Ⅲ・海戦と怪物と5
「……ブレイラ、お前、分かりやすすぎだろ」
「放っておいてください」
いいんです。だってハウストが私を見てくれたことは間違いないんですから。
少しだけ落ち着いた気持ちになったところで、また新たな料理が運ばれてきました。
海の幸を上品に仕上げた一品は相変わらずどこから手を付けていいか分かりません。
さり気なく隣のジェノキスを見ましたが、運が悪いことに彼は隣席の方と談笑を始めていました。
仕方ないので別の方を手本にしようと、さり気なく見回します。とても上品に食事をしている令嬢を見つけました。
彼女の作法をちらちら見ながら学習し、それを真似て私もようやく食事をします。
こういった場所は出席者たちの親睦を深める為にあるものですが、談笑しながら食事を楽しむなんて高等技術すぎて私にはまだ出来ません。
こうして令嬢をちらちら見ながら食事をしていると、ふとジェノキスと反対側の隣席に座っていた紳士が「すみません」と話しかけてきました。
振り向くと紳士は困ったような笑みを浮かべ、こっそりと私に耳打ちします。
「あの、そのナイフはその料理に使う物ではありませんよ。失礼かと思いましたが、気になったので……」
「えっ……?」
慌てて手本にしていた令嬢を見ると、別の令嬢と私を見ておかしそうにクスクス笑っていました。
「ほらやっぱり、私の言ったとおりでしょ?」
「さっきからずっときょろきょろしてるから、おかしいと思ったのよね」
聞こえてきた令嬢たちの会話に、カッと顔から火が出そうになりました。
私が無作法者だと気付かれ、ほらやっぱりと確かめる為に嵌められたのです。
「あの方って魔王様のご寵愛を受けてる人間でしょ? あれで寵姫が勤まるのかしら」
「あら、だからチャンスなんじゃない」
令嬢たちは無邪気にイタズラの成功を笑っています。
私に指摘してくれた隣席の紳士も居心地悪そうに苦笑し、別の方との談笑に戻っていきました。
頭が真っ白です。
胸がぎゅっとして、心臓がどくどくと嫌な鼓動を鳴らす。
爪を立てて痛いほど手を握り締めました。痛みで気を紛らわせなければ、どうにかなってしまいそうでした。
「ブレイラ、大丈夫か?」
「あ……」
私と令嬢たちの様子に気付いたジェノキスが心配そうに声をかけてくれます。
ジェノキスは令嬢たちを厳しい面差しで見据えて立ち上がろうとする。
「ちょっとイタズラが過ぎるな。行ってくる」
「やめてくださいっ」
咄嗟に止めていました。
ジェノキスの気持ちは嬉しかったですが、もっと惨めな気持ちになるような気がしたのです。
「お願いですから、……やめてください。心配してくれてありがとうございます。でも私は大丈夫です」
大丈夫だと笑いかけました。
少し失敗した笑みになったかもしれませんが、なんともないふうを装います。
「ジェノキス、晩餐会でそんな顔をしないでください。あなたがそんな顔をしていると、皆が驚いてしまいますよ? それはマナー違反では?」
それくらい私でも知っています、とおどけて言ってみました。
さっきのことは些末なことだと、私は傷付いていないと、気取りたかったのです。せめてもの意地でした。
おどけた私にジェノキスは少し不満そうにしながらも着席してくれます。
何ごともなかったように食事を再開しようとし、ナイフとフォークを握りました。
でも料理を前にした途端、…………怖くなりました。
運ばれてくる料理はどれも美しくて美味しそうなのに、今、とても怖いのです。
周囲を見ることも出来なくなって、心と体が縮こまっていく。
「ブレイラ?」
「……なんでもありません」
首を横に振り、今まで以上に慎重に食事を進めます。
ナイフで小さく切ったのに、飲み込んでも上手く喉を通りません。喉が痛いほど苦しくなって、ようやくお腹の中に落ちていく。
気を抜くとナイフとフォークを持つ手がカタカタと震えてしまいそうでした。
分かった気がしたんです。
ハウストが私に明日の舞踏会を黙っている理由が。
参加したらハウストがきっと困ってしまうからですね。そもそも私は踊れません。もちろんハウストはそれを察している筈ですから。
そして明日の舞踏会には多くの令嬢が参加します。その中にはハウストの寵愛を求める者も多くいることでしょう。彼は誰かの手を取って踊るつもりだったのでしょうか。
ハウストを責めるつもりはありません。
彼の立場を考えると当然のことですから責めることは出来ません。
でも、それを嫌だと思っている自分に嫌悪しました。
私はいつからこんなに贅沢になったんでしょうか。
まだハウストと結ばれていない時、彼の側にいられるだけで良いと思っていました。
それが、いつからそれだけでは満足できなくなったんでしょうか。
そっとナイフとフォークを置きました。
「……すみません、先に休みます」
「大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
心配してくれるジェノキスになんとか笑いかけると、私は晩餐会を後にしました。
晩餐会が開かれている広間を出ると、ほっとため息が漏れました。強張っていた体から少しだけ力が抜けていきます。
部屋に戻ると、イスラがベッドで絵本を読んでいました。
「ブレイラ、おかえり!」
「イスラ、ここにいたのですか?」
まさかイスラがいると思わなかったので驚きました。
イスラはベッドからぴょんと飛び降りると嬉しそうに私に抱きついてきます。
「まってた。ばんさんかいおわったら、くるとおもって」
「遅くなるかもしれなかったのに……」
「だって、いっしょに、ねたかったから」
「イスラっ……」
胸が一杯になりました。
私もぎゅっと抱きしめ返すと、イスラが嬉しそうにはにかみます。
いい子いい子と頭を撫でてあげました。
「待っててください。すぐに着替えますね」
私は礼装から夜着に着替えました。
本当は湯浴みをしたかったけれど、今夜はイスラと早く眠ってしまいたかったのです。
ふと、わくわくしながら待っていたイスラがきょとんとした顔になりました。
「ブレイラ、なにかあったのか?」
「なんですか?」
聞き返すとイスラがじっと私を見つめます。
強い瞳で私を見つめたまま言葉を紡ぐ。
「ブレイラ、……かなしいときのかお、してるから」
「イスラ……」
唇を噛み締めました。
あなたはいつも私を無条件で救おうとしてくれますね。ハウストと結ばれる前の孤独だった時も、今も。
胸がぎゅっと締め付けられて、泣いてしまいそうですよ。でも泣きません。
あなたの優しい気持ちだけで充分です。
「なんでもありませんよ」
大丈夫ですと笑ってみせましたがイスラは信じてくれないままです。
どうしようかと困ってしまい、私はイスラを抱き上げてベッドに連れて行くことにしました。
「ブレイラ、おはなし、おわっていない!」
誤魔化されたと思ってイスラが怒りだします。
そんなイスラに苦笑すると小さな体をベッドに寝かせました。
お布団をかけてあげて、私も一緒に横になります。
優しくトントンしてあげましたが、イスラは不満そうな顔をしたままでした。
「ブレイラ」
「私は大丈夫です」
「でも……」
「では一緒に寝てください。あなたと眠ったら元気になれます」
「オレと?」
「はい。だから一緒に寝てください」
「……わかった。ねる」
渋々ながらもイスラは納得してくれました。
いい子いい子と頭を撫でて、額にそっと口付けてあげます。
「おやすみなさい、イスラ」
「おやすみ、ブレイラ」
拭えない不満を引きずりつつも、睡魔には勝てないようで直ぐに眠っていきました。
可愛らしい寝顔に口元が綻び、もう一度額に口付けます。
あなたは不満そうですが、あなたと眠ると本当に元気が出るんです。
イスラの小さな体をやんわり抱き締めてじっとしていました。何も考えたくなかったのです。
でも少しして部屋の扉が開く。
扉に背中を向けて横になっているので、誰が入ってきたか分かりません。
しかし入ってきた気配はよく知るもの。私が間違える筈がない、ハウストのものです。
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