九ノ環・氷の大公爵7
「オーク如きが無礼な! ブレイラ様、こちらへ早く!」
「はい! っ、イスラ、何をしているんですか?!」
イスラが私の手を振り解いてオークと対峙しました。
その姿、何度も見ています。
頼もしい勇者の姿。だけれど私にとってそれだけじゃない。
「オレもたたかう」
「駄目です! 相手は冥界の怪物です!」
「だいじょうぶだ」
「だからってっ……」
たしかにイスラなら大丈夫なのでしょう。でも万が一ということもあるではないですか。
動揺する私をコレットが急かします。
「ブレイラ様、早く逃げてください!」
「待ってくださいっ。イスラを置いてここを離れろというのですか?!」
「もちろん離れるべきだろう。この場において君は無力で邪魔でしかない」
呆れた声がしたかと思うと、―――ドドドドドドドドドッ!!!!
「ギャアアアアアアアア!!!!」
「グアアアアアア!!!!」
突如、オークたちに氷の刃が豪雨のように降り注ぎました。
オークが断末魔をあげてばたばたと倒れていきます。
そして私の前に先ほどの老紳士が現れる。
「あなたはさっきの」
「ここは私の土地だと言っただろう」
当然のように言った老紳士に、私はなんて答えていいか分からず困惑してしまう。
でもコレットや周囲の兵士たちは老紳士を見て驚愕しています。
「エンベルト様?!」
「エンベルト様ではありませんか!」
皆が口々に老紳士の名を口にしました。
まさかの展開にますます困惑してしまいます。
エンベルトは皆の注目も意に介さず、涼しい顔で生き残ったオークたちを流し見る。面倒くさそうにため息をつきました。
「後は君がなんとかしろ。ランドルフ」
「そう言うと思ってましたよ。エンベルト様」
答えたのはランドルフ。
いつの間にか巨大な戦斧を担いだランドルフが立っていました。
ランドルフは私を見ると恭しく一礼する。
「これはこれはブレイラ様、ご無事でなにより」
「ランドルフ様! どうしてあなたが人間界に?」
「それは後です。今はどうぞ後ろに。ブレイラ様の視界を穢した醜きオークは、このランドルフめが成敗いたしましょう」
ランドルフは巨体に似合わぬ優雅な口振りでそう言うと、戦斧を振り上げ……一気に振り下ろす!
「オラアアア!!!!」
ゴオオオオオオオオ!!!!!!
凄まじい衝撃波が広がり、地面の雪も木々も根こそぎ吹き飛ばされる。
私も衝撃波に吹き飛ばされそうになりましたが、ランドルフの巨体が壁になってくれます。
なんとか衝撃波をやり過ごし、恐る恐る目を開けるとそこにオークの姿はありませんでした。
あれほどたくさんいたというのに巨大戦斧一振りで殲滅してしまったのです。凄まじい剛腕です。
「さあ、これでもう大丈夫です。さぞ怖い思いをしたことでしょう」
「私は大丈夫です。ありがとうございました。でもどうして人間界にランドルフ様がいるんですか? それにこの方はエンベルト様とおっしゃるのですね。お知り合いのようですが」
二人はいったいどういう関係なんでしょうか。
首を傾げた私にランドルフが改めてエンベルトを紹介してくれます。
「彼は魔界四大公爵の一人、北のエンベルト様です」
「この方が北の大公爵様でしたかっ」
思わずピンッと背筋を伸ばす。
驚きました。この方が北の大公爵だったのです。
ハウストに聞いたことがあります。とても気難しい方だとか。
心の準備をする間もなく出会ってしまって緊張します。
「は、初めまして、こんにちは。ブレイラと申しますっ。お会いできて光栄です」
丁寧にお辞儀しました。
しかしエンベルトは冷ややかな眼差しで私をじろりと見ます。
「知っている。君が例の人間か」
「ご存知でしたか」
「勇者を連れた人間などそうそういるものじゃない。ましてや魔界の精鋭部隊が護衛についているとは、魔王も色ボケしたか」
「えっと……」
……もしかして、私、嫌われているのでしょうか。
刺々しさを感じて困惑していると、イスラが私の前に出てきてエンベルトを睨みつけます。
「ブレイラにいじわるするな」
「何が言いたい」
「ブレイラ、こんにちはってした。おまえもしろ」
「こらイスラっ。申し訳ありませんっ」
慌ててイスラを後ろに下がらせました。
イスラは私の手を握って不満そうにします。
「あいつ、やだ」
「やだではありません。すみません、エンベルト様」
謝りましたがエンベルトは私とイスラを一瞥しただけで、ランドルフに向き直ります。
「相変わらずの筋肉バカぶりだ」
「貴方こそ隠居した俺に始末させるなんて人使いが荒い」
「青二才が隠居とはいい身分じゃないか。その隠居した青二才がここにいったい何の用だね」
「分かっているでしょう。魔王様より四大公爵の緊急招集がかかっています」
「四大公爵会議はまだ先だった筈だが?」
とぼけるエンベルトにランドルフが苦笑しました。
「ハハハッ、おかしなことをおっしゃる。貴方が今の緊急事態になんの手も打っていないとは思えない。魔王様の命令は絶対、さあ急ぎましょう」
「ふんっ」
エンベルトは忌々しげに舌打ちしましたが、それ以上は何も言いませんでした。了承ということです。
ランドルフはほっと安堵し、また私を振り返りました。
そして恭しい動作で膝をついて頭を下げる。
「さあ、ブレイラ様も共に魔界へ戻りましょう」
「え、私はまだ人間界で確かめたいことがあるのですが」
「お気持ちは分かりますが、こんな辺境の地にもオークが出現しました。そんな場所にブレイラ様を置いておくことはできません」
「しかし」
「お願い致します」
低頭しながらも有無を言わせぬそれでした。
黙り込んだ私にランドルフが言葉を続けます。
「どうぞお聞き入れください。ブレイラ様には無傷で魔王様の元にお戻り頂かなければなりません。そうでなければ、ここにいる者すべてが厳しい咎めを受けることになります」
「そ、それは分かっています。分かっていますが……」
ランドルフの言いたいことも、自分がそれに従うべきだということも分かっています。
私の勝手な思いや我儘は多くの人に迷惑をかけてしまうことがあるのです。それは自覚していますが……。
私は周囲を見回します。ここには多くの難民がいるのです。
自分の国を失い、他国に受け入れられない難民は命すら脅かされる危険に晒されている。それを前にして立ち去ることは出来ません。
そんな私の気持ちを察したランドルフが穏やかな顔で頷いてくれました。
「ご安心ください。ブレイラ様の憂いである難民については、王都シュラプネルの門が開くまでは我々の兵が保護します」
「本当ですか?」
「はい。ブレイラ様が心の憂いを残されたままでは魔王様も気になされますからな」
「ありがとうございます。分かりました、一度戻り、これからのことはそれから考えましょう」
まだ人間界でしたいことはありますが、戻れと要請されたなら戻らなければなりません。
我儘を通してはならないことは分かっています。
「イスラ、ゼロ、あなた達も一緒に戻りましょう」
「わかった」
イスラと手を繋ぐ。
もう片方の手でゼロと手を繋ごうとしましたが。
「え、ゼロ……?」
ゼロがいません。
ついさっきまで一緒にいたのに忽然といなくなっているのです。
「ゼロっ、ゼロ! どこにいるのですか?! 出てきてください!」
「ブレイラ様、どうしました?」
「ここにもう一人子どもがいたんです。ゼロという名前で、濃い青色の髪に蒼い瞳の、イスラと同じくらいの背丈の子で……。どこにいったんでしょうか」
「それは心配でしょう。すぐに探させます」
「お願いします!」
焦る私にランドルフがすぐに捜索を命じてくれました。
「探し出して保護いたします。見つけ次第ブレイラ様の元にお届けしましょう」
「ありがとうございます。難民たちに混じって一人でここまできた子どもなんです。早く見つけてあげてください」
ほっと安堵しました。
ゼロはいったいどこへ行ってしまったんでしょうか。
つい先ほどまで一緒にいたというのに……。
ゼロを置いて先に魔界に戻るのは心残りですが、今は見つかるのを信じるしかありません。見つかるまでここにいたいなど私の勝手な我儘なのです。
こうして私はランドルフやエンベルトとともに一時魔界に戻ることになりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます