第四章・ごめんなさい、初恋なので勘違いしたのです。私は最初から独りでしたね。4
森の奥にある塔。
最上階の鉄扉が開けられました。
「あ、あなたは、なんてことをっ」
部屋の光景を目にし、全身から血の気が引いていく。
外の光から閉ざされた暗い部屋。
蝋燭のぼんやりした明かりだけが灯る部屋に一人の女性がいました。
しかも人間ではありません、彼女は魔族。
ひどく痩せ細った女性が、石畳みの床にぐったりと倒れていたのです。
一目で分かりました。この女性はここに監禁されているのだと。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
急いで駆け寄り、彼女を抱き起こす。
しかし彼女の視力は酷く悪化しているようで、私を見つめる瞳は焦点が合っていない。軽い体はかなり体力も体重も落ちて、悲しいほど衰弱し切っています。
瑞々しかった肌は乾き、頬は痩せ、みるからに痩せ方が尋常ではありません。おそらく何らかの病魔に侵されているのでしょう。そして碌な治療を受けていない所為で病魔は進行を早め、もう手遅れの状態になってしまっている。
でも何より酷いのは、体中に残る暴行の痕。顔や体のあちらこちらに青痣や縛られた痕が痛々しく残っていたのです。
涙が、込み上げてきました。
「なんて酷いことをっ……、どうしてこんな真似を!?」
「何を怒っている。儂が自分のものをどうしようと勝手だろう」
「自分のもの?」
「その女は魔族でありながら人間の男に嫁いだ奇特な魔族でな、以前はとても美しい女だった。そんな美しい女がたかが地方の貧乏貴族の男のものでいるなど許されないだろう? 案の定、男は借金で没落して自ら命を絶った。可哀想に思った儂が女を引き取って助けてやったわけだ」
バイロンは愉しげに言いながら、まるで汚物を見るような目で女性を見る。かつての美貌をなくした女にもう用はないと言わんばかりの眼差しで。
「その女は余命いくばくもない。あと数日もしたら死ぬだろう。だが、魔界が女の調査を始めてしまって、厄介なことにこの場所を嗅ぎつけてきた。女に会わせなければ面倒なことになるのは目に見えている。病気はともかく怪我の方は治しておかなければ困るんでな」
「だから私をここに連れてきたんですね……」
「ご名答だ、お前の薬で女の体の傷を治してくれ。もちろん報酬はいつもの倍は出そう」
バイロンはそう言って私を品定めするかのような目で見ます。
肌がゾワリと栗立つような視線に警戒すると、バイロンがニタリと歪んだ笑みを浮かべました。
「ああ、いい事を思いついた。この仕事が終わったら儂の愛人になるといい」
あまりの屈辱に眩暈がします。
相手が大貴族だろうと、怒りのままに睨みつけました。
「馬鹿なことを言わないでください!」
「なにが馬鹿なことだ、むしろ感謝するべきだろう。どうせお前に行くところなどない。可哀想なお前を儂が守ってやろうと言ってるんだ。その美しい顔と体で可愛くねだれば、今まで経験したこともない贅沢をさせてやろうじゃないか」
下衆な言葉に吐き気がします。
バイロンの言葉は脅しでした。大罪人になりたくなければ囲い者になれというのです。
冗談じゃありません、こんな男に抱かれるなんて絶対に嫌です。
しかしバイロンは愉快そうに笑って近づいてくる。そして私の顔に手を伸ばす。
パンッ!
「触らないでください」
寸前で手を払い落としました。
汚らわしい。
この男の何もかもが汚らわしい。
ニタリと笑った顔も、声も、存在も、吐く息さえも、何もかもが不快です。
「まあいい、すぐに気が変わるだろう。強気なメス猫ほど飼いならすのが楽しいというものだ。フハハハハハッ!」
高笑うバイロンに憎々しさが増していく。
でも、今は……。
「この女性は私が治療します。でも、それはあなたの命令に従うからではありません。私が彼女を治したいからです」
「フンッ、理由などどうでもいい。即急に女を治せ。元通りの傷一つない体にしておけ」
バイロンはそれだけ言うと塔から出て行きました。
まるで女性を物のように扱うバイロンに怒りがこみあげる。
でも今は怒りに身を任せている場合じゃない。この女性の苦しみを一刻も早く癒したい。
「大丈夫ですか? 私が分かりますか?」
女性にそっと呼びかける。
すると女性の乾いた唇が微かに動く。
「あなた、は……?」
掠れた声で女性が言いました。
声色は吐息に近く、ヒューヒューと漏れる呼吸は今にも途絶えてしまいそうに弱々しい。
「私は薬師です。あなたを治療しにきました」
「そう……」
女性は力無く笑った。
その笑みに胸が軋む。
人間の世界では病魔や飢えで苦しむ人々は珍しくありません。貧民街には死体が転がっていることもあります。
人間界では、一部の権力者が私腹を肥やし、多くの民衆が貧しさに喘いでいる。これが人間界の秩序で、この女性のように権力者に人生を翻弄される者も珍しくありません。
だからこの女性だけに特別な不幸が襲ったわけではないのです。世界には多くの不幸と不運があるのですから。
でも……、それでも、涙が溢れて止まりませんでした。
目の前の女性の痛みに胸が張り裂けそうになる。
私は唇を痛いほど噛み締め、ぐっと涙を拭いました。
そして女性の痩せ細った手をそっと握り締める。
「今から水を汲んできます。まず体を綺麗にして、傷薬を塗りましょう。元気になる薬も煎じますから飲んでください」
そう言うと、女性は「ありがとう……」と少しだけ微笑んでくれました。
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