十一ノ環・凍てつく国の深淵1
私とイスラを乗せた馬車がシュラプネルの門を潜ります。
護衛に囲まれた馬車は長い行列となり、都の大通りを進んで城へと向かう。
都の人々は物珍しさに大通りに詰めかけ、魔界の視察団を一目見ようと多くの人々が脇に連なっています。
「歓迎されている、……のでしょうか?」
「……どちらかというと好奇心だと思います。閉鎖的な北の国が魔界の視察団を受け入れるなんて、本来はあり得ないことですから。魔族を見たのも初めての人間が多いかもしれません」
そう答えてくれたのはエルマリスです。
シュラプネルに残ってくれていたエルマリスが先に出迎えてくれました。城に着くまでの間、シュラプネルの内情を報告してくれます。
「ブレイラ様が魔界に戻られてからシュラプネルの上層部は難民を保護することを決定しました。この方針転換は予想されているとおり魔界との距離を縮めるためでしょう。今回、ブレイラ様が招待されたのも、おそらく……」
「分かっています……」
私は頷いて苦笑しました。
魔王の婚約者になったことで政治的に利用価値があると判断されるようになりました。
それについては王妃になる為の講義でも注意を促されています。自覚するようにと。
「エルマリスは今まで難民の方々の待遇をシュラプネルに交渉してくれていたのですよね? どうでしたか?」
「難民の受け入れは比較的スムーズに進みました。元々この国は備蓄が潤沢ですし、国交を結んでいる他国にも支援要請を出しています」
「そうですか。ありがとうございます」
報告を聞いているうちに城門を潜りました。
騒がしかった大通りから整然とした敷地内へと入ります。そこからは兵士たちの列が出来ていました。
「……ブレイラ様」
城の入口が近づく中、エルマリスが改まった様子で私を見ます。
何ごとかと首を傾げた私にエルマリスは言い辛そうにしながらも口を開きました。
「城に入る前にお伝えしなくてはならないことがあります。……まだ確信を得ていませんがモルカナに侵入していた冥界の者たちは、どうやら北方から来ていた可能性があります」
「え……」
冥界。その不穏な言葉に息を飲みました。
モルカナの一件で冥界の存在を知り、その侵入経路をアベルとエルマリスは調査してくれていたのです。
「そのことにフォルネピアが関わっているかは不明です。現在冥界に関する情報は入ってきていません。北方にはここ以外にも国がありますし、もしかしたら国は関わっていない可能性も十分考えられます。しかし……」
そう言いながらも、エルマリスは言葉とは裏腹な表情をしていました。
でも言い辛そうにしながらも言葉を続けてくれます。
「フォルネピアは閉鎖的な北の国々の中でも比較的国交を結んでいる国が多く、モルカナもその中の一つです。かといって友好的かと聞かれれば……難しい点も幾つかございます。恥ずかしい話ですが、国交を結んでいても謎めいた印象を拭えません」
「そうですか……」
国交を結んでいる国に対してこのような物言いは抵抗を感じるもののはず。
それでも私を心配してくれる気持ちが嬉しいです。
「僕もフォローしますが、十分気を付けてください」
「忠告感謝します。ふふふ、あなたにこうして心配されるとは」
モルカナ国で初めてエルマリスと出会った時のことを思い出します。その時のエルマリスは私への敵がい心を隠そうともしていませんでしたから。
そんな私にエルマリスは苦笑しながらも軽口を忘れない。
「特に振る舞いに気を付けてください。開き直ったあなたは魔王様の婚約者とは思えぬ事をしますから」
「それは失礼しましたね」
ちょっとした応酬が懐かしくて互いに笑い合いました。
そうこうしているうちに城の正面入口で馬車が停車します。
踏み台が用意されて馬車の扉が開かれる。
先に降りた側近女官のコレットが手を差し出してくれました。
「どうぞ、ブレイラ様」
「ありがとうございます」
コレットの手を借りて馬車を降ります。
ゆっくりと顔を上げました。
そこにはシュラプネルの高官や大臣、数えきれないほどの従者がずらりと並んでいます。そして真ん中にいるのは王冠をかぶった恰幅の良い男。フォルネピア国王です。名はデメガル。
デメガルは柔和な笑みを浮かべて近づいてきました。
「ようこそ、フォルネピア国・王都シュラプネルへ。お待ちしていました」
「王みずからのお出迎えありがとうございます。お心遣い痛み入ります」
「とんでもありません。魔王様が寵愛されるブレイラ様の話しは、この辺境の地にまで及んでいます。噂に違わず夜の月のように美しい。その姿、拝見したく思っていました」
デメガルは愛想の良い笑みを浮かべ、好意的な雰囲気で出迎えてくれました。
つぎに私と一緒に馬車から降りてきたイスラの前で跪く。
「勇者様、お初にお目にかかります。フォルネピア国王デメガルと申します。ようこそ、王都シュラプネルへ」
デメガルの挨拶にイスラが無言のまま頷きました。勇者イスラは人間の王、国王に傅かれる存在なのです。
それにしても、つい最近まで閉門という判断をしていた国の王とは思えません。
そんな私の思いを察したのかデメガルが申し訳なさそうな顔になる。
「この度は私どもの政策のせいでブレイラ様には多くの心配をさせてしまいました。真に申し訳ない。しかしながら私も一国を治める王として民衆を守る責任がございます。難民をすぐに受け入れることは難しいことでした。ご理解頂ければ幸いに思います」
「分かっています。それなのに受け入れを決めてくれたのですね」
「私にも人の心がありますから」
「王の英断に感服致しました。ありがとうございます」
お辞儀すると、デメガルは「これは勿体ないっ」と大仰に慌てだす。
そして深々と一礼しました。
「今回は視察という名目ではございますが、どうぞごゆるりとお過ごしください。歓迎いたします」
デメガルはそう言うと、満面の笑みを浮かべて魔界の一団を受け入れてくれたのでした。
「おやすみなさい、イスラ」
「おやすみ、ブレイラ」
今にも眠ってしまいそうな掠れた声。
重そうな瞼がうとうとして、私はイスラの額にそっと口付ける。
黒髪を梳くように撫でているとイスラはすぐに眠っていきました。
可愛い寝顔に無意識に笑みが零れます。
寒くないように布団をかけ直すと、よく眠れますようにと願いを込めてまた額に口付ける。
イスラの寝顔をしばらく見つめ、ゆっくりと枕元から離れました。
「後はよろしくお願いします」
「畏まりました」
眠ったイスラを侍女に任せ、隣室の応接間に戻ります。
そこにはエルマリスとコレットがいました。
「ブレイラ様、お茶が入りました。エルマリス様がモルカナから持ってきて頂いていた茶葉で淹れてみました」
「それは楽しみですね。モルカナは人間界のあらゆる物が集まりますから」
「おかげ様で。最近は冥界が出現したせいで寸断された海路もありますが、この機会に新しく国交を結べた国もあります」
「さすがアベルですね。抜け目がないというか……」
「アベル様は無茶ばかりしますから」
そう言いながらもエルマリスはとても嬉しそうです。
モルカナ王になったアベルの側で働けることが嬉しいのでしょう。
私は猫足のソファに腰を下ろし、コレットの淹れてくれたお茶を一口飲む。
疲れた体に染み渡る香ばしいお茶の味わいにほっと吐息が漏れました。
「落ち着きます……。今日は疲れましたから」
「お疲れ様です。イスラ様もお疲れの様子でしたね」
「はい。ベッドに入るとすぐに眠っていきましたよ」
イスラが寝入った様子を思い出して苦笑します。
今日、シュラプネルに入った私たちはデメガルから歓迎され、式典や夜会など一日中催しものに出席していました。
視察とは名ばかりの招待だと分かっていましたが、今日一日だけでとても疲れてしまいました。勇者であるイスラももちろん参加で、夜会の途中から眠気に襲われてふらふらしていたくらいです。
「でも明日はいよいよ視察です。その後は、契約の末裔の方と会えるように手配して頂けました。明日も忙しくなりそうですね」
明日は難民が一時的に身を寄せている施設を視察する予定です。
その後はいよいよ勇者の宝を持っている契約者の末裔と対面します。楽しみなのと同時に緊張します。だって契約者の末裔はイスラにとって大切な方々ですから。
「エルマリス、ゼロという少年の情報は入っていませんか? 難民の方々と行動を共にしていると思うのですが」
「残念ながら……。ブレイラ様、もう一度確認したいのですが、ゼロという子どもはイスラ様と同年代くらいの、紺色の髪をした子どもですよね?」
「そうです。藍色より深い色合いの髪色でした。少し無口な子どもですが、難民に混じってたった一人でここまで来たようです」
そう答えた私にエルマリスは困ったような顔をしました。
そして言い辛そうに口を開く。
「……大変申し上げにくいのですが……、難民からも聞き取りをしたところ、そのような子どもは知らないそうです。誰に聞いてもゼロという子どもを知っている者はいませんでした」
「えっ? そんな筈はありませんっ。コレット、あなたはゼロを見ましたよね?」
同意を求めてコレットを振り返りました。
しかしコレットもなんとも複雑な表情をしていました。
「……は、はい。たしかにブレイラ様は見知らぬ子どもを連れていたようでしたが、その、特徴があまり思い出せないんです……。紺色の髪だったと言われればそうかもしれませんが……」
「そんなっ……」
二人の言葉に愕然としました。
たしかにゼロはいました。二人で流れ星を見た時のことをよく覚えています。
でもランドルフやエルマリスがこれだけ探しているのに見つからないというのも不思議でした。
ゼロはたしかにいたのです。それなのに、まるで幻だったかのように見つからない。それどころか、最初からゼロという子どもはいなかったかのように……。
いいえ、そんなはずありません。ゼロはたしかに存在しました。私の両腕は抱っこした時の、あの甘い重みを覚えています。
でもこうして納得できずにいる私に、エルマリスとコレットは困ったように顔を見合わせたのでした。
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