第七三話 偽りの武人として 田豫対褚燕②

 東の空は白く燃えて、夜明けを知らせていた。


 その空の下で、突進してくる褚燕ちょえいは猪の如く、剣で突きを繰り出していた。相対している私は右手に持った直刀の平の部分に左手を当てて、突き攻撃を直刀で逸らす体勢をとる。


「ぬおっう」


 私は素っ頓狂な声を出しながら、突き出された剣を直刀でなんとかいなした。


 距離を詰められているので私は後方に跳ぼうとするが、


「甘いなあ!」


 褚燕は突進した体勢のまま、剣を持った手を引っ込め、さらに突きを繰り出そうとしていた。


「うぐっ!」


 半身を動かして突きを避けようとしたが、剣が横腹を掠めた。浅い傷ではあるが、斬られた頬と同様、ジンジンとした痛みを感じる。


 ようやく後方に跳べたが、それでも褚燕は猛進し、私を突き刺そうとしていた。


 カウンターを狙いたいが、駄目だ……攻撃を避けて斬りかかろうとしても、褚燕は私の動きに追いつくことができる身体能力の持ち主だ。


 数瞬の間にあらゆる方向からのカウンターを検討したが、逆に突き殺される映像が脳裏に浮かぶ。


 気迫をはらんだ表情を見せる褚燕は怒涛の突きを繰り出す。


「ウラウラウラウラウラァァァァァァァァァァァァ‼」


 この攻撃を防ぐには瞬きすら許されない――


「――———くっ!」


 先程と同様、直刀の平の部分に左手を当て、得物で攻撃をいなすことに専念したり、首や半身を反らして寸前のところで突きを避ける。


「ウラアアァァァァァァァァ‼」


 まだまだ、褚燕の攻撃は続く。


 後ろに下がるわけにはいかない。相手に勢いを与えてしまう。身体能力が相手の方が上なのに、心で負けるわけにはいかない。


 私は褚燕の突きに対して、片足を軸に回転したり、横に跳んだりして攻撃を避ける。直線的な攻撃に対して、相手の周りを移動することで、的を絞らせないようにした。


 それでも右肩、腹部、左もも等、様々な箇所に相手の刃が当たり、体から血が滴る。致命傷ではないが、地味に痛い。


「冗談じゃねえい! はぁはぁ……!」


 息を切らす褚燕は攻撃の手を止めて、後ろ向きに下がる。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 私も息を切らし、直刀を地面に刺して体重を預ける。


「なぜ避けれる、おかしいだろうがよお」


「はぁ……はぁ……あいにくと、相手の動きを察知することと空間を把握する能力に長けているんですよ」


 空気を吸って、なんとか声を絞り出す。


「何言ってるか分からんが……少なくとも俺よりかは攻撃を避けることに長けているようだなあ……ふぅ……」


 褚燕の体からは汗が噴き出していた。彼も彼で体力をかなり消耗しているが、状況は一転しない。後ろに下がらず攻撃を避け続けて体力を奪う作戦だったが、先に私が参ってしまいそうだ。


 お互いに距離をとって体勢を整えていると屋敷の周辺で交戦しているであろう人達の声が騒がしくなっていく。


 褚燕は私の背後に目を向けているので、同じ方向に顔を向ける。


 そして、騒がしい声は急速に消えていった。


「なんだ一体何が……」


 と、褚燕が呟くと一人の人間が現れる。


「黒いほうに後頭部に結んだ髪……貴殿が田豫でんよで間違いないかな」


 張飛ちょうひより背が高い男だ。顔の彫りが深く、鋭い眼光は目に映る人を威圧するかのようだった。後頭部を覆い隠せるタイプの緑色の頭巾を被っており、見るからに重そうな大刀だいとう――長い柄に幅が広い片刃かたはが付いた薙刀のような武器――を持っていた。特徴的なのは顎には首元まで届く髭があったことだ。


「なんだお前は!」


 褚燕は現れた男に向かって言い放った。


「拙者は関羽かんうと申す」


 やはりか。男を見た瞬間、関羽の名前はよぎったが想定より顎鬚が短かったので考えを振り払っていた。


 関羽――姓は関、名は羽、そしてあざな雲長うんちょう。張飛と同様、万夫不当であり、未来では義の軍神と呼ばれる男だ。さらに文武両道で、義侠心に厚い。この前知識だけだと、欠点がないように思えるが、関羽はプライドが高く傲慢でもある。しかも、目上の人間に対しては舐め腐った態度を取る始末だ。この欠点が仇となって彼は命を落とすことになる。


「俺の部下はどうした」


 関羽に問いかける褚燕。


「すでに殺した」


「なん、だと……」


 関羽の返事に褚燕は戸惑いを隠せなかった。


「俺の部下の中でも精鋭を揃えたはずなんだがなあ……とんだ化け物が現れたな」


 そう言って褚燕はやれやれと、かぶりを振った。


かん殿、戦況はどうなっているんですか?」


「良好。太平道は包囲されかかっている。貴殿のおかげだ」


「な、なんだと⁉ どういうことだ田豫」


 褚燕の動揺した声につられて、後方にいる関羽に向けてた視線を前にいる褚燕に向ける。


 荒れてた私の呼吸はもう落ち着いていた。


 私は地面に刺した直刀を抜き、


小方しょうほうは私が騙し討ちし、官軍と豪族、そして突如現れた義勇軍によって太平道は包囲されています、私の狙い通りにね。君達はもう終わりです」


 戦術的に勝利したことを伝える。さらに私は今に至るまでの褚燕達の行動を語る。


「きっと君達は敬家けいけ高家こうけの息女を人質にしたときに、奪われないようにするために町中に配備された太平道の賊なんでしょう。その作戦が上手く行かなかったので状況に応じて高家の親族や祭祀にきていた豪族をまとめて人質にして豪族の動きを鈍らせようとしたところでしょうか」


「お前一人で全てがひっくり返ったというのか……この盤石な作戦が」


 褚燕は自嘲じちょう気味に喋っていた。


「田豫、お前の話は大体合ってるが一点おかしいところがある。俺達がここを占拠したとして、それがどうして豪族の動きが鈍ることに繋がるんだ。人質を取ったことが、戦場にいる豪族共にすぐに伝わるわけがないだろうがよ」


「君達と連携した豪族がいるとしたら? その豪族から戦場にいる他の豪族らに人質の情報を伝われば動揺が起き、動きは鈍ります。さらに、その瞬間に君達と連携している豪族が反旗を翻せば、戦力がひっくり返る可能性があります」


 もっとも、豪族が反旗を翻す前提条件として、戦況が黄巾賊の不利になっていない必要がある。現状、包囲されている以上、反旗を翻せない。


「全てを読んでいたのか、田豫には俺達がどこに潜んでどこの豪族と繋がっているということが分かっているのだろうなあ……」


 褚燕は尻すぼみに喋りながら剣を持った腕を下ろす。


 降参するのかと思いきや、


「だが‼ 武人として戦うと決めた以上! 俺は退かぬ‼ 関羽とやらと二人でかかってこいやあ‼」


 気迫の声で叫んでいた。彼はここを死に場所と決めたようだ。


「田豫、助太刀致そ――ぬっ!」


 背後から関羽が近づこうとしいたので、手のひらを関羽に向けて、こないように言外に伝えた。


「何故、止める?」


 関羽一人ならばすぐに決着が付くだろう。普段なら戦ってもらいたいところだが、今は気分が良い、少しハイになってしまってる。


「今この瞬間だけは私も武人として戦うことを決めたんです。これからの乱世を生き抜くには褚燕を、強者を狩らねば話になりません。それに私は褚燕という人物に――」


 この時代に名を残した全ての人物に。


「――敬意を払いたいんです。彼が一人で戦うのならば私もそれに応えます」


 死にそうになったら多分、逃げるけど。


「うむ……拙者も武芸者の一人だ。一対一に拘る気持ちは分かる。存分にりあうがよい。だが、聞いてた話と違うな。田豫は謀略に長けた御仁だと聞いていたが、武人の心を持っていたとはな、嬉しい限りだ」


 肩越しに関羽を見ると、彼は地面にあぐらを掻いて座っていた。心なしか口が綻んでいるように見える。何故か私は気に入られたようだ。


 しかし、一つ関羽に対して訂正をしたい、武人の心は持っていないと思う。これは単に三国志好きとして名を残した人物と肩を並べて越えていきたいと思っているだけだ。ハッキリ言って、この時代を、三国志の世界を、生き抜いていることに酔い、さらに褚燕の意気込みに呑まれて、武人の立ち振る舞いをしているだけだ。


「田豫、お前とは違う形で出会いたかったなあ!」


「同感です」


 関羽が他の賊を蹴散らしてきたおかげで、もう後先考えなくていい。奥の手を使うことができる。


 最後の攻防を始めよう。

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