第五章・私は愛されたかったのです。たとえ娼婦のような真似をしても。7


 魔界で暮らし始めて一週間が経過しました。

 この一週間、私はほとんどの時間をイスラと一緒に過ごしました。

 イスラが私から離れないという理由もありますが、私もイスラに構う以外にすることがありませんでした。

 そして夜はイスラが眠った後、ハウストの寝室で過ごします。私がベッドへ誘うこともあれば、彼から求めてくれる夜もあります。彼から求められる夜は嬉しくて、いつもより乱れてしまう自分がいました。

 初めて抱かれた時は痛みを感じたのに今では男を受け入れることに慣れて、私の体は挿入される悦びを知ったものになりました。自分から腰を振り、快感を追い、ハウストが気持ちよくなるようにと、お腹の中を締める方法まで覚えてしまいましたよ。

 以前ハウストに「動物のようだ」と言われたことがあります。まさにその通りになってしまいましたね。欲しいという本能のままに腰を振って求めるなんて、ほんとに動物のようで笑えます。

 少し前の自分では考えられない淫らさで、抱かれながら耳を塞ぎたくなるような嬌声をあげているのです。

 でも彼のベッドで朝を迎えたことはありません。それはイスラが起床するまでに戻りたいからですが、彼も私を引き止めることはなかったので朝を迎える理由がないのです。


「ブレイラーー!!」

「見てますよ、頑張ってください!」


 遠くからイスラが手を振っています。

 それに返事をして手を振り返すと、イスラは嬉しそうに振り返して剣術の稽古に戻りました。

 城の兵士達に混じって幼いイスラも剣術の稽古をしています。

 私は少し離れた大理石で造られた東屋から訓練場のイスラを眺めていました。

 イスラは私が見えなくなるととても不安がり、私がいることを時々確かめて手を振るのです。


「……いつからあんなに甘えたがりになったんでしょうか。以前はもうちょっとマシだったような」


 以前より甘えるようになったイスラに首を傾げてしまう。

 甘えたい年頃なのかとも思いますが、片時も離れようとしないのは困りものです。

 ふと、東屋に一人の男が近づいて来ました。

 宰相フェリクトール。その姿に私は背筋をピンッと伸ばす。


「こんな所にいたのか」

「フェリクトール様、どうしました?」


 立ち上がった私に、「そのままで」とフェリクトールが東屋に入ってきました。

 私を探していたらしい彼に少し緊張しました。

 フェリクトールは魔界の宰相として魔王を支える側近です。中枢にいる彼からすれば、私など魔王のベッドに侍るだけの存在でしょう。彼から話しかけられるとは思っていませんでした。

 そんな彼から一通の手紙を渡される。


「これは?」

「君宛だ。君が最期を看取った魔族の母親からだ」

「あの時の……」


 差出人に驚き、手紙の封をあけます。

 手紙には、あの女性を美しい花の咲く高原に埋葬したことと、看取ったことに対する感謝が短く綴られていました。

 女性が静かに眠れる場所に埋葬されたことに安心しました。暗い塔の中で虐げられていた彼女でしたが最期だけは解放されたのだと。


「その女性のことは、私からも改めて礼を言う。我が同胞の最期を救いだし、看取ってくれてありがとう。魔王も君に感謝している」

「……いいえ、私は何もできませんでした。あの領主がしたことは許されないことです。……きっと、この女性の母親も人間を許さないでしょうね」

「当然だ。ほとんどの魔族は人間が大嫌いだよ。知らなかったのかね?」


 彼は私の前に立ったまま言いました。

 私を見下ろす目は氷のように冷たく、まるで愚者に向けられるそれです。


「…………ここにきて、知りました」


 人間界では魔族と接触することはほとんどないので知りませんでしたが、魔界にきて分かったことは、魔族が人間に向ける不信感と嫌悪感はかなり根深いものだということです。

 あからさまに毛嫌いされるというのは気分がいいものではありませんね。特にメルディナの敵意は相当なものです。

 私はこの城から出たことがありませんが、それでも魔界で出会うほとんどの魔族から疎外感を感じます。きっと私が魔界で無事に暮らせるのは、ハウストの寝所に出入りしているからでしょう。


「人間は脆弱で力を持っていない。それゆえに野蛮で浅短だ。しかも残忍なのだから始末が悪い」

「…………」


 人間として言い返したくても、領主の蛮行を見ているので何も言えません。

 人間界には多くの貧困と戦争があり、一部の権力者たちによって全てが支配されています。

 今までそれが当たり前だと思っていました。だってその世界しか知らないのですから。

 でも魔界に来て、人間界の秩序がひどく歪なものだと知りました。

 魔王によって統治された魔界には、同族同士の戦争などありませんでした。統治者である魔王が同じ魔族たちをとても愛しているのです。

 そう、ハウストは驚くほど同胞を愛する男でした。

 そしてハウストに仕えるフェリクトールも、魔王の妹のメルディナも、同族に向ける愛情は嘘偽りなく深いものです。

 ここでは人間の私だけが異端なのです。

 そしてフェリクトールは淡々と言うのです。


「人間の属性は悪だ。断言してもいい」


 俯き、唇を噛み締める。

 言い返す言葉がありません。


「悔しくないのかね? なぜ言い返さないんだ」

「…………悔しく思います。でも、ここで人間にも善人がいると声高に反論したとしても、それは自己満足に過ぎないんです。私はここであなたに異を唱えるだけの言葉も経験も持ちません。私は私が生きてきた狭い世界しか知らないのです」

「そうか」


 フェリクトールは私をじっと見つめています。

 居心地悪さに目を伏せました。

 情けない人間だと思われたかもしれません。でも構いません。実際、私が魔界でしていることは情けなくて、恥ずかしくて、惨めなことばかりです。


「人間とはやはり愚かな生き物だ。――――その所為で、魔界では君も辛い思いをしているだろう」

「……フェリクトール様?」


 ふと、フェリクトールの口調が変わりました。

 顔を上げると相変わらず気難しそうな顔で私を見ていました。

 でも、今まで感じていた緊張感が薄くなっていたのです。

 今まで壁のように立っていた彼が、私の目の前にあるチェアに腰を下ろしました。

 え? ええ? 訳が分からずに混乱してしまいます。

 だって先ほどまでフェリクトールは私を突き放すような態度だったのに、今、目の前のチェアで寛ぐ彼は私と会話しようとしている。

 ハウスト以外の魔族とまともに顔を合わせて話すのは初めてのことです。


「君には不自由をさせているね。魔界では人間というだけで厭われてしまう」

「……そ、そんなことは……」

「無理をしなくていい、辛く当たられることもあるだろう。歴代魔王で最も寛大で賢帝とされるハウストですら人間への怒りは深いのだから」


 フェリクトールはそこで言葉を切ると、表情を僅かに曇らせます。


「我々には人間を嫌悪する理由があってね……」


 そこまで言って口を閉ざしました。

 事情があるのだと思います。それは人間の私が安易に立ち入るべきでない事情なのでしょう。

 気にならないといえば嘘になりますが、私がそれを知って何ができるでしょうか。嫌悪の対象である人間の私に誰が話してくれるでしょうか。


「急にこんな話をしてすまない。だが、身勝手かもしれないが許してやってほしい。そしてハウストを、……いやなんでもない」


 フェリクトールはゆっくり立ち上がりました。

 そして東屋を出て行こうとしたところで「ああそうだ」と振り返る。


「そういえば、君に頼みがあるんだが」

「私にですか?」

「ああ。もし空いた時間があるなら、私の館にある書庫の掃除を手伝いなさい。晴れた日は本を天日干ししたいんだが蔵書が膨大でね。人手がまったく足りない」

「わ、私でいいんですか!?」


 思わず立ち上がりました。

 今までイスラの鍛錬まで付きっきりだったのです。でもその時間、私には何もすることがなくて時間を持て余していたのです。だから仕事を与えられることは嬉しいことでした。

 そしてそれよりも、この誘いは少しだけ、ほんの少しだけ自分が魔界に受け入れてもらえたもののように感じたのです。


「人手が足りないと言っただろう。人間の手も借りたいくらいでね。手伝ってくれるかね?」

「ぜひっ、ぜひよろしくお願いします!」


 一も二もなく引き受けました。

 深々と頭を下げた私に、フェリクトールも頷いて東屋を後にしたのでした。




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