第七四話 歴史の中に沈む者 田豫対褚燕③

「ウラウラウラァ! どうした! 逃げてばっかりだなあ!」


 もはや、何度目か分からない褚燕ちょえんによる突きの猛攻。対処法は今までと同じく、的を絞らせないように褚燕の周りを移動しながら体をよじり、突きを回避する。


「これじゃあさっきと何も変わんないなあ! ウラァ!」


 褚燕は低空姿勢で私の足元を突き刺そうとしたので、両足で跳び、体一つ分後ろに移動した。


「変わりますよ。関羽かんうがいることで、私はもう後先を考えなくていいんですよ」


「後先? どいうことだ?」


「君を討ち取ったところで他の賊がこの場には残っていましたからね。余力は残したいなと思ってました」


 私の言葉に褚燕は眉を吊り上げて、口を開く。


「すると、何か? 今まで本気を出してなかったってか?」


「……ええ」


「デタラメを言う暇があったら、俺を倒して見せやがれい!」


 褚燕は怒りの形相で踏み込みながら蛇行剣を振り下ろしてきた。


 対して私は、


「なにっ⁉」


 下から直刀を振り上げて相手の剣と鍔迫つばぜり合いをする。褚燕は動揺していた。


「はぁはぁ……本気と言いますか、リミッターを外すと非常に疲れるので、使いどころが肝心なんですよ」


 私と褚燕は互いに得物を押し付け合いながら後方に跳ぶ。


「一体どこにそんな力が」


 怪訝な顔をする褚燕。


 私は、この時代で戦い続けたことで、今の体と前世の体との違いを明確に感じていた。それは脳のタガが外れやすいということだ。


 どういうことかというと、人間の脳は本能的な情動をコントロールすることで、理性的な判断や、理論的な思考を行うことができる。また、本能を制御できるということは緊張や興奮状態を抑えることができるということだ。しかし、私含めてこの時代の人間は、脳の機能より感情が先行しやすい気がする。


 例えば、いくさで興奮状態になり、脳のリミッターが外れることで瞬間的にいつも以上の力を出してしまうのは二十一世紀にもありえる出来事だが、それがこの時代では頻発していた。


 おそらく、未来の人間と比べてどこかしら体の構造に違いがあり、私達は知的生命体として進化の過程であるということなのだろう。


 歴史関係の文献を読んでいたとき、憤死しまくる偉人が多すぎて、眉唾物だとは思っていたが人の怒りが収まらなければ肝臓が縮み、血が全身を巡り、高血圧になり、しまいには死んでしまう。感情がコントロールしにくければありえる話だなと思い始めていた。


 デメリットばかりに思えるが。


 未来の人間の体で生きてきた私だからこそ繊細に脳の違いを感じとれる。


 もし――そんな私が自由自在に脳のタガを外すことができれば?


「はあああああ‼」


 私は気合の声と共に袈裟けさ斬りを褚燕に食らわせようとする。


「ぬう!」


 褚燕は私の攻撃を剣で受け止めると声を漏らしていた。


 再び、鍔迫り合いをしたあと、二合、三合、四合と打ち合った。


「馬鹿な! 俺の力と渡り合っているのか⁉」


「はぁ! はぁ!」


 私は息を乱しながら、間合いを取る。


 筋力が一〇〇パーセントの力を使えば骨格や血管が損傷し、死ぬ可能性があり、普段は二〇から三〇パーセントの力しか使っていないという。ただ、スポーツ選手は叫ぶことで意図的に脳に危機的状況であること錯覚させて瞬間的に三〇パーセント以上の力を出すことができる。


 感情が先行しやすいことで脳のタガが外れやすいことに気付いた私は、筋力を自由自在にコントロール出来るかもしれないと思い、普段の鍛練に加えて、リミッターを外す訓練も行ってきた。


 筋力の出力が二〇パーセントから二一パーセントになったとしても微々たる変化に思えるが、一・〇五倍の筋力になっているということになる。


 これがもし六〇パーセントの出力になれば――普段の三倍の筋力だ。


「うりゃああああ!」


 褚燕が間合いを詰めて剣を幾度も突き出してくるが、


「はあああああ!」


 私は後退することなく、その場で突きを右手に持った直刀で弾き続ける。


「馬鹿な! 俺の方がどう見ても力が上のはずだ!」


 戸惑いを隠せない褚燕。


 褚燕は服の上からでも筋肉質であることが分かる。事実、筋力は筋肉の面積に比例する。しかし、筋肉を刺激し、興奮させて収縮させているのは脳だ。脳のリミッターを外せる私は相手より筋肉量が劣っても大きな力を出すことができる!


「一体何をしたあ!」


 褚燕の一撃を受け止める。


「さあ……な。んなことより、あんまり長引かせてくれるなよ、体が持たねえから」


「こいつ雰囲気が変わっ、ぐっ!」


 私は――俺は直刀を蛇行剣に押しつけつつ、相手の腹部に蹴りを食らわせた。


 リミッターを外して、興奮状態になっているせいで、人格がおかしくなっている気がする。いや、こっちの方が自然なのか?


 んなこと、どうでもいいか。どんな俺も私なのだから。


 俺は褚燕の突きに合わせて、同じように突きを繰り出す。


 互いの右腕が交差する。


 褚燕の蛇行剣は俺の右肩の上、宙を突いていた。


 そして俺の直刀は――相手の右胸を貫いていた。


「ぐおおおおおっ!」


「っ!」


 褚燕は獣のような雄叫びを上げながら剣を振り上げていたので、俺は相手の胸に刺さっている直刀から手を離して後ろに下がる。褚燕の剣は目と鼻の先で振り下ろされた。


「はぁ……はぁ……」


 息が乱れっぱなしだ。


 やっぱ、今の状態は体の負担が大きすぎる。興奮しすぎて死ぬかも。


「マジでもうくたばってくれ。あんたのせいで刃こぼれが酷いんだよ。もう武器がないからさ。あっ、でも関羽のやつから大刀だいとうを借りる手もあるか。でも、あれ重そうだからな、六〇パーセントの出力で自由自在に振り回せるって感じかな」


 未だに立ち上がっている褚燕に向かって、すらすらと思ったことを言う。


「ぐふっ……」


 褚燕はを口から血を吐き出し、両膝をつく。


「みご……と、だ。これを……やる……」


 次いで褚燕は自身の胸元に手を突っ込んで服の裏から折りたたまれた紙を二つ取り出し、弱々しい力で私に向かって紙を投げた。


「これは?」


「太平道と……俺達について書いてある……」


 そう言って褚燕は胸に刺さった直刀の柄を両手で握り、


「ぐおっ……!」


 直刀を抜き、投げ捨てる。それから、仰向けになって倒れていた。


 俺は興奮状態を徐々に鎮めて、投げられた紙を拾って褚燕に近づく。


「勝手な言い分だが、俺はお前という強敵を倒したことで乱世で生き抜くための力があることを自分自身に証明できた……褚燕、武人として戦ってくれたことに――感謝します」


「田豫……」


 声を震わせる褚燕。


 私に何かを伝えようとしてきたのでしゃがんで目を合わせる。


「こ、この俺に……勝ったんだ、歴史に名を……残せ! じゃねえと、呪い殺してやらあ!」


 決死の表情をした男に右腕を強く掴まれる。


「もとよりそのつもりですよ」


 応じると、男は口元を歪ませる。私の腕を掴んでいた手は突如、力を失ったかのように地面にストンと落ちた。


 賊として略奪と殺戮を行い、功臣として歴史に名を残すはずだった男は、歴史の中に埋もれてしまうのだろう。


 だが、私自身は今の戦いを忘れることはない。それに最後の台詞が呪い殺すだなんて、嫌でも思いだしてしまう。怖すぎだろ。


 私は苦笑しながら立ち上がる、


「おっと……」


 体がふらつく。


 全身の筋繊維が傷付いている気がする。戦いが長引いていれば筋肉が断裂してたのかもしれない。本当にギリギリの戦いだった。

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