七ノ環・破滅を呼んだ勇者3


◆◆◆◆◆◆


 冥界と対峙する最前線。

 イスラは勇者の力を解放しながらも、強大な力に飲み込まれる寸前だった。


 ブレイラ、かなしむかな?

 ブレイラ、ないちゃうかな?


 イスラは体が粉々になりそうな中、頭の片隅でそんなことを思った。

 アロカサルで泣いてる赤ちゃんがいたから、悲しそうな顔をする女の子がいたから、だからアロカサルを人間界に戻した。

 そうしたら冥界が追いかけてきて、追い返す為にイラスは自らの力を解放したのだ。

 もっと、もっと力を出さなければ冥界に押し潰されそうになる。

 でもどんなに力を振り絞っても、冥界はじりじりと近づいてきている。

 このままじゃ冥界と人間界がぶつかってしまう。だからもっと力を出して、えいっと追い返さなくてはならない。

 全身全霊。今のイスラが持っているあらん限りの勇者の力。それを冥界にぶつけた。


「ぅっ……」


 できたかな? えいって、追い返せたかな?

 イスラは期待した。でも、その顔がみるみる強張っていく。

 たくさん力をぶつけたのに、冥界に押し返されてしまったのだ。

 そして、自分が放った光の塊が今度は自分めがけて返ってくる。


 あ。


 視界一杯に光の塊が映る。

 それは空を覆うほど大きくて、とてもとても大きくて。


 もう、むりだ。

 もう、できない。

 えいってしてるのに、いっしょうけんめいあっちいけってしたのに、あっちへいってくれない。


 イスラは終わりを覚悟した。

 途方もない力の解放、そして反動。自分は強大な力の塊に飲み込まれるのだ。


 ブレイラ、かなしむかな?

 ブレイラ、ないちゃうかな?


 イスラの頭にふっとブレイラの姿がよぎった。

 ブレイラに泣いてほしくない。イスラは、悲しそうに泣いているブレイラを一度だけ見たことがある。

 ハウストを大好きなブレイラが魔界で悲しい顔ばかりしていた時だ。もう見たくなくて、一緒に帰ろうって言った。

 その時のブレイラは、大人なのに子どもみたいに声を出して泣いていた。悲しそうな顔で、えーん、えーん、と泣いていた。

 ブレイラが、また泣いてしまうかもしれない。


 いやだな。ブレイラがなくの、いやだな。

 ブレイラにあえなくなるの、いやだな。


 じわりっ、イスラの大きな瞳に涙が浮かぶ。

 目の前には光の塊が迫る。

 これにぶつかったら、もうブレイラに会えなくなる。イスラは本能的に自分が消えることを察した。

 強大な力を跳ね返す力は、もう残っていないのだから。


「……うぅっ、うわあああああああん!! ブレイラ、ブレイラっ、ブレイラ! うわああああああん!!!!」


 ブレイラに、だっこしてほしい。ちゅーしてほしい。いいこいいこってしてほしい。ブレイラにあいたい!


「ブレイラっ、ブレイラーーーーー!!」


 会いたくて会いたくて仕方ない。

 イスラの大きな瞳から大粒の涙が溢れて止まらない。

 でも、光の塊は止まらなくて、目の前に迫った光に飲み込まれる。

 もっとブレイラと一緒にいたかった。

 卵から生まれたイスラが初めて目にしたのはブレイラだった。初めて抱っこしてくれたのもブレイラだった。


「ブレイラーーーーー!!!!」


 力の限り名前を叫んだ、その時。


「イスラ様!!」


 不意に、黒い人影がイスラの前に立ちはだかった。

 ゴルゴスが飛びだしてきたのだ。


「イスラ様、勇者が泣くとは何事ですか!」

「だって、だって、ブレイラとおわかれするの、いやだ! ブレイラにあいたい! あいたい! あいたいーーーー!! ブレイラっ、ブレイラーーーー!!」


 イスラが子どものように駄々を捏ねる。

 死を目前にして子どものように泣きじゃくるのだ。

 そんなイスラにゴルゴスは困ったように笑った。

 今、ゴルゴスの目の前にいるのは勇者ではなく、子どもなのだと。


「そうですか、まったく仕方ない子どもですね。でもご安心ください。お別れはしなくていいんです」

「ブレイラとおわかれ、ない?」

「はい、ありませんよ」


 ゴルゴスの口調は勇者に対するものではなく、子どもをあやすような優しいものだった。


「――――イスラ!」


 突如ハウストの声が響いた。

「ハウスト!」イスラが驚いて目を丸める。

 イスラが飲み込まれる寸前、反動現象の隙をついて転移魔法を発動したのだ。そう、イスラを連れ戻す為に。

 ハウストは、イスラを庇うようにして立っているゴルゴスを見た。

 イスラを見つめるゴルゴスの眼差しに、ハウストは覚悟を察する。ゴルゴスは身代わりになろうというのだ。


「すまない」

「契約者の末裔として当然のことです。イスラ様の未来に幸多からんことを」


 ハウストは一礼すると、イスラの小さな体を抱き上げた。


「えっ、ハウスト!」

「戻るぞ」


 ハウストは有無を言わせず、素早く転移魔法を発動した。

 一瞬にして姿を消した魔王と勇者。

 そして残されたゴルゴスは冥界を真っ直ぐに見据えた。

 目前に迫った光の塊。そしてその背後には冥界がある。

 はなから生き残ることは考えていない。

 この強大な力に飲み込まれ、体は消滅するだろう。

 でもせめて、せめて。


「契約者の末裔を舐めるな!!!!」


 光に飲み込まれる刹那、ゴルゴスが声を張り上げた。

 そしてゴルゴスが消滅したのと、人間界にある幾つかの国々から光柱が空に昇ったのは同時だ。

 光柱の元は、勇者の宝。

 人間界の各地に散らばっている勇者の宝が反応し、光柱となってアロカサルに集中する。


 ゴゴゴゴオオオオオオオオオオッ!!!!


 冥界が地上に衝突した。

 まるで隕石が降ってきたような衝撃に人間界の大地が揺れる。

 しかし光柱が壁となり、強力な結界となって冥界を閉じ込めた。

 勇者の契約者であるゴルゴスは、最期の力で人間界に散らばる勇者の宝を発動させたのだ――――。


◆◆◆◆◆◆





 光の塊がイスラを飲み込んでしまう寸前、ハウストが転移魔法を発動させました。

 アロカサルの城壁にイスラとハウストとゴルゴス、三人の姿が見えます。

 その場からハウストとイスラが消えてゴルゴスが残る。

 そして次の瞬間。


「ブレイラーーーー!!」

「イスラ!!」


 イスラがハウストとともに私の元へ帰ってきました。

 広げた両腕に飛び込んできた小さな体。勇者だけれど幼い子どものそれ。

 力一杯抱きしめると、イスラもぎゅっと私にしがみ付いてくる。

 私の腕の中にイスラが戻ってきた、その時。


 ゴゴゴゴオオオオオオオオオオッ!!!!


 光の塊にゴルゴスが飲み込まれました。

 そして次に、冥界がアロカサルに衝突したのです。

 まるで隕石が降ってきたかのような衝撃。地面が捲れあがり、大地に津波のような波紋が広がる。

 それは人間界を破壊するほどの衝突でしたが、その時、人間界の国々から光柱が立ち昇りました。光柱は衝突した冥界を閉じ込めるように急速に狭まっていく。

 人間界全土に広がるはずだった衝撃波も、光柱の壁に衝突して停止する。

 人間界が滅亡する寸前、それを阻止した光柱の結界。まるで奇跡の光景でした。

 

「ハウスト、これはいったいっ」

「勇者の宝だ。おそらくゴルゴスによって宝の力が発動されたんだろう。宝に宿っていた歴代勇者の力によって冥界を一時的に閉じ込めたんだ」

「それじゃあ、ゴルゴスは……」


 イスラの身替わりになった、そういうことなのですね。

 私は腕の中のイスラを強く抱きしめました。


「ブレイラ、オレ……」

「……イスラ、今は黙っていてください」

「でも、でも、オレ」

「お願いですから、今はなにも話さないでください」


 イスラの唇に指で触れて閉ざしました。

 イスラの大きな瞳が潤んでいる。大粒の涙が次から次へと溢れている。

 私はそれを拭ってやることもできず、ただ腕の中の小さな体を抱きしめました。離したくないと、縋るように。


「今は黙って、私のところにいてください」

「ブレイラ……?」

「お願いです、イスラ」


 じわりと目が熱い。

 泣くな、とイスラの小さな手が私の頬をひと撫でする。

 自分だって泣いている癖に、私へと一番に手を伸ばしてくれます。

 私は駄目な親です。きっと、世界で最も親であることに相応しくない。

 だって、嬉しいと思ってしまうのです。

 今、腕の中にいるイスラの存在を嬉しいと思い、安堵してしまっているのです。その為に一人の人間が犠牲になったというのに。

 アロカサルは跡形もなく消え去りました。

 アロカサル跡地を中心にサニカ連邦に出現した冥界。今は結界内に収まっているけれど、三界の者たちは知ってしまったのです。冥界という存在を。

 それは三界の歴史が変わった瞬間でした。

 私はイスラを強く抱きしめる。

 激動の中で、今はただイスラを抱き締めることしか出来ませんでした。





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