Ⅲ・海戦と怪物と4


 その夜。

 私は夜の礼装に着替えて晩餐会に出席しました。

 夜会なのでもちろんイスラは欠席です。

 初日に挨拶をした時とは違い、晩餐会は食事をする場だけでなく大人の社交場でもあるのです。

 晩餐会は昼間の会食よりも華やかさと煌びやかな雰囲気に満ちています。私に用意された夜の礼装も濃緑に金糸の刺繍があしらわれたもので、艶やかながらも上品で優雅な召し物でした。

 広間には上座の位置にメインテーブルが置かれ、それを拝するようにして長卓テーブルが整列して配置されている。メインテーブルにはもちろん魔王ハウストと精霊王フェルベオが着席し、長卓テーブルにはメインテーブルに近い位置から高位の魔族や精霊族たちが着席しています。

 テーブルには繊細な装飾が施された皿やナイフやフォークといった食器が整然と並べられていて、これを見ただけで内心怖気づきそうです。

 私は周囲の人たちから浮いてしまわないように振る舞い、精霊王に挨拶と見舞いの礼を終えてから自分に宛がわれた席に座りました。

 もちろんそこはメインテーブルから離れた位置です。ハウストは当たり前のように側へ配置しようとしてくれましたが、それは私の方から辞退しました。

 人間の王である勇者イスラが一緒なら、イスラはメインテーブルへ着くので私も側へ着席します。でも晩餐会にイスラは欠席なので、私がそこへ着席する理由はありません。

 たとえハウストと深い関係であることが周知だったとしても、正式な名称がつく間柄ではありません。それは、公式の場では通用しない関係ということです。


「こんばんは、初めまして」

「は、初めまして」


 近くの席の貴婦人に声をかけられ、慌てて挨拶を返しました。

 美しく着飾った精霊界の貴婦人たちが和やかに話しかけてきます。


「あなたは魔界の方かしら」

「……いえ、私は人間です」


 人間だと答えると、「あっ」「ほら、魔王様の」と婦人たちがざわめく。

 今、この城にいる人間は勇者イスラと私だけ。しかも私とハウストの関係を知らない者はいないのです。

 貴婦人たちは当たり障りない挨拶を口にし、そそくさと自分達だけの談笑に戻っていきました。

 魔族が人間を嫌悪しているように、精霊族にとっても人間は異族の扱いなのです。人間でありながらハウストの側にいる私にどう接していいか困ってしまったのでしょう。


「こんばんは、お初にお目にかかります」


 しばらくして、今度はでっぷりとした腹が特徴的な精霊界の男に声を掛けられました。

 見るからに富豪だと分かる中年の男は愛想の良い笑みを浮かべています。


「ブレイラ様ですね」

「私のことご存知なんですか?」

「もちろんです。魔王様のご寵愛を一身に受けていらっしゃる方ですから。現在この海域一帯が封鎖されているのも、すべて貴方様の為だと聞いています」

「そんな、ことは……」


 なんて返事をしていいか分かりませんでした。

 黙ったままでいると男は上機嫌に話しだす。


「こうしてブレイラ様とお話する機会を持てまして天にも昇る気持ちです。実は私、精霊界ではちょっと名の知れた商人でして、もしご入用とあればご贔屓していただきたく」

「え、えっと、あの」


 これ以上の会話は切り上げてしまいたいです。

 でも、男が解放してくれる様子はありません。

 困っていると背後から声が掛けられます。


「ブレイラ、隣の席だからよろしく」


 ジェノキスです。

 ジェノキスは飄々とした調子で言うと隣に着席しました。

 男はジェノキスの姿にギョッとし、さっきまでの様子をがらりと変えて及び腰になります。


「こ、これはこれはジェノキス様。お父上様はお元気ですか?」

「うん、お陰様でね。ところでブレイラとの話しを中断させて悪かったな。どうぞ、続けてくれよ」

「いえいえとんでもないっ、この辺で失礼します」


 そう言うと男は足早に立ち去ってくれました。

 ようやく解放されてほっとため息をつきます。


「ありがとうございます。ちょっと困っていたので助かりました」

「どういたしまして。役に立てて良かったよ」

「……ところであなた、本当にここの席なんですか?」


 隣席ですっかり寛いでいるジェノキスに少し驚きました。

 私は階級や序列に疎いですが、それでも大貴族のジェノキスがこんな末席のような位置でないことは分かります。

 本当ならメインテーブルに近い位置に着席している筈の身分です。


「まあな、でも魔王様に緊急席替えを頼まれたんだよ」

「ハウストが?」

「そう。本当は俺に頼むのも癪だったみたいだけど、あんたを見知らぬ連中のとこに一人で置いとくよりマシだって思ったんだろうな。さっきみたいな事もあるし」

「そうでしたか……」


 複雑でした。

 気遣われて嬉しいという気持ちと、ジェノキスにまで迷惑をかけてしまった申し訳なさ。もしかして私はハウストを困らせていたでしょうか。もしそうなら、晩餐会には出席しない方が良かったかもしれません。


「今夜の晩餐会は俺が虫よけするけど、あんたも気を付けた方がいいぜ? 魔王に取り入りたいって連中からすればあんたは丁度良いターゲットだ。あんたに贔屓されれば魔王の目にも留まるからな」


 ジェノキスはそこまで言うと「それって絶対逆効果なのにな」と可笑しそうに笑いだします。

 でも、私は上手く笑えませんでした。

 ふと海賊の船長が言っていた。『愛人』という言葉が脳裏を過ぎたのです。

 今まで意識したことはありませんでしたが、もし私の立場に名前がつくなら、それは『愛人』ではないでしょうか。

 身分の高い方が愛人を囲うことは珍しくなく、むしろ当然という風潮があります。ましてや王なら正妃の他にも寵姫がいて珍しくありません。

 ぼんやりしていると、ジェノキスが心配そうに顔を覗きこんできます。


「おい、大丈夫か? まだ体調悪いなら下がってた方がいいんじゃないのか?」

「い、いえ、私は大丈夫ですよっ」


 慌てて首を横に振りました。

 反応を返した私にジェノキスはほっと安堵します。でも。


「それならいいけど、でも明日の舞踏会も気を付けろよ?」

「えっ、……明日、舞踏会があるんですか?」

「聞いてなかったのか? 魔王様は舞踏会であんたを見せびらかすんだと思ってたんだけど」


 そんなこと聞いていません。

 明日そんな催しがあるなんてちっとも知りませんでした。

 嫌なことを考えてしまいます。

 もしかして、ハウストは私に舞踏会に出席してほしくないんじゃないかと……。


「あ、そろそろ始まるぜ?」


 ジェノキスに声をかけられてハッと顔をあげました。

 広間が静まり返り、魔王ハウストと精霊王フェルベオが挨拶の口上を述べます。

 現在行なわれている会談も順調だという言葉に、広間にいる魔族や精霊族は両界の未来を祝福して大いに沸き立ちました。

 前進する両界の関係と、それを牽引する当代魔王と当代精霊王は稀代の賢帝と称するに相応しい二人です。それは停滞していた両界の更なる発展と栄光を約束するものでした。

 こうして和やかに晩餐会が始まりました。

 私は運ばれてくる料理を前に、今まで読んだ書物の知識を総動員します。

 魔界で暮らし始めて少しずつ慣れたつもりでしたが、こういった公式の場での経験数はまだ少なくて作法に自信がありません。

 知識は書物で蓄えましたが、知識だけでは補えない空白の部分を埋められるのは経験だけなのです。

 さり気なく隣のジェノキスや周りの貴族たちをちらちら見ながら食事します。

 ちっとも落ち着きませんが、ここで失敗すればハウストに恥をかかせてしまいかねません。

 でもやはり心細さに負けて、さり気なくメインテーブルのハウストを見ました。


「あっ……」


 遠目にも分かりました。

 ハウストと目が合ったんです。目が合うとハウストは柔らかく微笑んでくれて、私も小さく微笑みかえす。

 それはほんの僅かなやり取りでしたが緊張で強張っていた気持ちが少しだけ和みました。


「見ました? さっき魔王様がこちらを見ていらっしゃったわ」

「素敵だったわね。今夜は髪型を変えたから気付いてくださったのかしら」

「違うわよ、私を見てくださっていたのよ。だって私が一番綺麗にしていますもの」

「あら生意気ね、一番年下の癖に」


 少し離れた席で年若い令嬢たちがひそひそと話しています。

 どの令嬢も美しく着飾って、愛らしい容姿は晩餐会にあって花のように輝いている。

 でも、それがなんだと言うのです。

 さっきハウストは私を見て微笑んでくれたのです。彼女たちではありません。絶対違います。

 今、ハウストが一番愛しているのは私です。絶対そうです。だって毎日そう言ってくれていますから。

 少しだけ得意な気持ちになった私にジェノキスが苦笑します。

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