第一〇三話 地平食らう一本の矢

 私達は散り散りになって逃げたという敵を馬に乗って追撃し始めた。


「あれは……張雷公ちょうらいこう!」


 距離は離れているが横手にある川へと向かって敗走している黄巾賊が数人いたので私達は足を止める。幸いかちで移動しているので追いつくだろう。また、賊の中に張雷公がいると分かった。何故なら、泉州せんしゅう県の戦いのときに敗走した姿を見たことあるからだ。


 彼の姿は特徴的で顎から頬にかけてもじゃもじゃの髭で覆われている。忘れるわけがない。


田豫でんよ! あいつらだ、突然現れた仲間ってのは!」


 閻柔えんじゅうは私の前に躍り出て前方を指差す。そこには張雷公を追って軽武装している人々がいた。全員が一〇代から二〇代の集団で二〇〇人はいそうだ。


 閻柔の話では張雷公の一団が逃げた先で田の旗印を掲げて挟撃してくれた人達らしい。


 存在が謎過ぎる味方である。


「どうするの?」


 呼雪こせつが私の顔を窺い、指示を仰ぐ。


「このまま張雷公を追います」


 私の言葉に義勇兵一同は頷き、追撃を再開した。


 当然、同じ敵を追っているので謎の味方達と集結する。そもそも、謎の味方達も徒で移動していたので馬に乗っている私達はすぐに追いついた。


「おお! あんさんは!」


 すると、閻柔は笑みを浮かべた。それもそのはず、謎の味方達の先頭を走っているのは――


「久しぶりだな……田豫、閻柔」


 旧友である田疇でんちゅうだった。白い鉄製の胸当ての上にすそえりに文様が入った白いほうを着ていた。特筆すべきは私と同じぐらいだった背が五・六尺(一七〇センチ)になっていることだ。少し驚いたが彼は私より一歳上の一五歳で互いに第二次成長期の最中なので急激に身長が伸びてもおかしくはない。


「田疇! お久しぶりです!」


 田疇に駆け寄って、馬の上から手を伸ばして握手を交わすと、彼はニヤリと口端を吊り上げた。彼も再会を喜んでいるようだ。


「おいらもおいらも」


 私に続いて閻柔も田疇と握手した。


「積もる話や聞きたいことはありますが今は……」


「分かっている。今は黄巾賊を追うんだ」


 田疇は私の意図を汲み取った、そのとき、


田殿でんどのまずいです!」


 義勇兵の声で私はサッと前方にいる敵に目を向ける。


「あれは馬!?」


 ついつい、声を上げてしまった。


 あろうことか、いつの間にか張雷公含む三人が馬に乗っていた。敵に騎兵の姿はなかった。つまり、あの馬は私達の馬だ。


「あの馬、乱戦の中であるじを失って逃げ出したに違いない!」


「このままでは遠くへ逃げられる!」


 状況を即座に把握する閻柔と田疇。


 分かっている! ここですべきことは一つだ。


「皆さん止まってください!」


 私は進軍を停止させると、馬から飛び降りて地面を転がり、皆の前に立つ。


「なにをするつもりだ」


 背中越しに困惑した田疇の声を聞きつつ私は片膝をついて弓を構える。敵の様子を確認すると、張雷公の背中を守るように二人の賊が張雷公の後ろを走っていた。


「はい、田兄でんにい


「ありがとうございます」


 私が何をするのかが分かった呼雪が隣まで来て矢を二本差し出してくれたので、私は手元をみずに矢を受け取る。


 そして、


「「「っ⁉」」」


 息を呑む声が背後から聞こえる。それもそのはず、私は弓を横にして矢を二本つがえたからだ。こんな芸当、普通は見ないし普通はしない。騎射を得意とする呼銀こぎんや呼雪ら異民族の人々と関わってきたからこそ学ぶことができた技術だ。


 私は目をカッと開き、前方を見据える。


 もはや前方の黄巾賊以外の視界情報を入れない。


 指先まで神経を尖らせ、射線が山なりになるように構える。


 張雷公の後ろにいる二人の賊の距離は〇・二里(八〇メートル)。


「ハッ‼」


 私は息を吐いて二本の矢を山なりに放つ。


 放物線状に射る曲線では完全武装した敵相手には殺傷能力はない。だが、相手は防具を身に付けていない。


「「「おおおお!!」」」


 義勇兵達の歓声が耳に届くと同時に張雷公の背後を走っていた賊はバタリと馬から落ちた。上半身に矢が当たっていたのだ。


 それに敵が横に並んでいてくれて助かった。敵が横に並んでいたからこそ、矢を二本同時に放って当てることができた。


「上手くいったが、敵の大将に当てるには厳しいぞ」


 田疇の声が聞こえる。


 確かに厳しい、張雷公は黄巾賊の頭目だけあって張速影ちょうそくえいと同様に上半身に何かしらの防具を付けているだろう。それに距離だってさっきより離れている。常人では矢を当てられない。


 だから――俺は常人を越える!


「制限解除、筋力の出力を三倍」


 俺が呟くと、隣にいる呼雪の体が動いて反応した様子を見せる。


『ひいいいい!』


 声は聞こえないが肩越しにこちらを見る張雷公は怯えているように見えた。その間に俺は無言で呼雪に手を差し伸ばして一本の矢を受け取り、すううううと息を吐いたあと、


「穿てえええええええええええ!」


 全力で弦を引き絞る。もうこれで弓が壊れてもいいという意気込みで力を行使し、矢を放った。


『グアッ!?』


 さっき射た黄巾賊より遠くに張雷公がいるにも関わらず、矢は空気を切り裂くようにほぼ水平に飛んでいき彼の首を撃ち抜いた。


「はぁ……はぁ……」


 俺は額の汗を拭い、馬の上にだらんと横たわった張雷公を見据えながら立つ。


 上手くいった、自分でも信じられないぐらいに。


 思わず呆然としていると、


「「「……おお」」」


 感嘆の声が聞こえてきたので後ろを振り向く。


「「「おおおおおおおおおおおおお!」」」


 その声は大音量となる。


「す、すげえぞ!」


「頭目を二人も討ち取りやがったぞ!」


「官軍も誰も黄巾賊の頭目を討ってないんだぞ」


 義勇兵達は盛り上がっていた。


「田兄! すごい、すごい!」


 横にいる呼雪を見下ろすと尊敬と羨望の眼差しを送ってくれる。


 やりきったんだ……俺は!


 拳をギュっと握って振り上げる。


「勝ちどきを上げろおおおおおおおおお!」


「「「ぬおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」


 皆、俺の合図でより一層盛り上がる。


 後日、此度のいくさの被害状況を確認したところ、義勇兵の死傷者二三六名に対して黄巾賊の死傷者は六〇〇〇名以上だった。また、張雷公が逃げながら搔き集めた兵の中には無理やり従わせられた農民もいたらしく、戦意がなく早い段階で逃げたり降参していたため、一万人の中でまともに戦った黄巾賊は八〇〇〇名だということが分かった。

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