第一一七話 師と弟子

 薊県けいけん県城けんじょうを守り切った日の晩。


「乾杯!」


「「「「かんぱーい!」」」


 官兵と義勇兵が幽州ゆうしゅうの政務を司る庁舎の中から外の至る所で祝勝の宴をしていた。


 私は庁舎から出て外を歩く。


「ヒック……おお『黄巾殺し』様ではありまひぇんか~」


 酔っぱらった義勇兵が絡んできたが、その者は前のめりに倒れ始めた。


「おっと」


 私は肩を押さえて、義勇兵を仰向けにして横たわらせた。


「お酒か……」


 私は歩きながら呟く。高家の外食産業を再興させたという経験があるので、いつか領土を持つことになったらこの先、流行るであろう新たな酒食しゅしょくを開発するのもいいかもしれない。


 それでお金を儲ける!


 くっくっ!


 私は下卑た笑みを浮かべながら宴の場を抜け出そうとする。


 辺りを見渡すと部下にガチギレしている張飛ちょうひ劉備りゅうびが咎めていたり、趙雲が壁にもたれかかってニヒルな笑いを浮かべたりしていた。


 張飛は相変わらずだが部下に手を出さないだけまだマシかもしれない。趙雲の考えてることはなんとなく分かる。


『ふっ……束の間の平和、これも悪くなかろう』


 多分こう思ってるはずだ。


 にしてもどこの時代も大きな仕事を終えたら飲み会はやるもんなんだな。


 映画やドラマを撮り終えた芸能人達やスタッフは撮影を終えたら飲み会をやるだろうし、会社員だって年末になれば労いの意を込めて飲み会をやる。


 一山終えたら騒ぎたいという人間の本質はいつの時代も変わらないのかもしれない。


 庁舎の敷地から出ても騒いでる人達がいた。今の私は少々気疲れしているので静かなところに行きたかった。


 義勇兵とはいえ人の上に立つものとして行動してきたのだ。精神的な疲れが出ていた。


 前世では一生、平社員をやっていたせいで人の上に立つ者の苦労を背負ったことがなかったせいかもしれない。


「あれは……」


 県城の外に出ると見知った顔が三人いた。


 顔仁がんじん、そして呼銀こぎん呼雪こせつの兄妹だった。


 そういえばあの兄妹は私の師としての顔仁に興味がある様子だった。


 三人は弓矢を持っており、常人が水平にギリギリ射ることができる距離にある切株の上には斬られた竹が三つ置いてあった。


 早速、腕を競い合っているようだ。


「あっ! 田兄でんにい!」


 呼雪が元気よく手を振るので振り返す。他の二人も目をこちらに向けていた。


 私は三人に近づく。


「何をしてるんですか?」


田豫でんよの師と勝負しちゃってるぜ」


 呼銀は嬉しそうだった。


「やはりそうですか。ですが、あの距離でも顔県尉がんけんいと呼銀なら難無く当てられるのでは?」


「矢の速さとか連射の速さとかあるだろ?」


「それってどうやって判断してもらうんですか?」


「セツが判断してる!」


 私達の会話に割り込む呼雪。


「なるほど」


 私は弓矢を構えた顔仁を見つめた。真剣な眼差しで視線の先にある竹を見据えていた。


 近くで話している私達を意に介さないような様子だ。


 ――パァン‼‼


 風船が破裂したような音が鳴ると、その音は三連続で鳴った。


 顔仁が矢を放った音だ。目にも留まらぬ速さで矢を次々と放っていた。


 南匈奴族達と比べても連射が速く、何より力強い矢は三つの竹を射抜いていた。


「おお」


「わぁ」


 呼銀は感嘆し、呼雪は目を輝かせていた。


 その後、呼雪は射抜かれた竹の代わり、また新たに斬られた竹を三つ置きに行った。


 呼雪が戻ってきたあと、今度は呼銀が弓矢を構える。


「はっ!」


 気合と共に矢を素早く三連続で放つ。当然、矢は三つの竹を射抜く。


「どうだった?」


 呼銀は呼雪に問いかける。


「兄貴全然ダメ」


「はっきり言うな」


 呼銀の連射もかなり早いが、顔仁の矢の方が力強さがあった。


 私は気になったことがあり、射抜かれた竹のところまで駆け寄って、矢が刺さった竹を三つとも両手で持つ。


「どうしたの?」


 元の場所に戻ると呼雪は不思議そうな顔をしていた。


「気になったことがあったので確認したんですよ」


 顔仁も寄ってきて手を差し伸べ、


「見せてくれ」


 と言って私が持っている三つの竹を要求するので、素直に渡した。


「なるほど、これは大したもんだ……」


「? どいうことだ?」


 感心の声を上げる顔仁に不思議そうな顔をする呼銀。


 私は呼銀にあることを伝えることにした。


「意識してなかったんですか? 矢が当たってる場所、目視だと三つとも一緒です」


 三つの竹は寸分違わずと言ってもいいぐらい同じ場所に矢が刺さっていた。


「俺も精度には自信があるんだがな……あの連射の速さでここまで精度を出せる気がしねえ」


 顔仁は呼銀を褒めちぎる。


「へっ、てことはこの勝負引き分けってことでいいのか」


 呼銀は指で鼻を擦っていた。満更でもなさそうだ。


「えー兄貴の矢の方が遅いし、手の動きも遅かったのに?」


「余計なこと言うなって!」


 兄妹はいつものようにじゃれ合っていた。


「田豫、おめえもやってみろ」


「……腕前を確認するってことですか?」


 顔仁は私に持っている弓矢を渡す。


「そんなんじゃねえ。次はいつ会えるか分からない、最後にお前の矢を見ておきたい」


 最後って、そんな死ぬみたいな。


 それからまた呼雪が新しい竹を三つ、切り株の上に置いた。


「田兄! 頑張って!」


「ええ」


 呼雪から激励を貰いながら弓矢を構える。


 さて、集中しよう。


 あのときの感覚を思い出すんだ。最近のいくさで限界を越えて感覚を研ぎ澄まされた出来事がある。


 右北平ゆうほくへいでの戦いを経て、一つ気付いたことがあった。


 この時代を生きる人々の人体は筋力のリミッターを外せるように脳のタガが外れやすい。そして右北平の戦いで逃げる張雷公ちょうらいこうを射る前に二人の賊を矢で射たとき、私は標的以外の視界情報を省くことを意識し、指先まで神経を尖らせた。


 その瞬間、視界に映る標的はスローモーションになっていた。


 あの瀬戸際で私は新たな力を得たと確信した。


 原理的には筋力の出力解放と同じだろう、興奮状態に対応して知覚の時間的な精度や分解能が向上することで、視覚認知能力が向上したわけだ。


 逸脱した空間把握能力。


 筋力の出力上昇。


 視覚認知能力の向上。


 この三つが今の私の武器。私が猛将、軍神、鬼神、英雄の域に達するためにはこれらの武器を磨かなければならないと思う。


「…………」


 私は静かに筋力の出力を二倍に、視覚認知能力を向上させた。


 そして矢を三連続放つ。


 ――――パン! パァン‼ パァン‼‼


 響き渡る破裂音は鳴る度に大きな音になっていた。特に最後の音は顔仁に匹敵するかもしれない、というか一瞬だけ筋力の出力を三倍に上げてしまった。ちょっと腕が痛い。


 無事、三本の矢はそれぞれ竹に命中していた。


「ふぅーーーー」


 私は息を吐いて興奮状態を解いた。


 三人の声が聞こえないので後ろを振り返ると、


「「「…………」」」


 固まったまま動いてなかった。


 私は怪訝な顔をすると呼雪から口を開く。


「やっぱ凄いね田兄でんにい!」


「日に日に凄い奴になっちゃてるよな……多分、俺並みに精度良いだろ、遠すぎて分からないけど」


 呼銀は呆れ気味に遠く離れた場所にある射抜かれた竹を見つめていた。


「もう俺なんかを追い越す日は近いのかもしれねえな」


 ようやく口を開いた顔仁はそんなことを言う。


「おめえに弓矢を教えて良かった」


「私も顔県尉がんけんいが師だったからこそここまで腕を磨くことができました。弟子と師匠は持ちつ持たれつつの関係かと」


「分かったようなことを言いやがって、だがありがとう」


 おお……顔仁がハッキリと口角を上げて笑っている。


「こちらこそありがとうございます」


 私は笑顔で彼に応じた。

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