第一六〇話 完成された一騎当千の実力者 田豫対孫堅

 孫堅そんけんから距離を取るため、大きく後方に飛び退く。そして、空中で、手首の捻りを利用して直刀を上手投げする。


「甘いぞ!」


 孫堅はいとも簡単に投擲された刀を得物で振り払った。直刀は床に転がってしまう。それと同時に、私は床に着地した。


「ぐっ、足がっ!」


 私は顔を歪めて右足首を片手で押さえた。


「笑止! まさか足を挫くとはなッ!」


 孫堅がなんか言って私のところへ突っ込んでくる、まんまと私が足を負傷したと思っているらしい。


「はっ!」


 孫堅の間合いに入ったと思った私は抜き身の刀を床に置き、後ろ手で背後に落ちている物をとって斜め後ろへと跳ぶ。


「貴様、俺をたばかったな!」


「殺し合いに謀りごとは付き物ですよ!」


 斜め後ろに跳んで私は壁を蹴り、空中で先程拾った物を構える。


「弓矢だと!」


 孫堅は泡を食ったように叫ぶ。そう私が構えたのは弓矢だ。左校さこうと一騎打ちをした際、私は抜け穴の前で弓矢を落としていたので、それを拾ったわけだ。


 宙にいる私と床で立っている孫堅との直線距離は僅か六尺(約一メートル八〇センチ)だ。この距離で矢を放てば避けることなど不可能。


 私は孫堅の攻撃を回避することに全力を注ぎながら、弓矢を落とした場所まで後退したということだ。


「そいっ!」


 私は掛け声と共に弦につがえた矢を孫堅に放つ。


 しかし、


「――――馬鹿な!」


 孫堅に矢は当たらなかった。彼は飛んでくる矢から距離を取るわけでも得物で弾くわけでもなく真っ向から私がいる方向へと突進してきいた。


 肝心な矢は孫堅の肩の後方辺りを悲しくも通り過ぎていた。矢の軌道を読んで突っ込んでくることで攻撃を回避したんだ。


 もちろん矢を当てるつもりはなかった、私の腕ならば肩を掠めることぐらいできると思った。そのあとは、矢を連射して孫堅を威嚇することで弓矢で睨みを利かして彼を抜け穴から遠ざけさせた後に、さっさと抜け穴を通り、他の兵士に私が田豫でんよであることを説明してもらうつもりだった。


 孫堅は刃先を床スレスレの場所から上へと振り上げてくる!


 回避行動が間に合わない!


「くっ!」


 私は歯軋りをしながら弓を前に構えた。


 こんなことをしても彼の腕なら弓ごと一刀両断される可能性がある。


 だが、こうなったら破れかぶれだ!


 うおおおおおおおおおおおおお!


「――――?」

 

 私は怪訝な顔をした。


 何故なら、孫堅は刀を弓に当てる寸前で止めたからだ。


「くっ……はっはっはっ!」


 孫堅は刀を鞘に納めたあと、哄笑し、右手を太ももの上でパンパンと叩いた。


 なんだこの人は。


「弓矢を拾われて、放たれたときには肝を少々、冷やされたぞ! この孫文台そんぶんだいがッ! 若年者にしてその強さは御見それ言ったぞ、田豫」


 孫堅のやつ。私を田豫だと分かって斬りかかったのか⁉


「私の正体に気付いていたんですか!? それとも私が田豫だと言ったことを最初から信じていたのですか!? なのになぜ孫別部司馬そんべつぶしばは……!」


 さすがに驚嘆して、言葉が詰まってしまった。


「最初は本当に勘違いしたんだ。だが貴様と手合わせしていて一介の賊ではないと思った。そして、貴様の眼差しと戦い方からは並々ならぬ思いを感じた。大義を抱いている漢の目だ。そんなやつが黄巾賊なわけがないッ!」


 な、なんという感覚派の男だ。


 達人は剣を交えれば相手の気持ちが分かるといった類の感覚なのだろうか。


「はぁ……!」


 私は一気に肩の力が抜けてしゃがんだ。


「はははっ! 疲れたか」


「ええ、色んな意味で疲れましたよ」


 私はやれやれとかぶりを振った。


 そして彼が完成された一騎当千の実力者だと肌で感じてしまった。これはこれでいい経験だったかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る