九ノ環・氷の大公爵5
皆が寝静まった深夜。
銀世界の夜はあまりにも静寂で、ふっと目を覚ましてしまいました。
当然イスラは眠っていて、そのあどけない寝顔に頬が緩みます。
次に反対側を見て驚きました。
「……あなた、起きていたんですか?」
ゼロは起きていたのです。
天井を見つめていた蒼い瞳がゆっくりと私に向けられる。
見張り番の兵士しか起きていないような夜更けだというのにぱっちり開いた瞳。どうやらずっと起きていたようです。眠りの途中で目覚めてしまったのか、それとも本当は最初から眠れなかったのか。
「眠れないのですか?」
「…………」
返事は返ってきません。
相変わらず無口ですね。
「一人でずっと起きていたのですか?」
「…………うん」
おや、ようやく反応が返ってきました。
必要最低限ですが嬉しいものですね。
「ひとりで、いた」
「そうですか。それは寂しかったですね」
「…………」
ゼロは首を傾げました。
わからない、と不思議そうに首を傾げている。
その反応に胸が張り裂けそうになりました。
だって、分からないと答えたのです。この幼い子どもは……。
「知ってますか? 寒い夜は星が綺麗に見えるそうです。もしかしたら流れ星も見れるかもしれませんね」
「…………」
「一緒に確かめに行きましょう」
私はベッドから降りて手を差し出しました。
イスラならぴょんっとしがみ付いてくるところですが、ゼロは無言のまま私を見つめているだけ。
それは予想済みです。だから強引に連れ出してあげます。
「来なさい、抱っこして連れて行ってあげます」
「わっ」
小さな子どもの体を強引に抱っこしました。
ベッドから連れ出して、抱っこしたまま私の外套で包んであげます。一つの外套に二人で包まると二倍温かいですね。
「さあ行きましょう」
そう言って出口に向かうと、ゼロは驚いたままイスラが眠っているベッドを見ます。気にしてくれているのでしょうか。
「大丈夫です、少しだけですから。でも内緒にしてくださいね」
「……ないしょ?」
「はい、内緒です。あなたと私だけの秘密です」
そう言って笑いかける。
イスラも一緒に連れていきたいですが、起こしてしまうのは可哀想です。でも眠っている間に出掛けたなんて知られたら、きっと拗ねてしまうでしょう。
「ないしょ……。ふたりで、ないしょっ……」
どうやら内緒という言葉が気に入ったようで、ゼロは頬を紅潮させて繰り返しています。
その様子に小さく笑んで、私はゼロを抱っこして天幕から出ました。
外に出た私たちに見張り番の兵士が何ごとかと駆け寄ってきてくれます。
「何か入用でございましたか?」
「いいえ、外を出歩きたかっただけです。遠くへ行きませんから大丈夫ですよ」
兵士にそう答えてゼロを抱っこしたまま歩きました。
赤々と燃える焚火の周りにはぽつぽつと難民の姿があります。体は疲弊しきっている筈なのに、眠れぬ夜を過ごしているのでしょう。
私はゼロを抱っこして焚火の明かりから少し離れた場所まできました。
そこで夜空を見上げ、満天の星空に息を飲む。
星空なんて珍しいものではないはずなのに、夜の銀世界に瞬く星は一つ一つがとても明瞭で美しい。
「素晴らしいですね。雲一つなくて、空気が澄んでいるからでしょうか。ほら、あなたも見えますか?」
ゼロが頷いて、じっと星空を見上げます。
その横顔に口元が綻びました。
初めて出会った時よりも幾分か表情が柔らかくなっています。
「星が降ってきそうです。流れ星が見られるかもしれませんね」
「あれ」
ふと、ゼロが広い夜空の一か所を指さしました。
そして、スゥッ、と流れ星が一つ。
「あ、流れ星です! すごいっ、よく分かりましたね!」
「……あそこ。そっちも。あれも」
「えっ、うそですよね! すごいっ、こんなに流れ星が!」
ゼロが立て続けに流れ星の軌跡を言い当てました。
すごいです。銀世界の夜空は星がよく見えるとはいえ、こんなに流れ星を見つけられるなんて。
ゼロはひとしきり流れ星を言い当てると、今度は私をじっと見つめてきました。
澄んだ蒼い瞳。不思議な瞳ですね、まるでこの夜空の星のようです。
「どうしました?」
「……どうすればいい?」
ゼロがぽつりと言いました。
なんのことか分からないでいる間に、ゼロは私を見つめたまま続けます。
「どうすれば、いっしょ?」
「…………えっと、私と、ですか?」
ゼロがこくりと頷く。
これは驚きました。まさかゼロがこんなことを言い出すとは。
私をじっと見つめている蒼い瞳。
この幼い子どもに、はい、という返事以外を与えたくありません。
でも、冥界の災厄で孤児になったのはこの子ども一人ではないのです。世界には数えきれないほどの不運と不幸があり、それは子どもにも容赦なく降り注ぐもの。
孤児だった私もそれをいやというほど知っています。世界は無情で、孤独とは途方もない絶望なのだと。
そしてこの子どもも独り。孤独は寂しいものだと知らないくらい、孤独が当たり前だと思っているのです。
私と一緒です。私も独りでした。寂しさがなにか分からないくらいに孤独が当たり前だと思っていました。そんな私にそれを教えてくれたのはイスラとハウストです。
たしかに世界には数えきれないほどの不運と不幸があって、それを平等に救うことなど不可能でしょう。
でも今、目の前には子どもがいて、この子どもは私に手を伸ばしている。私はこの子どもを両腕に抱いて、甘い重みと温もりを感じている。それは紛れもない真実で、目の前にある事実。
「一緒にいましょう。ずっと」
私はゼロを見つめて言いました。
ゼロは驚いたように目を丸めます。おかしいですね、自分で一緒にいたいと言った癖に。
笑いかけて、ゼロを抱きしめる腕に力を込めました。
「ふふふ、なにを驚いているのですか。あなたが一緒にいたいと言ってくれたのに。それとも、やっぱりいやになってしまいましたか?」
ゼロが慌てて首を横に振って、私は思わず笑ってしまう。
ゼロを抱きしめて大切なことを伝えます。
「あなたと私がこれから一緒にいる為には、いろいろな方の許しを得なければなりません」
たとえ相手が子どもでも無責任なことは言えません。こんな大切なことを誤魔化したくありません。
だから、一緒にいるとはどういうことなのか、なにが必要なのか伝えました。
でもゼロには少し難しかったようで首を傾げてしまいます。
「……ふたりなのに?」
「二人ではありませんよ。私だけじゃなくてイスラやハウストも一緒です。ハウストというのは私の婚約者で、とても優しい人なんです。きっとあなたを大切に思ってくれますよ」
「いらない」
「そんなこと言わないでください。イスラやハウストも一緒の方が楽しいですよ?」
「いらない」
「それは困りました」
頑ななゼロに苦笑してしまいます。
頑固そうなところがイスラに少し似ていますね。きっと仲良くできるでしょう。
「そろそろ部屋に戻りましょう。明日から忙しくなりそうです」
まずゼロの身元確認をして、その後はハウストたちにお話ししなくてはなりません。
ハウストはとても驚いて、眉間に皺をつくって、でも最後はきっと許してくれるでしょう。
私はゼロに笑いかけると、イスラにするのと同じようにゼロの額に口付ける。
するとゼロは驚いたように額に両手をあてて、目をぱちぱちさせて私を見ました。
あなた、可愛いですね。大好きになりましたよ。
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