第一六八話 不自然すぎるほどに静かな平地だ

 私達は張角ちょうかくがいる下曲陽かきょくようへと進軍を開始した。


 今、盧植ろしょく及び劉備りゅうび軍が率いている兵数は三万七千。そこに私も含まれている。


 孫堅そんけん軍の兵数が六千。


 皇甫嵩こうほすう及び曹操そうそう軍の兵数は一万二千。


 総勢五万五千人の大軍な上に種々の攻城兵器も揃っている。ハッキリ言ってしまえば負ける要素は皆無だ。とはいえ、今まで少ない兵力で黄巾賊を討伐したことがある私からすれば、兵力差だけが戦争の勝敗を決める要素ではない。

 

 鎌使いの左校さこうが率いていた黄巾賊がいた廃城から北へと五〇里(約二〇キロ)に下曲陽の県城けんじょうがある。そこが張角の本拠地だ。


 大軍故に進軍速度は遅いが一日半で到着する距離だ。早朝に廃城から出立したので睡眠を挟むことを考えると翌日の昼までに下曲陽に到着するはずだ。


 五〇里と言うと離れているように感じているが戦争においての五〇里は非常に近い距離と言ってもいい。何故ならば、兵法書である『尉繚子うつりょうし』の踵軍令しょうぐんれい篇には主力の本隊に先行して送られる前衛は二隊編成し、一隊は本隊から一〇〇里(約四〇キロ)、もう一隊はさらに一〇〇里前方に展開させるのがよいとされているからだ。


 つまり、本隊と前衛まで二〇〇里(約八〇キロ)で軍が展開されるわけだ。そう考えると五〇里の距離はあまりにも近すぎる。


 出立してから半日が経過し、とりの刻になった頃(一七時から一九時)。進軍停止の合図が軍全体に伝わる。


 日も暮れてきたし野営を張る準備をしろという合図かもしれないが、一抹の不安がある。


 下曲陽まで二五里(約一〇キロ)しかないにも関わらず敵の姿が見えない。五〇里離れた城で戦いがあったばかりなのに静か過ぎる。


「我が君、不自然なぐらいに黄巾賊が大人しすぎるとおもうのですが」


 斉周さいしゅうがおもむろに話しかけてくれた。


「やはり、君もそう思いましたか。しかし周りは平地ですからね。草木は生えていますが兵が潜むことができるような場所はないかと……気になるとすれば私達の右手側にある高地です」


「とはいえ、高地から敵の奇襲を受けても私らのところに下りてくるまでに十分、戦う準備が整えれます。それに『孫子』に書いてある通り、右に高地をみて進軍しているので敵に対応できるはずです」


「それもそうですね」


 兵法書である『孫子』には平地では高地を右にして進むように進軍すべきと書いてある。何故ならば、右利きの兵が左前の敵に対して力を発揮できるようにするためである。


「二人共ちょっといいか」


「あっ、こう殿」


 斉周と共に高地を見上げていると元黄巾賊であり、劉備に仕えている黄龍こうりゅうが話しかけてくれた。


「静か過ぎるから高地が気にならないか?」


「敵の気配は全く感じないですけどね。見に行きたいんですか?」


「そんなところだ」


 そう言って、黄龍は頭をポリポリと掻いた。


「では、野営の準備が終わったら、腕の立つ者を数人誘って様子を見に行きますか」


「じゃあ、俺も行く」


「分かりました。斉周はどうしますか?」


「私は遠慮しときましょう。剣を持って戦うのは不得手ですから……黄殿、我が君を頼みますよ」


 斉周は少し語尾を強めて黄龍に話しかけた。


 その後、彼は一礼して、身を翻す。


「なんか俺、田豫に怪我させないように釘刺されてない?」


「ははは……」


 私は半笑いで黄龍に応じ、野営の準備を進めた。

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