五ノ環・魔王と勇者の冒険か、それとも父と子の冒険か。10
「初めまして、アイオナと申します。こうして勇者様と魔王様にお会いできたこと光栄に思います」
「彼女はアロカサルの首長ゴルゴスの姉で、ダビド王の妃様です。この異界で保護されてから、たくさん助けてもらったのですよ」
私がそう付け足すとハウストがアイオナを見ました。
ハウストの視線にアイオナの顔が緊張で強張ります。でも、
「そうか。ブレイラが世話になった」
「ブレイラをたすけたのか? ありがとう!」
礼を言ったハウストとイスラに、アイオナの強張っていた表情がみるみる間に輝きました。
「も、もったいないお言葉でございます!」
アイオナが慌てて一礼しました。
深々と頭を下げた彼女の目尻には涙が浮かんでいます。このアイオナの反応を大袈裟だとは思いません。
アイオナは勇者と契約した血族の末裔。特に勇者と対面することは彼女にとって悲願でもあったことでしょう。
私は抱っこしていたイスラを地面に降ろし、小さな肩に手を置きました。
「イスラ、彼女はあなたにとって特別な人間なのですよ?」
「オレ?」
イスラはきょとんとしてアイオナを見つめる。
その幼い眼差しを前に、アイオナは畏まった態度で跪きました。
「勇者様誕生の知らせを聞いてから、お目にかかる日を待ち望んでおりました。私の世代が勇者様在世の時代であることを光栄に思います。勇者様と契約したこの身を、どうぞご自分の力としてお使いください」
そして誓うのは古い時代から変わらぬ忠誠。
しかし幼いイスラには難しかったようで、困ったように私を見上げてきました。
どうしよう……といわんばかりのイスラの眼差しに苦笑してしまう。
そうですよね。少し難しい話しですよね。
私はイスラと手を繋いだまま膝をついて目線を合わせました。
「人間界にはイスラのことを大切に思ってくれている人間がたくさんいるんです。忘れないでくださいね?」
イスラに大切なことを教えます。
あなたが大きくなって私の元から旅立つ時、孤独に蝕まれたりしないように。
「オレを?」
「はい。あなたが生まれる前の、ずっと昔の勇者が、アイオナの祖先と約束したのです」
「やくそく……。どんなやくそく?」
「そうですね……、ずっと仲良くしよう、みたいな約束でしょうか」
「ブ、ブレイラ様っ。畏れ多くございます!」
聞いていたアイオナが焦って訂正しようとしました。
でもその訂正を阻止するように首を横に振る。
たしかに勇者との契約を『仲良く』などという言葉で片付けるべきではないのかもしれません。ちょっと簡潔にまとめすぎたでしょうか。しかし間違っていないはず。
「なかよく?」
「そう、仲良く、ですよ。アイオナのお兄さんのゴルゴスとも仲良くしてくださいね。他にも、人間界にはイスラと仲良くする約束をした方々がいるそうです。良かったですね?」
「うん! なかよくする!」
「いい子ですね」
イスラの素直な返事に顔が綻びます。
よしよしと撫でるとイスラが照れ臭そうにぎゅっと抱きついてきました。勇者とはいえイスラはまだまだ甘えたがりの子どもです。
アイオナは困惑していましたが、ふと表情を改めて懐から小さな砂時計を出しました。
そう、勇者の宝。アイオナの血族が代々守り続けてきたものでした。
「勇者様、これをお返しします」
差し出された砂時計。
イスラは私に抱き付いたままじっと見つめていましたが、少ししてふるふると首を横に振りました。
「いらない」
「えっ……?」
あっさり受け取り拒否したイスラに、アイオナが呆気に取られてしまいました。
どうやらイスラの返事は予想外だったようです。
当然ですよね。勇者と契約した方々は、勇者の為に勇者の宝を守ってきたのですから。
でもイスラが受け取り拒否したのは今回が初めてではありません。
以前モルカナ国での騒動後、新国王になったアベルから勇者の宝・魔笛を譲るという申し出を受けましたが、その時もイスラは受け取りを断っています。
「アイオナ、あまり気に病まないでください。モルカナ国にある勇者の宝も受け取らなかったのですよ。イスラ、本当に受け取らなくてもいいんですか?」
「いらない」
気になってイスラに聞いてみても、やっぱり首を横に振ります。
イスラは砂時計を受け取らず、アイオナをじっと見つめる。
「それ、もってろ」
「……そ、それは、今まで通りお預かりするということですか?」
「そうだ」
イスラはこくりと頷きました。
こうして勇者の宝はまたしてもイスラに受け取り拒否されてしまったのでした。
アイオナは複雑そうでしたが、イスラが拒否するなら無理強いすることはできません。何か言いたそうにしながらも引き下がってくれました。
アイオナには申し訳なく思います。でも、内心少しだけ安堵していました。イスラが勇者だということは分かっていますが、まだ幼いイスラを勇者として戦わせたくないと思ってしまうのです。イスラが勇者の自覚をしていたとしても、どうしても、そう思ってしまう気持ちを消せません。
でも同時に、イスラが勇者の宝を受け取らないのは私の所為なんじゃないかと……。
無意識に視線が落ちてしまいそうになりましたが、その時、アイオナの馬が嘶きをあげました。
突然落ち着かなくなった馬をアイオナが宥めましたが、ふと彼女が訝しげな顔になります。
「落ち着きなさいっ。……えっ、またあの香り?」
またしてもあの花の香りが漂っていました。
私も纏いつくような香りに気付いて警戒を強めます。
「おかしいですね、あの花畑からだいぶ離れた筈なのに」
「ブレイラ、香りとはなんのことだ?」
ハウストが不思議そうに聞いてきました。
こんなに強い芳香なのに彼は気付いていないのです。
「花の香りです。さっき嗅いだものと同じ香りだと思います。結構強い香りなので、分からないはずないと思いますが……」
「クウヤとエンキが毒気にあてられた時のものだな。悪いが俺はなにも感じない」
「そうですか……。イスラは?」
確認するとイスラも「わからん」と首を横に振りました。
不可解です。ハウストとイスラが何も感じていないなんて。
奇妙な現象に困惑していると、アイオナが険しい顔で申し出ました。
「イスラ様、差し出がましいお願いですが、急ぎ私だけ人間界に戻すことは可能でしょうか?」
「え、アイオナ?」
思わぬ願いに振り向くと、アイオナは真剣な顔でイスラを見ています。
それは強い意志を宿したまっすぐな面差しでした。
「……なにかあったのですか?」
問うと、アイオナは険しい顔で頷きました。
アイオナにはなんらかの考えがあるようです。
「この花の香り、どうしても確かめたい事がございます。どうかお聞き届けください」
必死に願うアイオナをイスラが黙って見つめています。
向かい合う二人を見ていた私はハウストにこそこそと話し掛けます。
「ハウスト、イスラはここと人間界を転移させることができるのですか?」
「ああ、イスラは幼くとも勇者だ。この異界は勇者の宝によって繋がった世界。勇者がいれば転移できる。といっても、制御は俺も手伝うがな」
「なるほど、そうだったんですね。だからイスラもあなたもここに来れたわけですね」
「ああ。迎えが必要だっただろう?」
「ふふふ。はい、必要でした」
少し冗談めかした彼に私も小さく笑い返す。
ダメですね。そんな場合ではないのに、ハウストがいると思うだけで安心してしまう。
「イスラ、アイオナには何か考えがあるのでしょう。あなたが良いなら、お願いできますか?」
「できる」
私が間に入るとイスラがこくりと頷きました。
イスラの返事にアイオナは深々と礼をします。
「ありがとうございます。勇者の宝を預けていただいた光栄に報いる働きを、必ず」
アイオナは誓うように言うと、「ブレイラ様、感謝いたします」と私に向き直って礼をしました。
「あなたの事ですから、きっと何かあるのですよね? それに私もこの香りは気になります」
「はい、なんらかのご報告ができるかと。ではお先に失礼いたします」
アイオナはそう言うと、イスラの発動した魔力とハウストの制御によって人間界へ先に戻っていきました。
これで残されたのはハウストとイスラと私、アイオナが残していった愛馬だけです。
これから私たちがすべきことは、この異界に転移したアロカサルを元の人間界に戻すことだけ。今から三人で都へ戻らなければ。
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