本人が居ないところで姓と名を組み合わせて顔仁と呼ぶのはともかく目下である私が軽々しく呼ぶのは大変失礼に当たるのだ。何故なら名はいみなとも呼ばれており、これは中国等の東アジアで見られる文化で諱は主君や親等の目上の人達以外が呼ぶのは非礼と考えられているからである。ただ、目上の人でも敵同士とか嫌いな相手とかにはわざわざ気を使う必要ない所かな? と私は思っている。


 なので私のような目下の者が呼ぶとしたら姓と官職を組み合わせるのが正しいだろう。親しい者同士ならあざなで呼んだり、姓と字を組み合わせたりしている。字は元服したらつけられる名前で今の私にはない。ちなみに顔仁の字は景起けいき劉備りゅうびの字は玄徳げんとくなので親しい人は字のみか顔景起や劉玄徳と呼んでいるという事である。


 とにかく私は意を決して弟子入りを申し込もうとした。


「顔県尉お願いがあります」


「無理」


 えええええええ! 何も言ってないのに二文字で断って来たぞこいつ! いや、こいつとか思ったら駄目だ。私よ、冷静になれ。


「なら、見て覚えます」


「……むむむ」


 なにがむむむだ。


 顔仁はなんと体を反転させて矢を放とうとした。私に弓を引くところを見せないつもりだ。というか、背中を向けると的とは逆方向に矢が飛ぶことになるんだが……と思った私は浅はかであった。


「え⁉ まさか!」


 私は驚いた。右手で弓を引いてたはずなのに左手に持ち替えていたのである。つまり私に体正面を向けていた時と同じ方向に矢を放つ事ができるのである。


「両方の手で弓が引けるんですね」


「戦場では何が起こるか分からないからな、両方使えた方が便利かなと思ってな」


「へぇ~、勉強なります」


「ちっ、余計な事言っちまったか」


 というかこれほどの実力者が何故、三国時代には無名だったのだろうか? という私の疑問は程全の声でかき消されていた。


「おい! 田豫、勝負しようぜ!」


 彼は木剣を二本持ってきた。


「程全、こういうのは師範を付けて教えてもらって下さい。変な癖が付きますよ」


「戦場でそんな事、気にしてたら死んでしまうぞ。臨機応変に対応しなきゃ駄目だろ」


 ……一理ある。まさか彼の言葉に納得する日が来るとは。


 私と程全は五合打ち合うと、木剣同士を押し付け合う形になった。力では彼には適わない。なので私は力抜いた。


「うわっ!」


 程全は前のめりに転けそうになった。片足でぴょんぴょんと跳んで転けそうになるのを耐えていたので木剣を背中に打ち付け一本を取った。我ながら汚い、こんな勝ち方でいいのか、いやいいんだ、勝てば官軍。滅茶苦茶喜ぼう。


「よしっ! 私の勝ちだぁぁあ!」


「まさか俺が負けるなんて…………」


 程全は落ち込んでいた。少し可哀想だったので、


「もう一回勝負しましょう」


 と持ち掛けた。彼の機嫌を治す為に次は接待プレイをしようとしていた私だったが、


「もうお終いだ! 俺はもう駄目なんだ! うわあああ!」


 程全は奇声を上げながら家の中に戻っていった。


 メンタル弱っ。とりあえず、顔仁の弓を引く動作を観察してみるか。


顔仁は弓を握った手を真っすぐ前に突き出し、弦を胸の前まで引いて矢は放つ! すると見事に的の真ん中に矢が命中していた。見よう見真似で私は弓を引く動作を続けた。


 弓道で使われる弓と比べたら顔仁の持っている弓は大きくない。弓の全長は四尺程。つまり一二〇センチ超であるが矢は鋭く空気を裂き、大きな音を立てて的に当たっていた。


 更に彼は弦を胸の前ではなく、肩の辺りまで引いて矢を放つとより大きな音を立てて的に矢が当たっていた。顔仁の膂力が成せる技かもしれないが私は弓本体が木の素材だけでは出来ておらず、他の素材を組み合わせているように見えたので弓の構造にも秘密があると見た。


 しばらくすると顔仁は弓の訓練を終えて中庭から去ろうとしていた。


「あ、お疲れさまでした!」


 私が挨拶すると顔仁が呟く。


「もっと、腕を上にあげた方がいい。矢を放つときは肩の上だ、肘と肩の力を使うんだ」


 と言いながら顔仁は私の横を通り過ぎた。


 良い人だ! なんだかんだ私が真似してるのを見てたらしい。その上、アドバイスも貰ってしまった。


 私はしばらく顔仁に言われた通りに素引きしていたが、家でも出来る事だったので帰る事にした。帰りの挨拶をしに、中庭から家を外回りして玄関に向かうと、玄関前には顔仁と程全の父親が居た。


「顔仁、もう帰るのかい」


「ええ、今日も十分お世話になった」


「そうか……そういえば田豫が弓術を教えて欲しそうにしているのを知っているか?」


「ええ。でも俺には無理だ」


「やはり亡くなった息子の事が気になるんだな」


 亡くなった息子⁉ どういう事だ!


「ええ。俺が良かれと思って弓の使い方を教えたら。あいつは一人で勝手に狩りに行って亡くなった事は忘れられませんよ」


「だが、その事と田豫は関係ないんじゃないんか」


「俺のせいで子供が死ぬかもしれないと考えたら無理だ。見た目と違って俺は肝っ玉が小せぇんだよ。それに息子の件とは関係ないが……俺には儒教が理解出来ません、変人で結構だ」


「そうか、なら仕方ないな」


 そうだったのか……だから拒んでたんだ。申し訳ない事をした。私のせいで息子の事を思い出して辛い思いをしていたに違いない。


 この時代は儒教という宗教が国教だ。その中にある『こう』という考え方が重要だった。良い言い方をすれば子は親を敬うのが絶対。悪い言い方をすれば子は親に従属する存在。親の為に子が命を落とす事になっても当たり前という時代である。


 顔仁の『儒教が理解できません』という言葉は二十一世紀の文化で育った私にも良く分かる。前世の私は子供はもちろん妻もいなかったが、当然、宗教的な考えより情が勝るだろう。


 時代が違うといえばそれまでだが、もどかしさを感じせざる得ない。


 私は少し感傷的になって帰ったのであった。

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