第四章・ごめんなさい、初恋なので勘違いしたのです。私は最初から独りでしたね。3


◆◆◆◆◆◆


 魔界。

 険しい山々が連なる奥地に魔王ハウストの居城があった。

 居城の執務室にはハウストの姿があり、執務机に積み上げられた書類一つ一つに目を通している。

 ハウストがイスラをつれて魔界に戻ってから一週間が経過し、その間ほとんどの時間を書類仕事に費やしていたが減ってくれる様子はない。

 勇者イスラを育てる為とはいえ、やはり一ヶ月以上も魔界を離れたのはよくなかったかとハウストは苦笑する。


「書類仕事は嫌いではないつもりだが、こう溜まってくるとうんざりするものだな」

「自業自得だろう。魔王が魔界から離れていた時の我々の苦労が少しは分かったかね?」


 そう答えたのは魔界の宰相・フェリクトール。

 先代の魔王から仕えている彼は見識深い聡明な宰相だ。

 白髪を几帳面に後ろに撫でつけ、銀縁のモノクルが厳格な雰囲気を漂わせている。気難しくて近寄り難い男だが、ハウストはなんだかんだ言いながらもフェリクトールを片腕として信頼していた。


「魔界には優秀な宰相がいると思って任せていたつもりだが、やはり年には勝てなかったとみえる」

「いつから魔王閣下は老人に鞭打つようになったのかね。現魔王は同族愛に溢れていると聞いていたが戯言だったか。嘆かわしいことだ」

「か弱い老人ごっこは俺のいないところでしてくれ」


 軽口を叩き合いながらも、二人は仕事をする手を休めない。

 魔界の王たるハウストの仕事量は膨大である。しかしハウストはそれら一つ一つと真剣に向き合い、決して手を抜くことはなかった。

 すべては魔界で生きる全ての魔族の為である。


「例の件について調査が完了した。確認してくれ」

「分かった」


 フェリクトールから受け取ったのは、とある魔族の調査書だった。

 五年前に魔族の女が人間の男に嫁いだが、半年前から消息が途絶えたのである。

 たとえ魔界を離れても同胞として幸福を願っていたが、なんの音沙汰もないことが気になっていた。そこでハウストは女を調べさせていたのである。

 この女は魔王ハウストからすれば一介の魔族にすぎないが、ハウストは身分などに重きを置いていなかった。ハウストにとって全ての魔族が愛すべき同胞なのだ。


「強力な結界が張られている場所があるな。結界が出現した時期と消息を絶った時期がほぼ同時期……。一度見に行く必要がありそうだ、手配してくれ」

「そう言うと思って既に手配は終わっている」

「さすがだな、これでまた隠居生活が遠ざかった」


 ハウストはからかうように言うと、執務椅子から立ち上がって外出用の外套を肩にかける。ひらりと長い外套がなびく様は視線を集めるもので、際立った容貌と長身で鍛えられた体躯のハウストによく似合っていた。


「さっそく行くのか?」

「ああ、嫌な力を感じる結界だからな」

「魔王直々とは恐れいる。魔族は君を愛しているよ。特に先代を知っている魔族たちにとって、当代魔王の君の存在は尊いものになっている」

「それは有りがたい。だが、先代と比べたらどんな極悪非道の大罪人も愛されるさ」

「たしかに」


 肩を竦めたフェリクトールにハウストも苦笑する。

 ハウストは後の仕事を宰相に任せて人間界へ行こうとしたが。


「ハウスト!」


 バタンッ! 勢いよく扉が開き、子どもが執務室に飛び込んできた。イスラだ。

 イスラはハウストを睨みつける。


「ハウスト、ブレイラはまだか!? まだ、まかいにきてない! やくそくがちがう!」

「約束は守る。だが、もう少し待ってくれ」

「もうすこしって、いつまでだ! ハウストは、ブレイラもすぐにつれてくるといった!」

「それはすまない。だが、俺を信じてくれないのか?」

「っ、ハウストはしんじている……っ。でも、でもっ」


 騒ぐイスラにハウストは内心辟易した。

 一週間前、イスラを魔界につれてきてからずっとこの調子だった。

 イスラは魔界で目覚めるとすぐにブレイラを探し始め、ここにいないことを知ると癇癪を起こして大変だったのだ。思慮深い子どもだと思っていただけにハウストは少し驚いた。

 そんなイスラを見兼ねたハウストは、ブレイラも連れてくると約束したのである。もちろん叶えるつもりはなかったが。

 イスラには悪いが、ハウストには最初からブレイラを魔界に連れてくるつもりはなかった。

 ブレイラの美麗な容姿も真っすぐな性格も人間の中では好ましい部類だが、ハウストにとってそれだけである。

 そもそも勇者のイスラも特別な理由がなければ魔界にいるべきではないと思っているくらいだ。


「失礼します。お兄様、イスラがこちらにきていませんか?」


 次に執務室に入ってきたのはハウストの妹であるメルディナだった。

 メルディナは小柄な愛らしい少女だが、魔王の妹というだけあって能力や魔力は群を抜いている。

 この高い能力を見込まれてイスラの世話はメルディナに任されていた。本来なら侍従や女官がするべき役目だが、勇者が力を使えば普通の魔族では太刀打ちできないからだ。

 メルディナはイスラを見つけると目を吊り上げる。


「やっぱりここでしたわね! あれだけお兄様のお仕事を邪魔してはいけないって言いましたのに!」

「ハウストがわるい。ハウストがブレイラをつれてこない」

「お兄様はお忙しいのよ! なぜ人間如きのためにっ」

「それならオレがブレイラのところにいく」

「本当に可愛げがない子どもですことっ。勇者でなければ、ただでは済ませませんわ!」


 メルディナは吐き捨てると、「お兄様、イスラがちっとも言うことを聞きませんの!」と訴える。

 妹の必死の訴えにハウストは苦笑し、次いでイスラに向き直った。


「イスラ、我儘はいけない。お前はもっと聞き分けのいい賢い子どもだったはずだ」


 ハウストは優しい口調で言い聞かせたが、イスラは表情を据わらせたままだ。

 そして、ふいっとハウストに背を向ける。


「ハウストがブレイラをむかえにいかないなら、オレがいく」


 イスラはそう言うと執務室を出て行く。

 その立ち去る姿に「困った子どもだ」とハウストは肩を竦めたのだった。


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