Ⅷ・魔王様と勇者と私と2
「ガハハハハッ! なんだ? ここにぶち込まれたいのか。丁度いいじゃねぇか!」
「じ、冗談じゃありません! いい加減にっ、離しなさい!!」
あまりの恥辱と屈辱に拳を握りしめました。
宙吊りにされた反動を利用して、「えいっ!」と振り子のように体当たりしてやります。
でも、こんな攻撃はオークにとって児戯に等しいものでした。それも当然で、人間の大人一人を片手で宙吊りにしてしまえる腕力を持っているのですから。
「ああ? 蓑虫の真似でもしてんのか?」
「黙りなさい! 早く、私を、離しなさい!!」
えいっ、えいっ、振り子のように体を動かして体当たりを続ける。
無駄だと分かっていても諦めたくありません。おぞましいオークどもに好き勝手されるなんて絶対に嫌です。
「ハハハッ、人間風情がオレたちに敵うと思ってるのか? オラ、お前の好きなデッケェやつだ。しゃぶれよ」
「わぷっ。うぅっ、……やめて、くださいっ。んッ」
後頭部を押さえられ、オークの股間に顔を押し付けられました。
布越しに股間の硬いものを顔に擦りつけられ、生温かな熱すら感じるそれに背筋が総毛だつ。
あまりの嫌悪と気持ち悪さに嘔吐感すらこみあげ、両腕を突っぱねて遠ざけました。
「いやっ、んぅッ! くっ……!」
「抵抗するんじゃねぇよ。ちっせぇ口だな、ちゃんと開けろ」
「あっ、や、やめて……うぐっ」
布越しの股間に顔をぐいぐい押し付けられて目尻に涙が滲む。
絶対許しませんっ。このまま好き放題することも、私にこんな汚らわしい真似をしたことも、絶対許しません!!
宙吊りの中、懐に隠し持っていたエルマリスの短剣を握りしめる。そして。
「死んでお詫びなさい!!」
グサッ!!!!
短剣をオークの股間に思いきり突き刺しました。
「ギ、ギャアアアアアア!!!!」
オークの絶叫が響き渡り、拍子に掴まれていた足が離されます。
咄嗟に受け身を取って転がり落ち、短剣を握って身構えました。
「ザマァないですね! その粗末なモノもちょっとは見れるようになったんじゃないですか?!」
「グアッ、アアアア……ッ! ぅぐっ、く、くそぉっ、犯し殺してやる……!!」
股間を刺されてオークが悶絶しています。
巨体を丸めてのた打ち回る姿に少しだけ胸がスッとしました。
オークの強靭な肉体は人間とはまったく違いますが、それでも急所は同じなのですね。覚えておきましょう。
こうして人質状態から逃れ、魔狼が私を庇うように飛びだしてきました。
鼻をすりすりとされ、その柔らかさに私も安心します。
「心配させてごめんなさい。私は大丈夫ですよ」
そう言って喉を撫でてやると魔狼は嬉しそうに鼻を鳴らして私に甘えましたが、オークには鋭い眼光を向けて呻りだしました。
そして前足を蹴って魔狼がオークたちに襲いかかります。
魔狼の鋭い牙がオークの分厚い肉を食い千切り、あっという間に八体ものオークを仕留めてしまいました。
「ありがとうございます。あなたは凄いですね!」
魔狼に駆け寄ると鼻を寄せてくれる。
嬉しそうな様子にもっと褒めてあげましょうと抱き締めようとしましたが。
「そ、そんな馬鹿な!」
ふと、空間を埋め尽くさんばかりの魔法陣が発生したのです。
それは闇色の沼を出現させ、オークを沼底から召喚する魔法陣。その多さに愕然としました。
しかし怖気づいている場合ではありません。ここで引けば、死んだ方がマシと思うほどの屈辱と恥辱を味わうことになるでしょう。
広がった闇色の空間に私は短剣を握りしめ、魔狼は周囲を威嚇します。
不気味な唸り声とともに数えきれないほどのオークが沼から這い出てきました。
ですが。
「滅びの国に還れ」
静かな、でもよく響く声が聞こえた刹那。
「な、なんだこれっ!!」
「消えるっ。か、体が消えていくっ!!」
「うわあああ!!」
オークたちの悲鳴があがりました。
オークの体が指先から砂塵のように消えていく。
「こ、これはいったい何がっ……」
ごくりっ、息を飲みました。
目の前の光景が信じられません。空間を埋め尽くすほどいたオークたちの体があっという間に砂塵となって消えていきました。
そして、イスラの側に一人の見慣れぬ男が立っていることに気付きました。
古い時代の鎧を纏った男が静かに私を見据えているのです。
「あ、あなたは誰ですか?! イスラから離れなさい!!」
イスラに危害を加えているようには見えません。
きっとさっきのオークもこの男が消してくれたのでしょう。
でもだからといって、こんな場所で出会う見知らぬ男をすぐに信じられるわけありません。
「イスラに何かしてみなさいっ、あなたを絶対許しません!」
短剣を構えて男を警戒します。
男も私をうるさそうな顔で見ましたが、ふとあることに気付いて表情を変えました。
「なぜ、その魔笛をお前が持っている?」
「え……」
思わぬことを指摘され、私は懐の魔笛を取りだします。
魔笛は先ほどよりも強い光を放っていました。
「それは勇者の宝だ。なぜ、現在の勇者であるこの子どもが手ぶらでここへ来て、普通の人間であるお前がそれを持っている」
「勇者の宝とはどういうことです? これはモルカナ国に古くから伝わる秘宝で、クラーケンの封印を解いたり、呼び出す為のものだと聞いていますが……」
「…………知らずに来たのか?」
なぜでしょうか。すごく呆れられているような気がします。
少しムッとして男を睨みつけました。
「そもそもあなたは誰ですか? 何故あなたにそんな偉そうな言い方をされなければならないんです?」
嫌味たっぷりに言い返したのは、私を胡散臭そうに見てきたお返しです。
そんな私に男は呆れた様子のまま名乗りました。
「俺はジレス。千年以上前に誕生し、そしてクラーケンに飲まれて死んだ。いにしえの時代の勇者だ」
「そうですか、あなたはゆう、――――勇者?!」
驚愕に目を見開きました。
クラーケンに飲まれて死んだということは、モルカナに伝わる伝承の勇者だというのです。
「あ、あなたはイスラと同じ勇者なんですか?!」
「現在の勇者はイスラというのか」
ジレスは気絶しているイスラをそっと抱き上げます。
その手付きは優しく、イスラを守ってくれているものでした。
人間の王である勇者とは、三界の王でありながら魔王や精霊王とは違い、世界に必要と迫られた時に勇者の卵から生まれてくる者です。
だからジレスとイスラは同じ勇者でも血の繋がりがある訳ではありません。それでもジレスからすれば大切な継承者。子孫のように思ってくれているのでしょう。
「あなたが、クラーケンの中でイスラを守っていてくれたんですね。ありがとうございます」
「さっきまで俺を殺す気だったようだが?」
深々とお辞儀した私にジレスは意外そうに目を丸めます。
私は小さく笑いかけました。
「私はお人好しではありませんが、分別がない訳ではないつもりです。あなたがイスラに悪意がないことくらい見れば分かります。さっきの非礼をお詫びします。許してくださいね、イスラは私の子どもなんです。イスラがクラーケンに飲み込まれたと聞いたので、ここまで迎えにきました」
「迎えにきた、と……。普通の人間が」
ジレスが驚いたように目を丸めています。
「魔笛があったとはいえ驚かされた。そうか、お前がこの時代の勇者の母だったか」
「男の私を母と呼ぶのは如何なものかと思います。親、です」
そう答えながらも、私は両手を伸ばしてジレスからイスラを抱き取りました。
瞬間、両腕に乗った愛おしい重みと温もり。
眠るように気を失っているイスラを抱き締め、子ども特有のふっくらした頬に頬を寄せる。
「うぅ、イスラっ、イスラ……!」
視界が涙で滲む。ぎゅうっと力を籠めて抱き締める。僅かな隙間もないほど、ぎゅうっと。
会いたかったんです。ずっと、ずっと会いたかったんです。
イスラが海に沈んだ姿がずっと忘れられなくて、怖くて怖くて仕方なかったんです。
「イスラ、イスラ、うぅ、イスラっ」
何度名前を呼んでも足りません。我慢したいのに涙が勝手に溢れてきます。抱き締めたまま離したくありません。
抱き締めたイスラの小さな肩に顔を埋めて泣いていると、魔狼が擦り寄ってきて慰めてくれました。
「うぅっ、ありがとうございます。ぅ、あなたの、お陰です。あなたが一緒に来てくれたからですよ」
「ワン!」
「ふふふ、見てください、イスラです。無事に帰ってきてくれました」
嬉しくなって抱っこしているイスラを魔狼に見せていると、黙って見ていたジレスが首を傾げます。
「……どうしても母に見えるが?」
「訂正してください。親、です」
「う、うむ……」
すかさず訂正させた私にジレスが顎を引く。
多くの者に母親だと思われていることは分かっていますが、訂正するのは私の意地のようなものです。
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