七ノ環・破滅を呼んだ勇者2

 冥界の気配を察知した私とハウストはアロカサル跡地に戻りました。

 アロカサル跡地を取り囲むようにして魔界と精霊界の陸軍師団が配置されています。

 砂漠を埋め尽くすほどの大軍勢はぴりぴりした緊張感を纏い、それだけで異常事態を察する事ができます。

 そう、ダビド王の捜索を後回しにしてまで備えなければならない異常事態。

 私は小高い丘に設置された司令部からアロカサル跡地を見つめていましたが、司令部の中心で指揮を取っているハウストを振り返りました。

 お邪魔にならない機を窺ってハウストに声をかけます。


「ハウスト、本当に冥界が?」


 問いかけた私に、将軍や師団長に囲まれていたハウストが顔をあげました。

 司令部にいる士官たちも差し迫った事態に緊迫した顔をしています。


「恐らくな。だが冥界が出現するより先にアロカサルが戻ってくる」

「……イスラですね」


 都を丸ごと転移させるなど勇者しか出来ないことです。

 勇者イスラにとってアロカサルを人間界に戻すことはそれほど難しいことではありません。幼い子どもとはいえ三界の王、魔力を解放すれば可能です。

 でも問題はその次。アロカサルを人間界に転移させれば、そこに出来た次元の穴を通じて冥界が出現します。アロカサルを守り、冥界を退けるのは容易ではありません。

 はたしていったいどうするのか……。


「ハウスト、イスラは大丈夫でしょうか」


 不安で心が落ち着きません。

 イスラは勇者なのだから大丈夫と思いたいけれど、私にとってイスラは勇者ではなく子ども。私の子どもです。


「大丈夫だ。魔界も精霊界も態勢を整えている。なによりイスラは勇者で、俺と同じ三界の王だ」

「はい……」


 ハウストを信じています。

 そしてイスラの力も。

 でもどうしてでしょうか。ひどい胸騒ぎがするのです。

 不意に、ハウストの表情が険しいものになりました。

 晴れていた空に灰色の雲が広がりだし、稲光をともなって渦を巻く。

 異界で見たような不気味な空。


「ブレイラ、俺の側へ」

「はい」


 行くと、側へとそっと肩を抱かれました。


「来るのですね」

「ああ。お前は下がっていろ」


 ハウストが空を睨んで言いました。

 司令部の士官たちに緊張が走り、俄かに慌ただしくなる。

 そして。


「来たぞ!!」


 士官の一人が声をあげました。

 アロカサル跡地に紫電の魔法陣が出現します。

 勇者の力を帯びた魔法陣は砂漠を覆うほどに広がり、そこに異界に転移していたアロカサルの都が丸ごと出現しました。

 アロカサルにはイスラや都の人々がいるはずです。


「イスラ!」


 思わず前に出た私をハウストの手が制止する。

 ハウストを見上げると、彼は厳しい面差しで空を睨んでいます。

 そう、来るのです。冥界が。


 ピシャアアアアアアアン!!!!


 それは大地を破壊するような稲妻とともに始まりました。

 灰色の、いえ、もはや夜のように真っ黒な空。黒い雲全体に稲光が蜘蛛の巣のように走り、空に亀裂が走る。

 亀裂は広がり、空が――――裂ける。


「こんな事がっ……」


 愕然と空を見上げました。

 空の裂けた隙間から見えるのです、巨大な大陸が。

 まだ大陸の先端しか見えませんが、裂けた隙間を抉じ開けようとしている。

 このまま空を裂いてしまうのかと思われた時、アロカサルの方から一本の光柱が空へ立ち昇りました。


「イ、イスラ! どうしてイスラがあんな所にいるんですか!! なぜ早く避難しないのです!!」


 そう、アロカサルの城壁にイスラが立っていたのです。

 冥界と対峙する最前線。たった一人で立っているのです。

 サァッと全身の血の気が引く。

 なんのつもりで、どうしてあんな場所に立っているのか、考えるのが恐ろしい。

 その答えはなんとなく知っているけれど、納得できるものではありません。そんなの許しません!


「早くイスラをっ、いえ、私が迎えに行きます!!」

「待てブレイラ!」

「嫌です! あんな所にいては危険じゃないですか! 早く迎えに行かないとっ!」


 待ってなんていられません!

 早く、早くイスラのところに行かなければ、イスラが巻き込まれてしまうじゃないですか!

 ハウストの腕を振り切って駆けだそうとしました。

 でもすぐに腕を取られて両肩を掴まれる。


「落ち着けブレイラっ」

「離してください! これが落ち着いていられるわけないでしょう! 離してください!!」


 早く離してください。でないとイスラが冥界と対峙してしまう。

 そんなの嫌ですっ。駄目です!!

 頭が真っ白になって、気持ちがぐるぐる回って、心臓が嫌な音で鳴っている。

 イスラの元へ行きたくて、ハウストの手を引き剥がそうとしました。でも。


「ブレイラ!!!!」

「っ!」


 一際強い声に体が強張る。

 ハウストは恐いほど真剣に私を見ていました。

 強張ってしまう私に彼はなにか語りかけようとし、でも黙ったまま私の腕を掴む。そしてそのまま士官たちに的確な命令を下しだしました。


「精鋭部隊はアロカサルの民の救出を急げ! 陸軍は冥界の怪物を一匹残らず迎え撃てっ!! 決して人間界に解き放つな!!」


 ハウストの命令に士官たちが迅速に動きだす。

 見れば空が裂けた隙間から冥界の怪物が這い出ている。

 何百何千もの怪物たち。まるでこうなるのを待っていたかのような数です。

 冥界が抉じ開ける隙間から怪物たちが溢れでて、人間界を目指して急降下してくる。

 それを迎え撃つために陸軍が動きだしました。

 今や砂漠は戦場と化し、激しい怒号や悲鳴が轟きだす。剣と剣がぶつかり合う音、地面を揺らすような爆発。ついさっきまで静かな砂漠だったのが嘘のような光景です。

 ハウストは私の腕を掴んだまま司令部から砂漠の戦場を見下ろします。

 彼が戦場に向かって手を翳した刹那、彼を中心にして描かれた魔法陣が一瞬にして戦場へ広がりました。そして地上へ降り立った冥界の怪物たちが自爆するように爆発したのです。

 圧倒的な力。これが三界の王の一人、魔王の力の一端です。ハウストは何千もの怪物を一瞬にして一掃しました。

 けれど、もう片方の手は私の腕を掴んだままです。

 ハウストの手に、私は唇を噛みしめる。

 恐ろしい怪物を一掃するほどの力がありながら、彼は不安なのです。

 身のほどを忘れた私が、なんの力も持たない癖に、激情だけでイスラの元へ駆けだしてしまうのではないかと。


「……ハウスト、ごめんなさい……」


 私は腕を掴んだままのハウストの手にそっと触れました。

 彼を見上げると、少しだけ安堵の表情になってくれる。


「今はここにいてくれ。イスラを思うお前の気持ちも分かるが、……頼む」

「はい……」


 私の返事に安心したハウストはまた戦場を見据えます。

 先陣の怪物は一掃しても、怪物は次から次へと溢れるように襲いかかってきていたのです。

 ハウストはまたも手を翳そうとしましたが、イスラの異変に気付いて表情を顰める。

 空を抉じ開けて冥界がじりじりと近づいてきている中、イスラの纏う光が強くなったのです。

 そして光は渦となり、鋭い一矢となって冥界を迎え撃ちました。


「っく、なんて、凄まじいっ……」


 強烈な衝撃波が砂漠全土に、否、人間界全土に波紋のように広がります。

 ハウストは私を庇うように立ったままイスラを見据えて息を飲む。


「……まずい」

「え?」


 ハウストらしからぬ焦った様子に私の心臓が早鐘のように鳴りだす。


「ハ、ハウスト……、イスラは、何をしようとしているのですか?」

「迎え撃つつもりだ。冥界そのものを」

「冥界、を……?」


 絶句しました。

 冥界そのものを迎え撃つ……? 冥界とは一つの世界。世界そのものを、たった一人で迎え撃つと、そういうのですか?


「……そんなの、そんなの出来るはずがありませんっ。どうしてイスラがっ……」


 勇者はなんでも出来るということですか? 勇者でも生きているのです。死んでしまうこともあるのです。ましてやイスラは子どもだというのにっ。


「ハウスト、私は、どうすれば……」


 声が震えました。

 いえ、声だけではありません。カタカタと全身が震えている。

 でも無情にも冥界は迫り、それを押し戻すためにイスラは更なる力を解放してしまう。

 それ以上の解放は駄目なのに、眩い光と凄まじい衝撃波が襲いかかってくる。

 ハウストに守られなければ私など木の葉のように吹き飛んでいたでしょう。


「ブレイラ、大丈夫か?」

「ありがとうございます。でも、イスラがっ……」

「このままではイスラが反動を喰らうことになる」

「反動、どういうことです?」

「イスラは力の制御がまだ上手くできない。開放した莫大な魔力が跳ね返されれば、それを受け止めるのは難しいだろう」

「そんなっ、それじゃあイスラはっ」

「受け止められなければ体は消滅する」


 言葉を失くしました。

 それはイスラの死ということ。

 考えないようにしていた最悪の事態。それがハウストの口から告げられて頭が真っ白になりました。うまく、思考が、回らなくなる。


「ま、まって、まってください。イスラは、イスラはわたしの子どもなんです……っ。血はつながって、いませんが、……あの子はゆうしゃ、ですが、それでも、わたしの子どもで」


 うわ言のように言葉がついて出る。

 自分でもなにを言っているのかよく分かりません。イスライスラと焦るばかりで、なにも考えられないのです。

 震える手でハウストの腕を掴むと、ハウストの大きな手が覆うように包み込んでくれました。


「イスラを連れ戻す。あれは勇者だが、俺の子だ」

「ハウストっ……」


 唇を噛みしめる。

 泣いてしまいそうでした。

 ハウストも私と同じようにイスラを子どもだと思ってくれているのです。


「ハウスト、……ありがとうございますっ」

「今は勇者の力と冥界の力が反発して接近するのは難しいが、反動現象が起これば隙ができる。その隙にイスラを連れ戻す。だが、……いや、今はやめておこう」


 ハウストはそこで言葉を止め、地上へ接近する冥界を見据えました。

 途中で言葉を止めたハウストに切なさで胸が痛くなる。

 彼が止めた言葉の続き、それは三界のバランスが崩れるということ。反動を受けきれなければ、それは人間界の大地を破壊するでしょう。冥界によって人間界の領域が侵され、やがて魔界や精霊界にも侵蝕は広がることでしょう。

 それは許してはならないことです。


「……責めてください、私を」


 私は、イスラを連れ戻してくれるというハウストの言葉を喜んでしまうのです。

 それは、許されてはならない喜び。だってイスラを救う為に連れ戻すということは、多くの犠牲から目を背けるということ。


「お前はここで待て」


 ハウストは静かに言うと、司令部の士官たちに私の保護を命じてくれる。

 そして反動現象を見逃さぬように、イスラの力と冥界が衝突するアロカサルを見据えました。





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