Ⅷ・魔王様と勇者と私と3

「イスラ、一緒に帰りましょうね」


 気絶したままのイスラに話しかけ、そっと目元に口付ける。そしてジレスに向き直りました。


「イスラの意識はいつ戻るのですか?」

「クラーケンから出れば戻るが、それより早く戻るかもしれない。魔笛を持ってきてくれたからな」

「この魔笛はいったいなんなんです? クラーケンを呼ぶだけとは思えなくなってきたんですが……。さっき勇者の宝だと言っていましたよね?」

「ああ。それはかつて俺も所持していた。いや俺だけじゃない、歴代の勇者たちが所持し、死んで手放した後は、次の勇者が現われるまで人間界の各地に保管される宝だ」

「他にも同じようなものがあるんですか?」

「ある。だがそれは必要な時に取りに行けばいい。いずれその時はくる」


 いずれ、そう言ったジレスの言葉がまるで予言のように聞こえました。

 なんだか恐ろしくなって、無意識にイスラをぎゅっと抱きしめます。

 するとイスラが身じろぎ、閉じていた瞳をゆっくりと開けました。


「イスラ! 目が覚めたんですね!」

「うぅ、ブレイラ……」

「そう、私ですっ、ブレイラです! うぅ、イスラっ……」


 目覚めたイスラをぎゅうっと抱き締めると、イスラも半泣きでぎゅっと抱き付いてきました。


「ブレイラ! ブレイラ~!!」

「イスラっ、ぅっ、イスラ……!」

「ブレイラ、あいたかったんだ」

「私もです。ずっとイスラに会いたくて、こんな所まで来てしまいましたよ?」


 目に涙を滲ませながら笑って言うと、イスラは照れ臭そうにはにかむ。

 でも、きゅっと唇を引き結んで泣きそうな顔になりました。


「……ブレイラ」

「なんですか?」

「おこってる?」

「どうしてですか?」

「オレ、うまくできなかったんだ。このおっきいの、たおさなくちゃダメなのに」


 イスラはそう言うと、私に抱っこされたままジレスを指差す。


「こいつに、よばれたきがしたんだ」


 イスラの言葉にジレスは「勘のいい子だ」と朗らかに笑い、私は「こいつ、なんて言ってはいけませんっ」と慌てて注意します。

 しかしジレスが気にした様子はありませんでした。


「たしかに倒してほしかったが、こうして現在の勇者に会えて嬉しく思っているところだ。クラーケンが封じられた時に魂が一緒に封じられて千年、封じられていた甲斐があった」


 ジレスは軽い口調で笑いながらそう言うと、まだまだ幼い勇者を見つめます。


「それに、今は誰かに魔力を封じられているようだ。それではクラーケンも倒せない」

「…………」


 イスラがムッとして黙りこむ。

 まだアベルの呪縛魔法で封じられたままなのです。鎖だけはハウストに外してもらいましたが、力を過信した無鉄砲さをハウストに咎められて魔力だけは封じられたままでした。


「イスラ、帰ったらハウストに『ごめんなさい』をして、呪縛魔法を解いてもらいましょうね。私もハウストに謝らなければならないので、一緒にごめんなさいしましょう」

「……ブレイラも?」

「そうですよ」

「ブレイラといっしょ、いっしょっ」


 一緒、という言葉にイスラは嬉しそうにしてくれます。

 相変わらず表情が乏しいので不愛想ですが、私には分かるんです。

 でもふと、イスラが黙りこむ。


「どうしました?」

「……やっぱり、いらない」

「え?」

「オレのちからで、ここからでる。ちからも、いっぱいだす」

「自分で呪縛魔法を解くのですか? でもそれはっ」


 出来なかったじゃないですか、そう言おうとして口を噤みました。

 イスラは強い瞳で自分の両手を見つめていたのです。

 神経を集中する姿に、私は何も言えなくなる。

 寂しいという気持ちと嬉しいという気持ちが混ざり合って、静かに見守ることしか出来なくなるのです。

 そんな私にジレスが話しかけてくる。


「まだ幼い子どもだが、この子は間違いなく強い勇者になるだろう。ただ」


 ジレスはそこで言葉を切ると、空間を見回しました。

 ここはクラーケンの体内です。そして何故か、ここにオークという三界に存在してはならない怪物たちが自主召喚されたのです。


「……歴代勇者の中で、最も困難な宿命を背負った勇者になるだろう。この幼い勇者はすでに戦う覚悟があるようだが」

「嫌です」


 最後まで言わせず遮りました。

 過去の勇者もイスラに戦えと言います。そして世界も言うのでしょう。『戦え』と『世界を救え』と『我らを守れ』とそう言うのでしょう。

 それじゃあ、イスラは誰に守られるのです。まだこんなに幼い子どもなのに。

 腕の中のイスラをぎゅっと抱き締めると、きょとんとした顔で見つめ返される。


「ブレイラ、まってて。あとちょっとで、できそう」

「……はい、待っていますよ」


 そう返すと、イスラは大きく頷いてまた集中し始めます。

 そんなイスラの姿に切なくなって胸がしめつけられる。

 でもイスラを見つめながら、過去の勇者に心の内を吐露してしまう。


「嫌です。絶対……いやなんです。イスラは、このままっ……。……でも本当は、なんとなく、そんな日がくることも分かっているんです……」


 そう、私だって本当は分かっているんです。

 いつかイスラは勇者として旅立つ日がくると。

 その時、きっとイスラは私を振り返らないでしょう。どんな巨悪が現われても、無条件で世界を救おうとするのでしょう。躊躇わずに戦いに赴くのでしょう。

 視線を落とすと、ジレスが宥めるように言葉をかけてきました。


「心配することはない。どうやら俺の時代と現在では三界は違っているようだ」

「……どういう意味です?」

「このクラーケン、ずっと動いていないと思わないか?」

「あ、そういえば……」


 指摘されて気付きました。

 クラーケンを呼び出した時はあれほど暴れ回って攻撃してきたというのに、体内に入ってからクラーケンが派手に動いた様子はありません。


「お前達を外で待っている者達がいる。さっき言ったハウストとは、今の魔王のことだな?」

「もしかして、ハウストが?」

「ああ、だが魔王だけではない。魔王と精霊王がクラーケンの動きを呪縛魔法で封じている。近くにはモルカナ国の王もいるようだ。これだけ揃っているならすぐにクラーケンは始末できるというのに、中にお前達がいるからしないんだ。お前達が出てくるのを待っているんだろう。俺の時代と、こうも違うとは……」

「ハウスト、精霊王様までっ。モルカナ国の王とは、きっとアベルのことですねっ……」


 目に涙が滲みました。

 ハウストもアベルも来ているということは、エルマリスは間に合ったのですね。


「では、あなたの時はどうだったんです?」

「まず魔王はクラーケン討伐に参加しなかった。精霊王も他人事だった挙句、俺が飲み込まれたら躊躇わずに俺も一緒に封印してきた」

「…………それは、お気の毒に」


 ……聞くんじゃありませんでした。ちょっと気の毒すぎます。

 でも、それを語るジレスは朗らかでした。ジレスにはジレスの時代の思い出があるのでしょう。きっと辛いことだけではない思い出が。

 ジレスが私を見つめ、どこか遠い眼差しで語りだす。


「俺にも母と呼べる方がいた。卵から生まれた俺は母上の実子ではないが、それでも母上は俺を大切に育ててくれたんだ。俺の母上は、俺が勇者として戦うことを決して止めたりしなかった。クラーケン討伐に行く時も笑顔で見送ってくれた」


 切々と語られる言葉は、まるで縋るような、訴えているような、八つ当たりのような、それでいて小さな子どもが言い訳をするような、そんなふうに聞こえました。

 そして、迷子の子どものような顔で言葉が続きます。


「俺は今まで、俺が勇者として戦うことを母上は誇ってくれていると思っていたんだ。でも貴方を見ていて、もしかして俺の母上も本当は嫌だったのかもしれないと思った。俺は母上を悲しませていたんだろうかと……。勇者の母として……どう思う?」


 とても、とても真剣な顔で聞いてきました。

 それなのに、どうしてでしょうね。聞いてきた癖に、答えを怖れているようにも見えました。

 ならば私も真剣に答えましょう。


「そんなの私が知るわけないではないですか。私はあなたのお母様ではありません」


 きっぱり答えると、ジレスは面食らった顔をしました。でも。


「! プッ、クククッ……、たしかに、その通りだっ」


 すぐに吹きだして、最後は朗らかな顔になりました。

 答えなどないのです。答えは千年以上前、ジレスの母が死去した時に失われたのですから。

 そんな中、イスラがパッと顔を上げました。

 どうやら魔力を取り戻したようです。

 以前は出来なかったことが、こうやって出来るようになっていくのですね。


「ブレイラ、できた」

「えらかったですね」

「うん。オレ、ここからブレイラをだす」

「ありがとうございます。では、行きましょうか」


 抱っこしていたイスラを魔狼の背中に乗せました。

 その後ろに私も乗ると、ジレスを振り返ります。


「お世話になりました。あなたのお陰で助かりました」

「俺は何もしていない。むしろ、お前達のお陰でようやく魂が解放される」


 ジレスが嬉しそうに、それでいて安心したように言いました。いろいろ肩の荷が降りたのでしょう。

 前に座ったイスラは手中に魔力を集中し始めています。きっと強力な光弾を放ってクラーケンの腹に穴を開けるつもりですね。

 もうすぐジレスとはお別れの時間です。

 イスラの手中の魔力が高まりだしました。発動するまで後二十秒というところでしょうか。


「ジレス」

「なんだ?」


 過去の勇者の名を呼び、側へくるように手招きします。

 私はジレスの母ではないので、やっぱりどれだけ考えても答えは出ません。

 でも、もし、もしイスラだったとしたら。

 私はジレスの肩に手を置き、ゆるりと微笑する。

 そして夜の眠りに誘うように、額にそっと口付けました。


「お疲れさまでした。おやすみなさい、ジレス」


 それは毎夜イスラにしている「おやすみ」の口付け。

 よく眠れるようにと願いを込めたもの。

 不思議ですね。イスラではないのに、目から涙が零れ落ちました。

 笑いかけているのに、上手く笑えていないような気がします。

 だって泣き笑いになってしまっている。

 でも、ジレスが嬉しそうに破顔します。


「おやすみなさい、母上……」


 ジレスがそう言ったのと、イスラの手から強力な光弾が放たれたのは同時でした。


 ――――ドオオオオオオオンッ!!!!


 衝撃波が広がり、爆音があがる。

 凄まじい光弾がクラーケンを腹の中から突き破ります。


「ブレイラ、つかまって!」

「はいっ!」


 魔狼が衝撃波の中を駆けだしました。

 光弾が突き破った穴を目指して風のような速さで駆け抜ける。そして。


「そ、外ですっ!」


 視界一杯に広がった空の青、海の青。一面の青、青、青。

 魔狼に乗った私とイスラが爆発の勢いでクラーケンから投げだされ、衝撃波で空高くまで飛ばされます。

 くるりと回った視界に青い海が映る。そこにはクラーケンを包囲する数えきれないほどの戦艦がありました。

 クラーケン内部からの爆発で呪縛魔法の鎖が砕かれる。自由になったクラーケンは腹に穴を開けながらも暴れ出そうとしましたが、その時、モルカナ国海軍の戦艦から砲弾が一斉連射されました。

 ドドドドドドドドドッ!!!!

 凄まじい砲撃にクラーケンの巨体がゆらりと傾き、飛沫をあげて海中に沈む。

 しかし海中こそクラーケンが地の利を得る場所。矢のような素早い動きで逃げようとします。

 でも、その行く手を阻むように戦艦の艦首にハウストが立っていました。

 ハウストから魔力が放たれると、辺り一面の海が一瞬で凍りつく。クラーケンは力尽くで氷の壁を突破しようとするも、その動きを徐々に鈍くしていきます。

 そして氷の上に美少女と見紛う美少年、精霊王が降り立ちました。

 精霊王の瞳は怒りという激情に爛々と燃えている。

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