第三章・あなたが教えてくれました。 私の目に映る世界は色鮮やかで美しいと。1

 イスラが誕生して一ヶ月が経過しました。

 生まれたばかりの時は一晩で急成長していたイスラも、十日が過ぎて三歳ほどの子どもに育ってからは成長が緩やかになりました。相変わらず表情の変化が乏しくて無愛想ですが、とても子どもらしく育っていると思います。

 そして、生まれて十日を過ぎた頃からハウストが勇者としての鍛錬をしています。剣術や体術はもちろん、勇者の力の使い方も教えなければならないそうです。

 魔王が勇者を鍛錬するというのも奇妙な話しですが、イスラは精霊族からも狙われています。即急に自分の身は自分で守れるようにならなければいけません。きっとハウストもそれを危惧しているのでしょう。

 しかし朝から晩まで厳しい鍛錬をしているようで、イスラは毎日くたくたになって帰ってきます。

 ふらふらで帰ってきて、たくさん夕食を食べて、そのままバタンッとベッドに倒れて熟睡してしまう。そんな生活です。

 いえ、ベッドに辿り着けた日はまだ頑張った日かもしれませんね。夕飯が終わったと同時にテーブルに突っ伏して眠ってしまう日もありますから。

 イスラにとっては大変な生活かもしれません。でも私、楽しいんです。

 朝、目が覚めるとハウストとイスラがいて、眠っている二人を起こして朝の鍛錬を見送ります。その間に私は朝食の支度をして、二人が帰ってきたら三人で朝食を食べて、朝食が終わったらまた二人を鍛錬に見送ります。その間に私は街へ薬を売りに行き、夕方には帰宅して夕食を作るんです。

 鍛錬でくたくたになったハウストとイスラはたくさん食べてくれるので、とても作り甲斐があります。

 そして夕食後に眠ったイスラに毛布をかけ、ハウストと食後の紅茶を一緒に飲むんです。

 今まで薬草を煎じたお茶でしたが、領主が顧客になってからは紅茶のような嗜好品も楽しめるようになりましたから。

 二人で紅茶を飲みながらイスラのことや他愛ない話しをします。私はその時間が何よりも大好きで、胸が高鳴るのと同じくらい、平穏な温かさに満たされるのです。

 今、毎日が夢のように幸せです。いえ、夢ではありませんね。ハウストもイスラもすぐ側にいてくれるのですから。




 私は今日も街へ薬を売りに行っていました。

 市場で買物をしてから急いで帰路につきます。今日は新鮮な鶏肉が買えたので、早く帰って夕食の支度をしなければなりません。きっとハウストとイスラはくたくたになって帰ってきます。

 緩やかな山道を歩いていると、ふと、木陰にイスラが座りこんでいました。

 どうしてこんな所にいるのかと首を傾げてしまう。だって、いつもならまだ鍛錬の時間のはずです。


「イスラ、そんな所で何をしてるんですか?」

「ブレイラ!」


 イスラがパッと顔をあげると、勢いよく抱きついてきました。


「わっ、突然どうしたんですか!? 何かあったんです?」

「うぅ……っ」


 聞いてみてもイスラは答えない。

 しがみついた私の足に顔を埋め、うっうっと嗚咽を漏らしている。

 いったいどうしたのかと困ってしまいましたが、ちらりと見えた紫の瞳は悔しさで濡れていました。

 見ればイスラの全身は傷だらけです。もしかしたら鍛錬の途中で逃げてきたのかもしれません。


「イスラ」


 静かに名を呼び、イスラの頭を優しく撫でる。

 すると少しだけ落ち着いたのか、しがみつく力が弱まっていく。

 私は膝をついてイスラと目線をあわせました。


「ケガだらけですね。ほら、砂もついたままです」


 イスラの頬についていた砂を指で払う。

 他にも服についた砂埃を払い、「ほら綺麗になりました」と笑いかける。

 でもイスラはまだ拗ねた顔で視線を落としています。

 私はイスラの怪我をしている手をとりました。


「手当てしてあげます。私の薬はよく効くんですよ?」


 そう話しかけ、売り物だった塗り薬を取りだす。

 傷口の汚れを布で清め、丁寧に薬を塗っていく。

 薬が沁みるのか時折ぎゅっと目を閉じて耐えています。


「イスラは我慢できて強いですね。さすが勇者です」


 手当てを終えて褒めましたが、イスラは拗ねた顔で俯いたままです。

 でも、ようやく口を開いてくれる。


「……オレ、つよくない」

「どうしてですか?」

「うまくたたかえない。ハウストに……かてない」

「……それは、また、なるほど」


 予想以上の大きな目標に内心驚きました。

 鍛錬が上手くいっていないのだろうと予想はしていましたが、まさかそんな大きな目標を持っているとは思いませんでした。さすが勇者ということでしょうか。


「それで途中で鍛錬をやめてきたんですか?」


 こくり、とイスラが頷く。


「きっとハウストが心配してますよ? それに鍛錬をしなければ強くなれないんじゃないですか?」


 そう言うとイスラはムッとして黙り込む。

 どうやら本人も分かっているようです。でも、気持ちが追いつかないのでしょう。この子、無口で大人しそうに見えて結構負けず嫌いなんですね。

 イスラがおずおずと私を見つめてきました。


「……ブレイラは、つよいの……すき?」

「はい、私は強いほうが好きです」

「! ……」


 あっさり答えた私にイスラが目を丸める。

 なんですか、弱くてもいいなんて言うはずないじゃないですか。


「……まったく、なにを驚くんですか。強い方がいいに決まっているでしょう。強ければ他者から攻撃を受けにくくなるし戦えます。自分自身を守ることもできます。イスラ、あなたはそうならなければならないんですよ」

「オレが?」

「はい、あなたは勇者なんです。強くなければなりません。早く強くなって自分の身は自分で守ってください」


 イスラは勇者です。人間という弱い種族が精霊族や魔族と対等に渡りあう為に必要不可欠な存在です。

 これからイスラは大きくなるにつれて、種族の均衡を保つために多くの思惑や策略に巻き込まれるでしょう。それを退ける為にも力は絶対不可欠なものです。

 実際に今、イスラは精霊族に狙われています。ハウストの結界内にいるので人間には勇者が誕生したことを知られていないはずですが、人間にもいずれ知られることでしょう。味方であるはずの人間だって勇者誕生を知れば目の色を変える者も出てくるでしょう。

 私の言葉にイスラは難しい顔で何かを考え込んでしまいました。

 それをじっと見つめていると、少ししてパッと顔をあげる。


「つよくなったら、ブレイラをまもれるのか?」

「えっ、私ですか?」


 私は思わず苦笑してしまいました。

「そうですね、あなたは勇者ですし、私もあなたが守るべき人間の一人ともいえますね。でも、せっかく強くなるならハウストの為にお願いします」

「なぜだ? ハウストはつよい」

「そうですが、ハウストもあなたが強くなることを望んでいるからです」


 イスラは納得いかないような顔で唇を尖らせる。

 なにか言いたげなそれに私は小さく笑いかけます。


「そんな顔しないでください。ただでさえ無愛想なのに、もっと無愛想になるつもりですか」

「む……」

「さあ、早く鍛錬に戻りなさい。きっとハウストが待ってますよ?」


 そう言って私がイスラを促がす。

 しかしイスラは一歩も動かないまま困ったように視線を彷徨わせだしました。


「どうしました?」

「……ハウスト、おこってるかもしれない」


 イスラはぽつりと言いました。

 その言葉に思わず顔が綻ぶ。

 さっきはハウストを倒すことを目標にしていたのに、そのハウストに怒られるのが恐いようです。


「分かりました、では一緒に行きましょう。私も一緒に謝ってあげますから」

「うん!」


 私が差し出した手をイスラが握り締める。

 二人で手を繋いでハウストのところへ歩きだす。


「ブレイラ、だっこ」

「なに甘えてるんですか」

「だっこ」

「……仕方ないですね、ちょっとだけですよ?」


 頑ななイスラに私の方が根負けです。

 抱きあげると、ぎゅっとしがみ付いてきました。


「ブレイラ」


 耳元に響く子どもの高い声。甘えを含んだそれに自然と頬が緩みます。

 まだまだ言葉使いは幼いですが、舌足らずなところは直ってきましたね。

 以前は「ぶえいあ」と呼んでいたのに、今では「ブレイラ」としっかり呼んでくれます。

 それが嬉しくもあり、少しだけ寂しくもあるような気がして不思議です。

 私は自分の親を知りませんが、今、少しだけ親の気持ちというのが分かるような気がしました。


「イスラ、見てください。綺麗な花が咲いてますよ」


 木陰に花が咲いていました。

 木漏れ日から差し込む柔らかな光を受けて美しい花弁が開いている。

 花を見ながら、まるで世界が変わったようだと気付く。

 今まで花を見ても美しいと思うことはあまりありませんでした。薬師として薬草の材料でしかなかったのです。

 でも今、色鮮やかな花を見て美しいと素直に思えました。


「あか、しろ、きいろ、きれいだ」

「そうですね、綺麗ですね。後で家の前に植え替えましょう。家の周りに花壇を造ろうと思うんです」

「かだん?」

「そうですよ、とても綺麗なんです。楽しみにしててくださいね」


 いまいち花壇というものが分かっていないようですが、私は完成した花壇を思い描いてワクワクしてくる。

 きっとイスラもハウストも喜んでくれるはずです。




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