第五章・私は愛されたかったのです。たとえ娼婦のような真似をしても。9


 フェリクトールの館へ掃除と読書に通いだしてから、少しずつ、ほんとうに少しずつですが魔界の生活に馴染んできました。

 相変わらず疎外感は感じますが、静かな書庫で読書をしているだけで気持ちが落ち着きます。

 フェリクトールは登城してほとんどいないので日中は一人ですが、好きにしていいと言われているので助かりました。

 書庫では掃除をして、読書をして、イスラの鍛錬が終わった頃に訓練場に迎えに行きます。

 その後は夕食まで自由なので、イスラと二人で散歩に出かけたり絵本を読み聞かせたりして過ごしていました。

 そして今日は絵本の日です。

 城にある広大な庭園の木陰でイスラに絵本を読んでいました。

 収集家でもあるフェリクトールは絵本や童話も収集しているので、それを借りてイスラに読み聞かせるのです。もちろんフェリクトールに許可は頂いていますよ。


「――――こうして町に平和がもどりました。おしまい」

「おもしろかった! まちがたすかってよかった!」

「そうですよ、王子が盗賊を倒して街に平和が戻ったんです。良かったですね」

「オレもつよくなる」

「はい、あなたは勇者ですから、この王子のように皆を守らなければなりません。強くなってくださいね」

「うん! ブレイラ、つぎはこれだ! このえほんは、オレもよめるぞ!」


 そう言ってイスラが取り出した絵本に目を細めます。

 それは以前読み聞かせた本で、その時はまだ自分で読めなかったはずのもの。


「あなた、たくさん字が読めるようになってきましたね」

「えらいか?」

「はい、お勉強もしていて偉いですよ」


 褒めると照れ臭そうにはにかむ。

 生まれた時から無愛想なので満面の笑顔を浮かべるタイプではありませんが、私にはちゃんと喜怒哀楽が分かっています。


「では、お勉強も頑張っているイスラにご褒美をあげましょう」

「ごほうび?」

「はい、これです」


 私は絵本と一緒に持ってきた小さなバスケットを差し出しました。

 これ? ときょとんとするイスラに笑いかけ、バスケットの中にあるハンカチに包まれた皿を取りだします。


「これですよ。イスラ、好きですよね?」

「クッキーだ!」


 イスラの瞳がキラキラ輝く。

 ハンカチに包まれていたのは手作りクッキーです。

 魔界にきてから手料理を作ることは控えていましたが、今日はフェリクトールの館でお茶菓子用のクッキーを焼いてみました。

 余った分なので少ししかありませんが、イスラの分を貰ってきたのです。


「フェリクトール様のお茶菓子用ですから甘さは控えめです。でも、イスラの分は動物の形で焼いてみましたよ。どうですか?」

「これはウサギだ。クマと、ネコと、こっちはとりだ」


 籠のクッキーを一つ一つ指差すイスラに笑いかけました。


「正解です。では頂きましょうか、手を拭いてください」

「うん」


 渡した手拭きで手を拭き、イスラがさっそくウサギのクッキーを食べます。

 おいしそうにクッキーを頬張るイスラに私の顔も綻びました。


「ブレイラ、おいしい! またたべたい!」

「はい、また作ってあげますね」


 こうして絵本を見ながらちょっとしたおやつの時間をしていると、ふとハウストとメルディナが庭園に出てきました。

 二人で庭園を散歩でもするのでしょう。二人はとても仲の良い兄妹で、特にメルディナは兄のハウストにべったりなのです。

 庭園の小道を歩いていたハウストが木陰にいた私とイスラに気付き、穏やかな面差しでこちらに歩いてくる。

 隣を歩くメルディナは忌々しそうな顔をしていますが、彼が気付く様子はありません。花のように愛らしいメルディナの毒棘は常に私だけを狙うのです。彼女は私をハウストの側から排除したくて仕方ないのです。


「ブレイラ、イスラ、何をしているんだ?」


 側まで来たハウストがイスラの持っているクッキーに気付く。


「美味しそうだな、コックに作ってもらったのか?」

「ちがう。ブレイラがつくってくれた」


 イスラが答えると、聞いていたメルディナがスッと目を細める。唇に愉しげな笑みを浮かべたのは、私に毒棘を吐けるから。


「まあっ、また城のコックを困らせましたの? あれほど気を付けるようにと言いましたのに、もう忘れたのかしら」


 思ったとおりの毒棘。

 魔界に来てから何度この攻撃を仕掛けられたでしょうか。

 でも、私だって黙ってやられてばかりではありません。

 魔界にきたばかりの時は、ただただ圧倒されていましたが、この世界にも少しずつ慣れてきました。

 たとえ相手がハウストの妹だろが敵意を向けられたら敵なのです。

 私はメルディナに向かって白々しいほどの笑顔を向けてあげました。


「ご心配ありがとうございます。でもこれはフェリクトール様のお菓子を作った余りものですから心配には及びません。残りものの量程度ですし、誰の迷惑にもなりませんよ?」

「……そう、それは良かったですわね」


 メルディナの目が据わる。

 それを笑顔で見返すと、更に悔しそうな顔をしてくれました。

 いい気味です。私だって毒棘を受けっぱなしではありません。彼女に対しては魔界にきてから鬱憤が溜まっていたのです。


「ハウスト、あなたもいかがですか?」

「頂こう。お前の作る菓子は久しぶりだ」

「そうですね、人間界にいた時はよく食べていましたから」

「ああ、とても美味しいからな」


 そう言ってクッキーを一枚食べ、「やはりこれも美味しいな」と嬉しそうに笑んでくれる。

 その笑顔だけで愛おしさが胸一杯に広がって、心が壊れそうなほど苦しくなるのです。


「ありがとうございます。もっとありますよ?」


 私も嬉しくなってクッキーの乗った皿を差しだしました。

 ハウストは受け取り、イスラと一緒に食べてくれます。


「メルディナ、お前も食べるといい。ブレイラの作るお菓子は美味しいぞ。お前もきっと気に入るはずだ」


 メルディナにも勧めましたが、もちろんこれは彼女にとって屈辱です。

 ハウストの前では笑顔を浮かべていますが、私には忌々しげな顔を向けている。メルディナは魔王の妹とはいえまだ少女です、私だっていつまでも負けてあげません。


「どうぞ、メルディナ。私が作ったクッキーでよければたくさん食べてくださいね」


 笑顔で勧めるとメルディナの苛立ちが増していく。

 手に取るように分かりやすい反応でとても気分が良いです。


「……ありがとうございます。せっかくですがお兄様、わたくしはお昼をたくさん食べてしまいましたの。またの機会にいたしますわ」

「そうか、残念だ。次の機会にぜひ食べるといい」

「ええ、そうしますわ」


 メルディナの笑顔が引き攣る。私の笑みがいっそ深くなります。

 私に反撃されるなんて、さぞかし腸が煮えかえっていることでしょう。少しだけ胸がスッとしました。





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