第九話 腐敗した国の中で芽生える夢と希望

 私は日々、書物を読んだ後、弓の素引きをしていた。顔仁がんじんに言われた通りに腕を高く上げて、肩より上で矢を放つ事を意識した。しかし、素手での素引きは余りにも味気がないというか……練習している実感が無かったので湾曲している木の棒の両端に布の切れ端を巻き付けて弓と見立てた。


 布を引いて離す! すると布はだらんと重力に従ってぶら下がっていた。


「これ意味あるか?」


 と呟いてしまったが何もやらないよりもマシなので素引きを続けた。


弓の素引きだけではなくこれからの乱世に備えて体を鍛えようとしたが、私の体は六歳の子供そのものだ。無暗に腕立て伏せ、腹筋等の自重運動をすれば体の成長に悪影響を及ぼすに違いない。


「うーむ」


 悩んだ私は前世の記憶を辿る事にした。こういう時はこの時代の人に無い知識で解決するのが一番だ!

 

 中高時代、万年帰宅部の私。学校の帰り道、ヤンキー追われて逃げる私。修学旅行の班決めで一人余った私。大学時代、誰とも話す事無かった私。大学の定期試験、周囲の皆は過去問を手に入れてるのに私だけ手に入れてない状況。


 あああああああああ! 嫌な事思い出したわ! 社会人になっても年下の上司に怒られ続ける日々だったわ! 碌な記憶がない!


 私は膝をついて頭を抱えた。すると居間の方から私を呼ぶ声が聞こえる。


田豫でんよや、ご飯よ」


 母親が私を呼んでいた。そういえば晩御飯の時間だった。色々考えるのはいいが腹ごしらえをするか。居間に行くと父親と母親が腰を下ろして食事を始めようとしていた。

 

 食卓には蒸かした米と漬物、そして珍しく刺身がある! テンション上がる! 元日本人の私からすればこの上なく嬉しいぞ! にしても日に日に米の量が少なくなっているな。蓄えがなくなっている証拠だ。やはり、この地域で米を育てるのには無理があると思う。


 私は住んでいる幽州は、今の中国の最北端に位置する。冬は特に寒くなる地域な上に寒冷期に入っているので米を育てるのには無理があるのだ。ちなみに父親はこの地域における米の希少性を鑑みて米を育て売りさばいていたが、どうやら限界が来たようだ。二十一世紀の日本では寒い地域で作られた「こしひかり」や「あきたこまち」という品種があるが、あれは寒さに耐えうるように品種改良されている。なので私がいる地域の主食はあわと呼ばれる穀物だ。


私は米を口に運んだ後、父親に声を掛ける。


「父上、来年から粟を育てた方がいいのでは?」


「うーむ、それもそうじゃと、思っていたんだが換金率の事を考えるとの……」


 いやいや、それでご飯食べれなくなったら元も子もないぞ。


「背に腹はかえられません!」


 私はきつめに言った。


「でもな、換金率がの……」


 金の亡者か。


 気持ちは分かる、少ない穀物で銭を手に入れられるならそれに越したことはない。

 

 父親とのやり取りの後、私は悶々としていた。何故なら、鍛える事以外に体を大きくするには、やはり多くの食事を取るしかないと思ったからだ。穀物だけでは無い野菜や肉等の色んな食べ物を摂るべきだと思っているけど、飢餓者が続出しているこの時代で、そんな贅沢言ってられない。


 結局、私は何も思いつかなかった。


 後日、私は剣を振るう際に使う膂力を鍛える為に家の外にある木の枝に麻縄を引っかけて薪をぶら下げた。そして薪に向かって、以前、賊から貰った短剣を切りつけた。これならば不必要な筋力を鍛えずに済むし有酸素運動にもなる。


 短剣の切れ味は落ちていたので切っているつもりでも叩き付けるという形になっていた。薪は叩き付けられると弾かれて振り子のように私の手前まで戻り、私はそれを再度叩き付けた。一定間隔で短剣を振るえるのでいい練習になっている。結局のところ、体を大きくする為には食事で栄養を取る必要があるので根本的な解決にはなっていなかったが弓の素引き同様、何もしないよりはマシであった。


「ふっ……はっ!」


 私は一心不乱に短剣を薪に打ち付けた。すると聞き覚えのある人物の声がした。


「精が出るな坊主」


「あ! 顔県尉!」


 偶然にも顔仁が私の家の近くを通り掛かっていたのだ。


「弓から剣に得物を切り替えたのか?」


「いえ……そういう訳じゃないです」


「そうか……そういえば最近、俺の所に来ないな」


「それは、その」


 少し気まずい。私が気まずいと一方的に感じている訳だが。変に誤魔化してもしょうがないと思い私は口を開いた。


「顔県尉の……お子さんの件を知ってしまって」


「そうか、そういう事か」


 空気が重い! と思ってたが


「はっはっは、子供の癖に気を使いおって。坊主、ありがとうな」


「いえいえ! こちらこそすみません!」


 以外にも私の発言を笑い飛ばしてくれた。


「少し時間あるか?」


「あ、はい!」

 

 私は両親に顔仁と共に出掛けると伝えた。というか今、昼過ぎなんだが、この人仕事はいいのか。兎にも角にも私は顔仁の馬に乗った。二人乗りする形で私達は町を出て行った。当然、騎手は顔仁だ。


 そういえば馬に乗るなんて初めてだな。馬術も覚えなければ……うわっ、やる事がほんと多いな。前世で三国志の本を読んで弓を使ったり、馬に乗ったりしている描写を見た時はこんな苦労があったなんて思わなかった。この時代で散っていった名もなき兵士達も影の努力をしていたんだな。


 いくら頑張っても死ぬときには死ぬ……なら頑張る必要はあるのか? と思ってしまう自分が居る。しかし、この先、この国が戦乱の世になる事を知っている私は何もせずにいられなかった。少しでも生きる可能性を高めたいという生き物としての本能的な面があるのかもしれない。


 乱世で活躍して出世して贅沢もして結婚もして、ぐへへへ。おっといかんいかんついつい欲が出てしまった。よくよく考えたら欲しかないかも。


 気付くと川の近くに着いていた。顔仁が馬を降りたので私は飛び降りた。


「顔県尉、今日はどうして?」


「おめえと話したくてな」


「そうですか」


 私達は川の近くの大石に座った。すると顔仁が口を開く。


「おめえ、随分と頑張ってるみたいだな。傭書ようしょを通して文字の読み書きを覚えて、兵法を会得しようとして、武術も習おうとしてる。おめえはまだ子供だぞ。何をそんなに焦ってる」


 これから黄巾の乱が起きて、その後に群雄割拠で国が滅茶苦茶になるんだよ! やらなきゃやられる‼ と言いたいところだが未来の事を言ったところで信用するはずがない。おかしな人扱いされそうだ。


「えっと……これからに備えてみたいな、ですかね」


 私はふわっと答えた。


「備えか……にしては異常な頑張りだな」


「何故、その様な事をお聞きになられるのですか?」


 今度は私が質問した。


「おめえが羨ましいからだ」


「え⁉ それはどういう事ですか」


「俺達は漢の臣下として、懸命に働いているが今の世の中は賄賂が平気で横行している。都では宦官かんがん共がやりたい放題に汚職を働いている。おまけに……おめえは知らないだろうが今の皇帝は官職をお金で売っている。だから懸命にやるのが馬鹿らしくなってる俺がいるんだ。多分、程県長も同じ気持ちだ」


「…………それで私が羨ましいと」


「まっ、子供のお前にこんな事言ってもしょうがねぇと思うけどな」


 現皇帝――霊帝が官職をお金で売っているのは前世の記憶で知っていた。後漢、第十二代皇帝は霊帝と呼ばれている。彼の姓名は劉宏りゅうこう。この世の贅を尽くし後漢を破滅の淵に追いやった人間の一人だ。しかし、彼は根っからの愚者では無い。幼少の頃の劉宏は、生まれながらの皇太子では無かった。彼は落ちぶれて貧困な幼少期を過ごしたのだ。劉宏が皇帝になったのは聡明で賢く若かったからだ。何故若い事が重要かというと宦官と外戚が政治を代わりに執る事が出来るからだ。


 そんな彼は幼少期の反動故か金の亡者と化していった。だからといって霊帝の行いは褒められたものではなく糾弾すべきだと思うが再び私は時代が悪いという結論に至ってしまった。


 しょうがない事なのか? ……いや違う。


「田豫? どうした?」


 私は考えているうちに自然と立ち上がっていたので顔仁が不思議がって声を掛けた。


「私が何故、頑張っているか……正直言うと贅沢をしたいという欲があります」


「それは別に悪い事とは思わないが」


「しかし、己の欲の為にこの国を腐敗に追い込もうとは思いません」


「ふっ、皇帝の悪口か? そんなこと言っていると首を斬られるぞ」


 私は「えっ!」と言って慌てて周りを見渡した。


「大丈夫だ。周りには誰もいねえ」


「ふう……えっと、私の考えを述べていいですか」


「ん? ああ? 何の考えは知らないが」


 私は川を見据えて、語り始める。


「皇帝や汚職を働いている者達の行動によって、この国はいずれ破綻します。この国の腐敗は漢王室に居る人々の心の腐敗から始まっています。民あっての国です。そんな国が民を追い詰めている形になっていいはずがない。だから私はこの国を変えたいです。腐敗する事の無い人の心を。腐敗する事の無い国を。」


「……なぜそこまで思える。何がおめえを駆り立てるんだ」


 私は目を閉じた。私が三国志の物語に嵌ったのは英傑達の生き様に惚れ込んだからである。そして仁の世を成そうとした蜀国に共感したからである。


「憧れている人達がいるんです。その人達のようになれたらいいなと。私は仁の世を見たいんですよ」


 私の居た時代では蜀国は滅んだ。しかし、蜀国が滅びなかったらどうなっていたか知りたい。いや、劉備りゅうび諸葛亮しょかつりょうの夢が叶ったらどうなったであろうかと見たい。何時しか彼らの夢が私の夢となっていた。


「仁の世か……」


 顔仁は噛みしめる様に言った。そして。


「田豫、暇があったら俺の所に来い、弓術を教えてやる」


「え! ほ、本当ですか!」

 

 私は歓喜した。そして何故気が変わったのかと聞く前に顔仁は答えてくれる。


「おめえのその夢に俺も賭けたくなった」


 顔仁も共感したに違いない、私が仁の世を成そうとした彼らに共感した時の様に。

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