第二六話 ここまで酷くなるとは思っていなかった

 後漢ごかん時代は、中国で外食産業が誕生した時代でもある。町の外で調理済みの食物が販売され、屋台が連なっていた。また、飛躍的に文明が発達した為、商工人が増加する。それによって、都市が拡大されて勤務地と住居の距離を遠くした。その結果、人々は旅人を顧客とするだけではなく、勤め人の為に外食産業が拡大したのだ。


 今、私は再び雍奴ようど県から漁陽ぎょよう郡の郡治所ぐんちしょ(郡の政務を執っている県)である漁陽県を訪れている、朝っぱらから周琳しゅうりんと共に。


 この漁陽県は郡治所という事もあり、大きな外食市場を形成している。それに目を付けた程全の父親は雍奴県を発展させる為に漁陽県の外食市場モデルを真似ようと考えた。そこで調査に駆り出された人物の一人に周琳しゅうりんがいた。未だに兵卒である彼は実績を残そうと、やる気に満ち溢れていた。そして、彼は出世の為に私の力を借りたのだ。


 にしても、子供の力を借りるのは情けなくないのか? 君は今年で二二歳だろうに。


「よーし、田豫でんよ殿! 調査の為に美味しい物を食うんだ!」


「はい!」


 とりあえず、前言撤回。今日は彼の奢りで外食三昧だ。君、最高。


 私達は軽い足取りで漁陽県にある外食市場に踏み入れた。しかし、私達の目の前に広がっている光景は虚しいものだった。人気が全くない市場、放置された屋台と店舗。閑古鳥かんこどりが鳴くとは正にこの事。


「……大人気の市場じゃないんですか。ここは」


 市場を歩きながら力が抜けた様な声を出した。


「あっれぇー、おかしいな……」


 きょろきょろと周りを見る周琳。文通でやり取りする時代だから情報の遅滞や錯誤は良くある事だが、漁陽県の外食産業は賑わっているという事は前々から耳にしていた。仮にさびれて今の状態に至ったとしたら、急速に寂れたという事になる。


「きっと、何かあったに違いありません」


「例えば?」


「うーん、疫病で人が居なくなったとか?」


「こ、怖い事言わないでくれよ」


 彼は私の言葉にビクついていた。


 しばらく歩いていると、屋台を開いている大人の男が居たので私達は駆け足で屋台の前まで寄った。


「お? 一人一玉ひとたま食べるか?」


 気さくに声を掛けてくれる屋台の店主。彼はニラと卵を炒めたものを売っていた。いわゆるニラ玉。


「その前に聞きたい事が――」


二玉ふたたまお願い!」


「はいよ」


 周琳は私の言葉を遮って注文していた。こいつめ。


 店主は手際よく調理を終えると、ニラ玉を一玉ずつ皿に入れて、箸を添えた。私と程全は皿を受け取り屋台の横にある木製の椅子に座る。


「腹減ってたんだよな」


 と言って、黙々とニラ玉を食べる周琳。まぁ、私もお腹空いてたし、後で店主に話を聞こう。


 ニラ玉を箸で一口サイズに切り分け、口に運んだ。


「⁉」

 

 舌の上で転がる淡泊な卵! 醤油と塩、そしてお酒によって味付けされたそれは僅かながら脳に刺激を与えてくれる! そして心地の良いニラの食感! 美味い!


 私は一気にニラ玉を食べた。


「ご馳走様です」


「良い食べっぷりだ。俺も負けてらんねえよ」


 周琳は何故か私に対抗して、ニラ玉を急いで食べ始めた。そんな彼を尻目に、私は店主に声を掛ける。


「あの、聞きたい事があるんですけど」


「ん? なんだ?」


「私達、ここが繁盛している市場と聞いて来たんですけど……」


「ああ……その事か」


 店主は遠い目をした後、


「実はな。ここで最初に商売を始めたのは高家こうけの先代当主なんだ。先代が人を雇っているうちに色んな奴が集まって商売を始めたって訳だ」


「なるほど」


 漁陽郡で幅を利かせている二大豪族の杏家あんけ高家こうけ。前者については先代が異民族を討伐した事で勢力を強めたのは知っていた。ただ、後者の勢力が強まった理由は知らなかった。異民族を討伐しているとも聞くが杏家に及ばない戦力のはずだ。その謎が今解けた。財政面は外食産業で補っていたらしい。


「高家に何かあったんですか?」


「それがよ……今の当主がとち狂ったみいで」


「とち狂った?」


「急に今まで重んじていた家来を差し置いて、最近入ってきた奴を重臣にして丁重に扱い始めたんだ」


「…………」


 嫌な予感がする。私は、杏家で高家の勢力を弱める為に進言した事を思い出していた。


『高家に仕えてる無能な者を通して欲しがるものを送るのです。そうすればその者が重用されて高家はやがて落ちぶれるでしょう』


 謝礼欲しさで策を献じた。弁舌合戦が盛り上がってきょうに乗った。


 男性は喋り続ける。


「そいつがどうやら奸臣かんしんだったみたいで、自分の地位を確保する為に他の重臣達の悪い噂を当主に吹聴したんだ。そんでもって、有能な重臣に刑罰を課されたんだ。当主を見限って皆離れていくばかりでよ」


 奸臣――悪だくみをする家来の事だ。にしても、高家が本当に落ちぶれるとは……。戦争時、敵対国に謀略ぼうりゃくをかけるのは基本中基本だ。ただ、何もしていない豪族を陥れてしまった……。


「それで市場が寂れてしまったんですか……」


 重たい声で聴いてみた。


「そうなんだよ。元々、土地を貸す代わりにここで商売してもいいって約束でさ、定期的に俺達は高家にみかじめ料を取られたんだ。その代わり市場の治安を守ってくれる契約でな。ただ、そこで事件が一つ起きたんだよ。噂の奸臣がどうやら、家族ぐるみで高家の金銀財宝を持って逃げたらしいんだよ」


「えっ⁉」


「なんだって!」


 私に次いで、周琳も驚く。どうやら、やっとニラ玉を食べ終えたらしい。急いで食べ始めた割には食べるのが遅い気がする。


「そいつは信用されていたから当主は警戒してなかったみたいでよ。家臣に逃げられるわ、お金を取られるわで散々でさ、資金繰りのために高家がここの土地をいきなり売り始めてよ。市場の規模がどんどん小さくなったんだ。土地を追われた連中は高家に猛反発さ。『今までのみかじめ料を返せ』とか言ってるみたいだ」


「そうだったんですか」


 気が重くなってきた。高家にだって家族はいるしな。私個人とは因縁や敵対心は無いはず。うわ、さっき食べたニラ玉吐きそう。気分悪くなってきた。


「田豫殿? 大丈夫か?」


 胸を押さえて屈んでいると周琳しゅうりんが心配してくれた。


 どうにかして高家は救えないかな。接触出来ればいいのだが。私は、悩みながら周琳と共に城内に建てられた兵士の詰め所でもある長屋に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る