十ノ環・四大公爵会議7

「次は東の大公爵を紹介しよう。名はグレゴリウス」


 続いて紹介されたのは東の大公爵グレゴリウスです。

 腰まで長い黒髪を高い位置で一本に縛り、鋭い刃のような面差しが特徴的な壮年の男でした。

 張り詰めた糸のような空気を纏ったグレゴリウスは、腰に変わった形の剣を携えています。書物で見たことがあるそれは、えっと、思い出しました。刀、という剣ですね。達人の領域になると見えないほどの速さで抜刀することも可能だそうです。

 グレゴリウスは畏まった態度で口を開く。


「お初にお目にかかります。私は当代魔王ハウスト様の忠実なる臣下。よってブレイラ様にも忠誠を誓うべくまかり越しました。魔王様がブレイラ様の為に命を捨てよと命令されれば躊躇いなく捨てる覚悟はできてございます。私を自分の手足と思いなんなりと使い捨てください」

「え? ええっ、あの……」


 真剣さに圧倒されて後ずさってしまいます。

 重すぎる挨拶に困惑しました。本気だと分かるからこそちょっと怖いです。


「驚かせてしまったな。大丈夫だ、グレゴリウスはそういう男でお前を驚かすつもりはない」


 ハウストがフォローしてくれましたがグレゴリウスは真剣な顔のままです。


「嘘偽りない心を述べたまで」

「ああ、分かっている。ブレイラを頼んだぞ?」

「はっ、身命を賭しても必ず」


 グレゴリウスは胸に手を当てて誓いました。

 終始畏まった態度のグレゴリウスに圧倒されていると、南の大公爵が笑いだしました。


「グレゴリウス、お前の真剣な顔は怖いのだ。ブレイラ様を驚かせてどうする」


 南の大公爵が呆れた様子で言いました。

 彼はグレゴリウスと同年代のようですが、纏っている雰囲気はまったく正反対です。軟派というか軽いというか……。


「失礼しました、ブレイラ様。グレゴリウスは先代魔王の時代、奥方が先代魔王にあらぬ疑いをかけられて処刑されそうになったことがあるんです。それを助けたのが当代魔王のハウスト様で、それ以来絶対忠誠を誓っているんですよ」


 南の大公爵はそう教えてくれると、私に向かって恭しく一礼しました。


「初めまして、リュシアンと申します。以後お見知りおきを」


 リュシアンと名乗った南の大公爵は優雅な動作で私の手を取りました。

 紳士然とした彼は手の甲に挨拶の口付けをしようとします。

 慣れない挨拶に驚いて手を引きそうになります。でも寸前で押し止まりました。こういった挨拶も平然と受けなければならないと礼儀作法の講義で勉強したのです。

 でも私が覚悟を決める前にリュシアンが顔を上げました。

 にこりと甘く微笑し、私の手をゆっくりと離します。


「やめておきましょう。あなたは三界で最も尊い存在の母であり、伴侶になる御方。畏れ多くございますから」

「は、はい……」


 気遣われてしまったのでしょうか。

 リュシアンは優しい微笑を浮かべています。

 それに安堵しましたが、目が合って息を飲む。

 目が合った瞬間、リュシアンの瞳が冷ややかに私を見たのです。

 まるで排除するようなそれ。

 私が浅はかでした。私は気遣われた訳ではないのです。

 昨夜のエンベルトの言葉を思い出す。魔界を滅ぼす、という言葉を。

 ハウストの手前、誰も私を邪険にしません。でもその心の内は別なのです。

 この居並ぶ四人の四大公爵、そして傍聴席にいる数えきれないほどの魔族の方々に、心と体が縮こまってしまいそう。

 自分がすべての魔族に歓迎されている訳ではないということを、改めて思い知った気がしたのです。

 そんな中、ハウストが皆の前で私の手を取って隣に並ばせました。


「ブレイラはこの後、シュラプネルの招待を受けて視察へ行くことになっている。エンベルト、あの辺りにはお前が管理下においている土地もあったな」

「ああ、希少な苔が生息していてね。人間界の土地だが禁域として私が管理している」

「シュラプネルに睨みを利かせておけ。開門して外部を招致しているが信用しているわけじゃない」

「承知いたしました」


 エンベルトの返事にハウストは頷き、私に向き直る。

 その表情は真剣なものです。

 私が単独で視察へ赴くことを心配してくれているのですね。


「ブレイラ、ここでお前に渡しておきたい物がある」

「なんでしょうか」

「指輪だ。本来なら婚礼の儀式で渡すものだが、今は平常時ではない。だから今、お前に渡しておきたい」


 そう言って彼が取り出したのは鳶色の鉱石が嵌められた指輪でした。

 その指輪に四大公爵は驚愕し、傍聴席の観衆がざわめきだす。


「魔王様、その指輪はっ……」


 リュシアンが息を飲んだのが分かりました。

 他の大公爵たちも緊張した面持ちで指輪を凝視しています。

 その反応だけで、これが普通の指輪でないことが分かりました。

 でもハウストは何でもないような様子で答えます。


「環の指輪だ。三界の王が王妃に贈る指輪、お前も知っているだろう?」

「そ、それは、そうですが……」


 言い澱むリュシアンにハウストは不快そうに顔を顰める。


「ブレイラは俺の婚約者だ。いずれ王妃になる身、この指輪を渡しても問題ないだろう」


 遅いか早いかだけの違いだと、渡すのが当然のような口振りでハウストが言いました。

 そう、彼は当然のように、なんともない事のように、その指輪を私に贈ろうというのです。

 ハウストの手の中にある指輪を見つめました。

 鉱石の色は鳶色。彼の瞳の色。それは環の指輪。

 この指輪はハウスト、あなたの力の一部なのですよね。

 力の一部を私に贈ろうというのですね。

 それはこの厳しい時勢において、魔界を危機に陥れる可能性のある行為なのですよね。

 指輪を贈る行為の意味を誰よりも理解しているのに、それでもあなたは私にこれを贈ろうとしてくれるのですね。


「ブレイラ、これはお前を守る指輪だ。俺が常にお前の側にいられるように」

「ハウスト……」

「受け取ってくれるな?」


 ハウストが私の左手を取りました。

 そして薬指にそっと嵌めようとした時。


「待ってください!」


 咄嗟にハウストの手を掴んでいました。

 彼は指輪を持ったまま目を丸めています。


「ブレイラ?」

「す、すみませんっ……」


 はっとして謝りました。

 私だって、どうして制止したのか分かりません。

 四大公爵や魔界の方々に認められていないからでしょうか。

 ……いいえ、違いますね。

 たしかに気になります。認められないのは寂しいことです。私だって祝福されてハウストと結婚したい。

 しかしそれがなんだというのです。誰に反対されてもハウストから離れてあげません。そもそもハウストと私の関係を最初から良くないと思っている方が多いのに、それくらいで諦める訳ないじゃないですか。誰に認められなくてもハウストが愛してくれている限り、私はハウストと結婚します。そう決めています。

 でも。

 私はハウストを見つめ、宥めるように笑いかけました。


「ハウスト、その指輪は婚礼の時にしませんか?」

「……何故だ。俺は今だから渡したいんだ」


 私の提案に彼は訝しげな顔をしました。

 ありがとうございます。

 大切な指輪を迷うことなく私に贈ってくれる。それだけで涙がでるほど嬉しいです。

 でも、今はやめておきましょう。

 だって、あなた、魔界を愛しているじゃないですか。

 あなたの大切な魔界を滅ぼす可能性があるなら、今これを受け取ることはできません。

 誰の為でもなく、あなたの為に。


「お気持ちありがとうございます。私を心配してくれているんですね。あなたの力の一部をくださるほど」

「当たり前だ」

「ふふふ、嬉しいです。でもたくさん護衛をつけてくれているじゃないですか」

「足りないと言った筈だ」

「充分ですよ。とても心強いです」


 彼は渋面のまま私を見ています。少し拗ねているように見えるのは気のせいではありませんね。


「ブレイラ、受け取れ」


 またハウストが私の手を取って指輪を嵌めようとしてくれます。

 私は両手で手を握り返しました。

 そしてハウストの大きな手を両手で包み、そっと口付けます。


「婚礼が待ち遠しいです。早くあなたと結婚したい」

「……誤魔化すつもりか?」

「いいえ、心からの言葉です。あなたを愛しています」

「ブレイラ……?」


 驚くハウストに笑いかけました。

 愛しているから、あなたの大切な魔界を滅ぼしたくありません。

 魔界を守る為に、魔王の力の一部を欠けさせる訳にはいきません。それほどに今の三界は窮地にあるのですよね。


「心配しないでください。私は必ずあなたの元に帰りますから」


 そう言って宥めると、ハウストは不満を隠さないまま指輪を持つ手を下げました。

 彼を見上げると目が合います。やっぱり少し怖い顔をしていますね。


「怒っていますよね?」

「ああ」

「ごめんなさい。でも、すべてが終わったら」

「お前は我儘だな」

「嫌いにならないでください」

「……どうやってなるんだ」


 ハウストは諦めたように一笑し、私に手を伸ばす。

 頬をひと撫でしてそっと口付けてくれました。


「……本音は行かせたくないが」

「私を王妃として迎えてくれるなら、こういった視察も大切なお役目ですよね?」

「ああ、仕方ない……」


 ようやくハウストが根負けしてくれました。

 私は彼に笑いかけ、四大公爵や傍聴席の観衆を見る。

 ハウストの前なので誰もが黙っていますが、今この大広間にいるほとんどの魔族が安堵したことでしょう。

 勘違いしないでほしいです。あなた方の為に受け取らなかったわけではありません。ハウストの為です。


「それでは私はフォルネピア国・王都シュラプネルへ参ります」


 私は皆にお辞儀して最後にもう一度ハウストを見つめると、イスラとともに魔界を出発したのでした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る