七ノ環・破滅を呼んだ勇者1


◆◆◆◆◆◆


 異界・アロカサル。


「まてまてー!」

「きゃあっ、つかまるー! アハハハハハッ!!」

「こっちににげろ~!」


 多くの民衆が避難している部屋は沈鬱な雰囲気が漂っていたが、一角からは子どもたちの楽しげな声がしていた。

 その中にはイスラの姿もある。

 イスラは都の子どもたちと一緒に鬼ごっこや隠れんぼをして遊んでいた。

 ブレイラとお別れした時は寂しかったが、自分でここに残ると決めたのだ。

 ゴルゴスや砂漠の戦士たちに見守られる中、イスラは子どもたちと夢中になって遊んでいたがふと立ち止まる。

 一人の女の子が赤ん坊を抱っこして座りこんでいたのだ。

 先ほどまで一緒に遊んでいた筈なのに、気がつけばぺたりと座りこんでいる。抱っこしている赤ん坊をじっと見つめていた。


「なにをしている」

「……あかちゃんが、おかしいの」

「いもうとなのか?」

「うん、かわいいでしょ? でも、おかしいの」


 女の子がよしよしと赤ん坊を宥めるが、赤ん坊の呼吸は少し荒い。

 大きな声で泣いたりしていないが浅く呼吸する姿は平常時のそれではない。


「だいじょうぶだ。おれが、いいこいいこする」

「いいこいいこ?」

「そうだ。いいこいいこすると、あかちゃんわらうんだ」

「わあっ、すごいね!」


 女の子が嬉しそうに顔を輝かせた。

 イスラも満更ではなく、「まかせろ」と誇らしげだ。


「いいこいいこ」


 イスラはそっと手を伸ばし、赤ん坊の小さな頭をよしよし撫でる。

 しかし赤ん坊は苦しそうなままだ。


「ムッ。いいこいいこ、じょうずにしてるのに」


 ブレイラが自分にしてくれる時のように、優しく、優しくいい子いい子しているのに赤ん坊の様子が変わることはない。

 イスラが困っていると気付いたゴルゴスが駆け寄ってきた。


「イスラ様、どうしました?」

「あかちゃん、いいこいいこしたのに、わらわないんだ」

「これはっ……」


 赤ん坊を見たゴルゴスが息を飲む。

 赤ん坊の顔は青白く、呼吸も手足の動きも苦しそうなものになっている。


「どうした?」

「い、いえ、なにも……」


 動揺しながらも誤魔化そうとするゴルゴスにイスラはムッとする。


「はなせ」

「しかし」

「はなせ」


 幼いながらも有無を言わせない口調。

 ゴルゴスはイスラを見て息を飲む。

 そこにいたのは無邪気な子どもではなく、勇者だった。

 勇者の瞳で真っ直ぐ見据えている。

 ゴルゴスは観念する。勇者の契約者として勇者の命令は絶対。


「……この赤ん坊に、毒の影響が出てきたものと思われます」

「どく……」


 イスラは呟いて周囲を見回す。

 大人や健康そうな子どもに異変はないが、老人や幼い子どもは座りこんでしまっていた。


「しぬのか?」

「それは……」

「しぬのか?」


 繰り返されてゴルゴスは躊躇いながらも口を開く。


「時間の問題です。体の弱い老人や子どもから毒の影響が出てきています。今、魔王様とブレイラ様が人間界に戻って毒の元を断とうとしてくれていますが、予想よりも早く影響が出てきてしまいました」

「そうか」


 人間界に戻る時にブレイラは待っていろと言っていた。自分とハウストが戻ってくるのを待っていてほしいと。でも、子どもたちを守ってあげてほしいとも言っていた。

 イスラは赤ん坊を見る。


「くるしそうだ」


 赤ん坊の呼吸は細く、荒いものになっている。顔色も悪くてとても辛そうだ。

 次に女の子を見る。


「かなしそうだ」


 女の子は苦しそうな赤ん坊に今にも泣きだしそうな顔をしている。

 とても可愛い妹なのだと言っていた。


「どうすればいい?」


 イスラは問うたが、ゴルゴスは黙りこむ。

 しかしイスラは問いかけることをやめない。


「どうすれば、だれもしなないんだ?」

「それは……」

「にんげんかいにもどれば、なおるのか?」

「…………」

「なおるんだな」


 黙りこんだゴルゴスにイスラは確信する。

 ならばとイスラは集中して魔力を高める。

 自分なら都を人間界に戻せると知っていた。自分には、その力があると。

 イスラの魔力に気付いたゴルゴスが慌てだす。


「な、何をなさるつもりですか!」

「にんげんかいに、もどす」

「いけません!! それだけはしてはなりません!!」


 制止するゴルゴスにイスラはムッとした。

 このままでは都の人が死んでしまう。そんなことイスラだって分かるのだ。


「なぜだ。このままなのはダメだ」

「分かっています。ですが都を人間界に戻してはいけません。今戻すと、……人間界と冥界が繋がってしまいますっ。それだけは阻止しなければいけません!」


 ゴルゴスは必死に説得した。

 もし冥界が人間界に出現すれば、それは悪夢の時代の始まりである。

 冥界は三界から隔絶されていて、その存在はほとんど知られていない。しかし冥界に生息する怪物は伝説として語られるものが多く、その残虐さはいにしえの時代から書物に残っている。

 冥界はとても三界と共存できる世界ではなく、瞬く間に人間界を制圧せんとするだろう。そしてその侵略はやがて魔界や精霊界にも及ぶものだ。冥界が人間界と繋がれば、やがて三界そのものが滅びるだろう。


「みんな、しぬぞ」

「それでもです」


 イスラの言葉にゴルゴスは苦渋を浮かばせながらも、重く頷いた。

 たとえアロカサルの人々を犠牲にしたとしても、冥界を人間界に繋げる訳にはいかない。都の人々の命と三界の人々の命、その数は比べるまでもない。ここで一時の情に流されれば三界で多くの血が流れるだろう。そう、三界の大地を血で染めるほどの。

 もちろんそれはゴルゴスにとって身を切られるような苦渋の選択である。都の人々はゴルゴスを慕い、信じてくれているのだから。


「ゴルゴス」


 イスラが厳しい面差しでゴルゴスを見据える。

 幼いながらも、そこにあるのは勇者の瞳。

 しかしゴルゴスも目を逸らさなかった。相手は勇者とはいえ、これだけは阻止しなければならないことだ。


「アロカサルの民は俺を許さないでしょう。裏切られたと嘆き、憎悪のまま恨むでしょう。でも、構いません。むしろ俺は許されてはいけない」

「…………わかった」


 イスラがぽつりと答えた。

 少し泣きそうな顔をしているが、頷いてくれたイスラにゴルゴスは安堵する。

 勇者イスラは契約者の末裔である自分の気持ちを汲んだのだと。


「イスラ様、ありがとうございます。あなたの賢明さに多くの人間が救われるでしょう」


 イスラは頷き、次に顔をあげる。

 その顔にゴルゴスは目を見開いた。

 なぜなら、イスラの勇者の瞳は強い意志を宿したままなのだ。

 そして。


「つなげないようにすればいい」

「え?」

「つなげないようにすれば、だいじょうぶだ」

「イ、イスラ様、なにをいって……」

「だいじょうぶだ。めいかいがきたら、くるなって、ばいばいすればいい」

「……待ってください。追い返すということですか? 冥界という、一つの世界をっ。いくら勇者様でもそれはっ……」


 ゴルゴスは信じ難いとばかりに首を横に振る。

 勇者が口にしたのは、アロカサルを人間界に戻し、それに乗じて迫りくるであろう冥界を追い返すということだ。冥界という一つの世界を、物理的に、自らの力で。

 それは途方もない話しだった。

 でも、この目の前の幼い勇者はそれをするという。


「オレはつよい。だから、できる」

「いけません、そんな事が出来るはずがありません! もし勇者様の身に何かあったらどうするつもりですかっ!」

「ムッ。できる」

「駄目です! いくら勇者様でも危険です!!」

「できる!!」


 イスラが怒った。

 避難しているアロカサルの民衆を見回し、最後に悲しそうな女の子と泣いている赤ん坊で視線を止める。


「かなしそうだ。かなしいのは、だめだ」


 イスラは勇者の瞳で言い放った。

 その強い決意と、どこまでも純粋で透明な感情。

 それを目にしたゴルゴスは瞠目する。この勇者は子どもなのだと。


「じゃまするな。オレは、できる」


 イスラが魔力を集中させた。

 アロカサルを人間界に戻すのは勇者イスラにとってそれほど難しいことではない。

 問題は戻した後。アロカサルが戻れば穴が開き、その穴を抉じ開けて冥界がやってくる。


「オレはゆうしゃだ。オレはつよい」


 イスラはそう言うと集中した魔力を解放する。

 勇者の力がアロカサル全体を包み込み、都をまるごと人間界へ転移させたのだった――――。


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