第二五話 常軌を逸し始めた者と常軌を逸した者! 田豫対閻柔

 城壁の上にある突出部――馬面ばめんで木剣を両手で構えた。対して、前方にいる閻柔えんじゅうは右手で木剣の切っ先を私に向けた。


 今から閻柔との一騎討ちが始まる。そもそも、相手は二歳年上だ。八歳と一〇歳じゃ力の差は大きいだろうに。勘弁して下さい。


 壁際に寄った程全ていぜんは拍手をして発破を掛けていた。


「早く始めろ! 俺は決勝で待っているからな!」


 田疇でんちゅうに勝ったから少し図に乗っているようだ。私と閻柔が戦って勝った者が田疇に勝った程全と戦う仕組みになっている。つまり、私が閻柔に勝った後、程全に勝てば、最も剣術が巧みな人物という事になる。勝とうが負けようが得する事が無いから気乗りはしないな。


 程全の横で敗北者、田疇が座る。一歳年下に負けたのもあって頭を項垂れていた。


「くそう……力負けするとは」


 悔しがっている様だ。


 前に居る相手を見据える。木剣の先を向けている辺り、突き刺すような攻撃手段を採るに違いない。そういえば、彼は槍が得意だったはず。初めて会った時、槍を使って獣達を狩っていたのをよく覚えている。


「よっしゃぁ! いくぞ!」


 意気込みながら閻柔は向かって来た!


「仕方ありません、勝負!」


 腹を括った私は向かって来てる相手に剣を振るおうとするが、相手はかなり速い突きを繰り出す! やばい! 


 私は突きだされる木剣に対して、横から武器を当て攻撃を逸らさせた! すると閻柔は直ぐに武器を引っ込め、再度突きを繰り出す! 


「まずいっ!」


「やらぁ!」


 突き出される木剣の切っ先! 距離を詰められすぎて防御が出来ない為、私は後方に下がりながら再び木剣で相手の攻撃を逸らす。


 何度も何度も後退しながら相手の突きを逸らす! それが精一杯だった。


 既に私は息を切らしている。


「はぁ……はぁ……後がないみたいですね」


「降参はよしてくれよ、最後までり合うだろ」


 私は壁際まで追い込まれていた。というか普通に落ちたら死ぬだろ。城壁の上にある歩廊ほろうに落ちれば良い方。街に落ちたら即死しそうだ。前世の私ならもうここで降参していただろう。


「降参はしません」


 今、初めて意地になっていた。研鑽の日々の成果を出したいと思っていた。 


「それでこそ田豫でんよだ! やっ!」


 右横から振るわれる閻柔の武器!


 相手の攻撃が当たる前に私は木剣を閻柔の頭上を越えるようにふんわりと投げつつ、相手の横を転がる! 不格好に!


「なっ!」


 背後から閻柔の驚く声が聞こえた。一方、私は先程投げた木剣を見ずに右腕を伸ばして掴んでいた。なんか良く分からないが木剣を捕る事が出来た。ほとんど勘だと思う。


「相変わらず奇怪な奴だ」


「曲芸師みたいだな」


 田疇に次いで程全が言った。私はおかしな方向に評価されているみたいだ。


 私は振り向いて閻柔の様子を確認しようとすると、既に彼は木剣を振るおうとしていた。両手で木剣を持ち防御に徹しようとしたが、


「⁉」


 なんと彼はその場で右足を軸に回転し、体一つ分横に移動した! そして私の左横から攻撃してくる! 相手は視界の端! 見えない攻撃! だが私は、


「くっ!」


 左手で木剣を逆手に持って防御し耐える! 慣れない剣の持ち方、そして回転の勢いもった一撃で吹き飛びそうだった。私は態勢を崩しながら片足でぴょんぴょんと跳んで距離を取った。


「おいらの攻撃が見えたのか⁉」


 閻柔は攻撃を防がれた事に驚き、観戦している二人は感嘆の声を上げていた。確かに見えなかった。だが相手の木剣を受け止める事が出来た。私は弓術と投擲技術を身に付け、そして食事と基礎的な筋肉運動で身体能力を向上させている。しかし剣術に関しては程全と遊びで良く手合わせをしているだけだ。それでも十分な鍛錬にはなるが、誰かから師事を受けたわけではない。


 さっき木剣を投げて掴んだ時もそうだが、見えてないのに見えた。まるで見えない空間を感じ取れる感性があるみたいだ。


「やっぱ、田豫はすげぇ奴だな! おいらが倒してやる!」


 攻撃を仕掛けてくる閻柔。彼の構えから木剣で突いてくるのが分かった。


 私は試したい事がある。堂々と両目を閉じてみせた。そして、首を右に傾ける! 左から空気を切り裂く音がする! 目を開けると私は彼の突きを避けた事が分かった。


「終わりです!」


 私は目の前にいる相手を木剣で突こうとする! 一つ分かった事があった。恐らく、私の空間把握能力が常人のレベルを逸脱している。前世で球技を扱うスポーツ選手が背中越しにいる、敵と味方の位置を把握して、的確なパスを出しているのを思い出した。その選手は皆の先の行動まで予測しているという。


 狩りで茂みの中にいる獲物に矢を射たり、岩の裏にいる獲物には放物線を描く様に矢を放つ。その上、家では投げた短剣が的に当たる様になったので目隠しをしたり背後から短剣を投げたりしている。度重なる鍛錬で私は常軌を逸した空間把握能力を手に入れたのだ。


 勝てる! 相手に到達しそうな私の木剣! しかし、


「まだまだ!」


 閻柔は上体を反らした! 角度は九〇度に近い! なんという柔軟性! 驚くのも束の間、


「あべぶばっ!」


 私の顎が強い衝撃を受けた! 閻柔は右腕を回して、下から木剣を振るってきたのだ! そんな事、予想できるか。私は尻餅をついた。その後、木剣を思いっきり振るってきた相手も尻餅をついていた。腕を振り回した勢いで体勢を崩したみたいだ。そもそも上体をかなり反らしてたから無理もない。


「ギリギリおいらの勝ちだな」


ててて……そうみたいですね」


 私は負けた。


 急に程全は床に手をついて項垂れていた。田疇は何やってんだこいつ、みたいな目をしている。


「俺の負けだ! あんな凄い戦いを見せられちゃ負けを認めるしかない!」


 程全は一人で盛り上がっていた。


 その後、程全の父親が兵を連れて城壁の歩廊を歩ているのに気付き、私達は解散した。何故なら無許可で出来たばかりの城壁の上に居たからだ。結局、程全と田疇と私は兵士に捕まり、普通に怒られた。なお、閻柔は馬に乗ってさっさと広陽こうよう郡に帰っていった。運のいい奴だ。

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