九ノ環・氷の大公爵6


「イスラ、そんなに拗ねないでください。謝りますから、こっちを向いて」


 ずんずん先を歩いて行ってしまうイスラをゼロの手を引いて追いかけます。

 イスラの小さな背中が「おこってるぞ!」と語っていて、呼びかけても振り向いてくれません。

 そう、昨夜のことがイスラにばれてしまったのです。

 昨夜ゼロと一緒に天幕に戻るとイスラは起きていました。ベッドで正座して待っていたイスラの怖い顔や、「どこへいっていた」と言った時の不機嫌な声ときたら。ハウストの怒っている時と少し似ていましたよ。

 でもそれからずっと怒ったままです。

 朝になっても、朝食の時も、今もです。今、私とイスラとゼロは三人で朝食後の散歩に出ているわけですが……。


「イスラ、機嫌を直してください。ね? 帰ったらイスラの好きなお菓子を焼いてあげます」


 イスラの足がぴたりっと止まりました。

 もしかして機嫌を直してくれるかもしれません。


「…………パイも?」

「はい、あなたの大好きなりんごのパイも、はちみつのパイも作ってあげます」


 イスラの肩がぴくっと反応しました。

 おずおずと私を振り返ります。


「……クッキーも?」

「たくさん焼いてあげます。しっとりクッキー好きですよね?」

「すき。チョコレイトもすき」

「甘いチョコレイトを作ってあげます。チョコレイトを練りこんだクッキーとパンも焼いてあげましょう」


 大盤振る舞いです。

 するとイスラの顔がぱぁっと輝きました。


「ブレイラ~!!」


 駆け寄ってきたイスラが私の足にぎゅ~っとしがみ付いてきました。

 嬉しくなってイスラを抱きあげます。


「機嫌を直してくれましたね。もう怒っていませんか?」

「おこってない!」

「ふふ、よかったです」


 私は抱き上げていたイスラを下ろすと、右手にゼロ、左手にイスラ、二人と手を繋ぎました。

 イスラは私越しにゼロをちらちらと気にしていますが、ゼロがイスラを気にする様子はありません。仲良くしてくれるといいのですが。

 私たちは林の雪道を歩きました。

 雪化粧の林は美しいけれど、雪が降り積もった道は滑りやすいので要注意です。

 しばらく歩いて日溜まりの場所に出ました。

 ぽっかり開いた空間に陽射しの光が満ちて、反射した雪がキラキラと輝いています。


「綺麗ですね。宝石みたいに輝いています」


 三人で眺めていると、ふと樹の幹にあるものを見つけて息を飲む。

 驚きました! 感激しました!


「まさか、こんな所で見つけるなんてっ!」

「ブレイラ?」

「…………」


 突然感動しだした私をイスラとゼロが不思議そうに見上げてきます。


「ふふふ、教えてあげましょう。ここを見てください。幹のこの部分に苔があるでしょう? この苔はとても珍しいもので、私も図鑑でしか見たことがないんですっ。それが、こんな所で本物を見られるなんて!」


 私はハウストと魔界に行くまで薬師をして生計を立てていました。

 これでも薬草の知識には結構自信があります。

 この苔がいかに貴重で珍しいものかイスラとゼロに語ろうとした時。


「それの希少価値の高さを知っているとは、人間にしてはなかなか勉強しているようだ」


 ふと背後から声を掛けられました。

 振り向くと、そこに立っていたのは白髪の老紳士が一人。

 仕立ての良い外套を羽織った老紳士は貴族のような気高い気品を醸し出していました。

 鼻下で整えた白髭を撫で、私を、いえ、苔を見て満足そうに目を細めています。


「よく育っている。素晴らしい出来栄えだ!」


 老紳士は私たちなど見向きもせず、両手を広げて樹に向かっていきます。

 その勢いに押されて樹の前を譲ると、老紳士は苔に顔を近づけて「なんて馨しい……」とくんくん匂いを嗅いで酔いしれていました。

 声を掛けようとして、先に老紳士がじろりっとこちらを振り返ります。


「君たちはこの区域一帯が禁域だと分かっていて踏み込んだのかね?」

「え、禁域だったのですか?」

「この希少性の高い苔を保護するための禁域だ。私の土地だよ」

「それは申し訳ありませんでした! 散歩していて、つい」


 慌てて謝った私に老紳士はなんとも呆れた顔でため息をつきました。

 知らなかったとはいえ不法侵入してしまっていたようです。

 改めて謝ろうとしましたが――――。


「キャーーーー!!」

「ば、化け物だあああ!!」


 林に響いた凄まじい悲鳴。

 難民がいる方角からでした。


「な、何ごとですか?! 行きましょう!!」


 はっとしてイスラとゼロの手を握りしめる。

 悲鳴の方角へ咄嗟に駆け出しました。

 背後から老紳士の呼び止める声が聞こえましたが、たくさんの難民を放っておけません。

 急いで戻ると、そこで目にした光景に息を飲む。


「オーク?! どうしてこんな所に……っ」


 そこにいたのは冥界の怪物オークでした。

 難民たちがいた場所がたくさんのオークに襲撃されていたのです。

 幸いにも精鋭部隊や武術の心得のある女官や侍女たちが応戦していますが、あまりに突然の事態に恐怖で体が強張ってしまう。


「ブレイラ様、ご無事でしたか!」

「コレット!」


 コレットが私に気付いて駆けてきてくれました。

 側に来たコレットは私の無事を確かめて安堵してくれる。


「怪我はないようですね。安心しました」

「はい、私は大丈夫です。それよりどうしてオークがここに? それに難民の方々はどうなっていますか?」


 普通の人間である難民に戦う力はありません。でも今、ここは敵味方入り乱れる混戦状態で兵士たちが必死にオークと戦っています。


「突然冥界の魔法陣が出現し、そこから数えきれないほどのオークが出現しました。でもご安心ください、難民は我々が保護しています」

「そうなんですね、ありがとうございます」

「戦闘は我々の優勢で進んでおりますがオークの数が多く、殲滅まで多少お時間を頂きます。それまで安全な場所に隠れていてください。誘導いたします」

「お願いします」


 私はイスラとゼロとともにコレットの後に続きます。

 どうしてオークがこの場所に出現したのか分かりませんが今は逃げなければなりません。

 オークに見つからないように木陰に隠れながら逃げました。

 しかし数で優勢なオークは目敏く、私たちに気付いてニタリと歪んだ笑みを浮かべる。


「ここにいたぞ!!」

「捕まえろ!!!!」


 一体のオークが声を上げると、他のオークたちも反応して一斉にこちらに向かってきました。

 襲い掛かってきたオークをコレットが剣で切り伏せます。

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