第五章・私は愛されたかったのです。たとえ娼婦のような真似をしても。8


 翌日の昼過ぎ。

 これから剣術の鍛錬が始まるイスラを訓練場につれていきます。

 いつもなら鍛錬中も東屋から見学しますが今日は違います。今日からフェリクトールの館で書庫の掃除を手伝うのです。


「イスラ、今日の鍛錬もしっかり頑張ってくださいね」

「……ほんとに、いくのか?」

「はい。訓練が終わる頃に迎えにきますから」


 宥めるように言いましたが、イスラは拗ねたように唇を尖らせてしまう。

 今日からイスラの鍛錬中は書庫の掃除の手伝いを始めると言ったら、イスラが「それならオレもいく」と駄々を捏ねたのです。なんとか説得しましたが、まだ納得してくれている様子はありません。


「イスラ、拗ねないでください。お願いです、私を手伝いに行かせてください」

「……いきたいのか?」

「はい。たくさん本があるそうなので見てみたいんです」

「…………わかった。ブレイラがいきたいなら、がまんする」

「ありがとうございます。あなたも頑張ってきてくださいね」

「わかった」


 イスラがこくりと頷き、渋々ながらも訓練場へ入っていきました。

 そんなイスラを見送ると、城を出てフェリクトールの館に向かいます。

 擦れ違う魔族たちからは相変わらず嫌悪の視線や疎外感を感じてしまいます。でも、フェリクトールから与えられた仕事が私を奮い立たせてくれました。




 フェリクトールの館につくと、「話は聞いております」と侍女に別館の書庫へ案内されました。宰相フェリクトールは登城していて館には不在なのです。

 別館の書庫といっても、別館自体が書庫そのものでした。一歩入って膨大な書物の量に圧倒されます。

 天井まで届くほどの大きな本棚が壁一面に配置され、そこには多岐に渡る分野の書物が隙間なく整然と並んでいる。こんなにたくさんの書物を見たことがありません。


「すごい……っ」

「フェリクトール様からブレイラ様に言付けがございます。書庫は好きにしていい、とのことです。それでは失礼します」


 侍女はそれだけ言うと書庫から去っていきました。

 書庫の掃除ではなく『好きにしていい』と言付けを残したフェリクトールに感謝したいです。彼は魔界で暮らす私を気遣ってくれたのですから。

 しかしこの気遣いに甘えるわけにはいきません。掃除の約束をしたのだから、大好きな読書は掃除の後です。

 私は箒と雑巾を用意し、さっそく掃除に取り掛かりました。

 それにしても膨大な蔵書と広すぎる書庫には驚かされます。きっと今日中に別館全てを掃除するのは不可能ですね。いったい何日かかるでしょうか……。

 棚に整然と並んだ書物を横目に箒で床掃除をしていましたが、ふと歴史書の区間で目が止まる。


「……おかしいですね。他は全巻揃っているようなのに」


 歴史書で抜けた巻数が所々あることに気が付きました。

 フェリクトールは読書家であり収集家でもあるのでしょう。書庫に揃った書物は古文書から最近出版されたものまで全て揃っています。だから抜けた巻数の部分が奇妙に映ってしまうのです。

 抜けた巻数の年代を逆算すると、どうやら数十年前、百年前、三百年前、それより古いもので千年前以上の出来事が記された歴史書のようです。

 この抜けた巻数にいったい何が書かれていたのでしょうか。魔界で何が起きたのでしょうか。

 疑問に首を傾げていると、書庫の扉が開きました。


「…………君は本当に掃除をしていたのか」


 城から帰ってきたフェリクトールでした。


「フェリクトール様、お帰りなさいませ。お邪魔しています。約束したお掃除も好きにさせて頂いています」

「……奇特なことだ」


 フェリクトールは少し呆れた調子で言うと、書庫にある小さな調理場に足を向けます。


「待ってください。お茶の支度なら私がします」


 そう言って調理場に入ると、フェリクトールは書庫の端にある読書スペースで寛ぎだしました。

 もしかしたらフェリクトールは館にいる間はほとんどここで過ごしているのかもしれません。

 調理場には軽食を作れるくらいの器具や食材はもちろん、読書中に紅茶を楽しむための豊富な種類の茶葉がたくさんありました。

 調理場に立つのは久しぶりで少しだけワクワクしました。あの魔界一日目の一件以来、誰かのために何かを作ることはなかったので久しぶりの感覚が嬉しいです。


「お待たせしました。たくさん茶葉があったので迷いましたが、一番使われていた茶葉で淹れました。お好みなのかと思って」

「ありがとう」


 フェリクトールはそう言って紅茶を一口飲むと書物を開く。

 どうやら紅茶の選択は正解だったようです。


「フェリクトール様はほとんどここでお過ごしになるんですね。調理場にいろいろ揃っていました」

「煩わしいのが嫌いでね。ここには侍女や召使いも立ち入らないように指示している」

「そうですか、では紅茶を淹れたりするのも全部ご自分で?」

「当然だろう、私だって喉くらい渇く。君も好きに使ってくれて構わないよ」

「ありがとうございます。ぜひそうさせて頂きます」


 嬉しくなって大きく頷きました。

 まるで秘密の場所ができたようで嬉しいのです。


「フェリクトール様、一つお訊ねしたいのですが宜しいですか?」

「なんだね?」

「歴史書で抜けている巻数が幾つかありました。それは今どちらかに持ち出されているのですか?」

「抜けた巻はここにはない。禁書になっていてね、忌まわしき事実として特別な場所に保管されている」

「そうでしたか……。禁書は他にもあるんですか?」

「あるよ。だがあまり興味を持たない方がいい、禁書には禁忌の叡智が載っている。知恵や知識は、魔族や精霊族や人間にとって宝だが、中には手にしてはならない物もある」

「手にしてはならないもの」

「そうだ。神の領域だよ」


 神の、領域……。

 その途方もない言葉に思考が止まる。

 驚く私にフェリクトールは苦笑し、話しはこれまでだと読書に戻ってしまう。

 私もこれ以上は聞けずに掃除に戻ろうとしましたが。


「ブレイラ!」

「イスラ!?」


 バタン! イスラが勢いよく書庫の扉を開けました。

 そしてピューッと走ってきて私に飛びつく。


「ただいま、ブレイラ!」

「おかえりなさい。でもどうして……。あっ、すみません、もうこんな時間でしたね!」


 時間を確かめると訓練が終わる時間を過ぎていました。

 迎えに行くと言ったのに、書庫の掃除に夢中になっていたようです。


「ここまで一人で来たんですか?」

「ううん、ハウストにつれてきてもらった」

「ハウストに?」


 顔を上げると丁度ハウストが書庫に入ってきました。

 その姿に私は慌ててしまう。彼は多忙なのです。


「すみません、ハウスト。執務中だったのにイスラが迷惑を掛けました」

「気にするな、いい息抜きだ。それにあの宰相が書庫に人間を招待したと噂になっていたぞ? 真相を確かめたくなってな」

「掃除を手伝っていたんです」

「そうか、たしかに老人一人じゃここの掃除は大変だろう。手伝ってやってくれ」


 ハウストは穏やかにそう言うと、フェリクトールにニヤリと笑いかける。


「良かったじゃないか。老眼鏡をかけてこれだけの本を管理するのは大変だっただろう」

「残念だが私のモノクルは老眼鏡ではない」

「なに? それじゃあ、それはお洒落だったというのか?」


 ハウストが驚いたように目を丸めました。

 そんなハウストにフェリクトールが心底嫌そうな顔をします。


「なにか問題でもあるのかね?」

「ハハハッ、堅物な宰相がさり気なくお洒落を楽しんでいたとは驚いた! 結構なことじゃないか!」


 声を上げて笑いだしたハウストにフェリクトールの機嫌が急降下しはじめてしまう。

 私はイスラの肩に手を置いてハラハラしてしまいます。

 しかもハウストは長い付き合いの親しさでフェリクトールに追い打ちをかけるのです。


「だが、そのモノクルのせいで近寄り難く思っている者も多いようだぞ?」

「ハ、ハウスト、いけませんっ。フェリクトール様にとてもお似合いです。素敵ですよ?」


 私はハウストを窘めて、慌ててフェリクトールをフォローしました。

 このフォローに嘘はありません。実際、知的なフェリクトールにモノクルはとても似合っています。ただ知恵の象徴でもあるモノクルが似合い過ぎて、近寄り難いのも事実ではありますが。

 しかしどんなにフォローしてもフェリクトールの機嫌急降下は停まらない。

 声を上げて笑うハウストに、イスラまでフェリクトールに「こわいかおだぞ」と無邪気に煽ったのです。

 そしてハラハラした予感どおり、


「ここを何処だと思っているんだね! あんまり騒がしくするようだと出入り禁止だ! もちろん魔王だろうと勇者だろうと例外はない!!」


 フェリクトールの雷が落ちたのでした……。




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