第四章・ごめんなさい、初恋なので勘違いしたのです。私は最初から独りでしたね。2
「緊張しないでくれ、君のことは優秀な薬師だと聞いている」
「勿体ないお言葉です、私はどこにでもいる薬師ですから」
「謙遜しなくていい、君の薬は本当によく効くんだ。どうしても直接お礼を言いたくて今日はここに来てもらった。ありがとう、君のお陰で持病が楽になったよ」
「とんでもありません、持病が回復したようで良かったです」
「ああ、とても調子が良いんだ。これはほんの礼だ、受け取ってくれ」
バイロンがそう言うと、執事が現われてテーブルに小箱を置く。
小箱の蓋が開けられて驚愕しました。
だってそこには見たことがない量の金貨がぎっしり詰まっていたのです。
「こ、ここ、こんなの受け取れませんっ」
「いいや、受け取ってくれ。これは君の物だ」
「でもっ」
「君の物だ」
有無を言わせぬ口調で遮られました。
雰囲気が変わり、焦りと困惑で背筋が冷たくなる。嫌な予感がするのです。
そしてバイロンが意味ありげな笑みを浮かべました。
「君の腕を見込んで頼みがある」
「…………」
嫌な予感は的中です。
やはりここに来るべきではありませんでした。
「……お、お話は伺えません。私はこれ以上の報酬を望みませんし、領主様から格別の配慮を受ける身分ではありません。私はここで失礼します」
そう言ってソファから立ち上がり、早々にここを出て行くことにする。
用件を聞いてしまえば断ることは許されなくなってしまいます。
しかし応接間を出ようとした時。
「イスラ君は元気かな? 君の手元にいれば、の話だが」
「っ! あなた、どうしてそれをっ」
イスラ。その名前に愕然としました。
どうしてバイロンがその名前を知っているのか。勇者が誕生したことは人間界には知れ渡っていないはずです。
「儂はこれでもここ一帯を統治する領主だ。自分の領地で何が起きているかくらい知っていて当然だろ。自分の領地で魔族や精霊族に好き勝手振る舞われることが嫌いでね」
「だからって、そう簡単に……」
「分からないかね? 魔王がいなくなったことで、今まで結界で侵入できなかった区域に入ることができるようになったんだよ。それにしても驚いた、君が勇者の母君だったとは」
唇を噛み締め、バイロンを睨み据える。
ハウストが魔界に帰ったことで、今まで秘密にしていたことが人間界にも知られたのでしょう。
「そ、それがなんだというのですっ。それに私は男です、母などと呼ぶのはやめてください!」
「だが勇者様はそう思っていないだろう? 男というのは母親に対して格別な思いを抱くものだ。きっと君のことをとても大切に思っているだろう。君こそ勇者に助けを求めたらどうだ?」
「どういう意味です……?」
「まだ分からないのか。勇者は人間の王、いわば人間界の宝だよ。母親でありながら勇者を魔界へ連れていかれたそうじゃないか。勇者が攫われたなんて前代未聞だよ、その意味が分かっているのかな? 国、いやすべての人間の希望が攫われたということだ」
反論できませんでした。
どんな理由があれ、勇者が魔王に連れ去られたことに間違いはないのです。
黙りこむ私にバイロンはさらに言葉を続ける。
「ましてや君は魔王と一緒に暮らしていたそうだね、その魔王に勇者を連れ去られるとは……。君が魔王と共謀して勇者を攫ったと思われても仕方ないだろうね。そうなると君は人間を裏切った大罪人となる」
「な、なんてことを言うんですか!」
声を荒げ、はっとする。まさか。
「……あなた、私を脅しているんですか?」
「脅すとは人聞きの悪い。そんなつもりはないんだが、そう聞こえたなら申し訳ない」
バイロンは大仰に謝るも、ニタリと歪んだ笑みが本音を隠し切れていない。
「さて、本題に戻りましょう。さっそくだが付いてきなさい、君に見せたいものがある」
「っ……」
大人しくついていくしかありません。
拒否権など与えられていない。やはり脅し以外の何ものでもない。
言うことを聞かなければ私を大罪人に仕立て上げるつもりなのでしょう。
ここで拒否すれば監獄行きです。自分の迂闊さが憎らしい。
やはりハウストの判断は正しかった。勇者誕生を人間に隠していて良かったんです。
勇者という国を持たない王は、その絶対的な立場ゆえに危うい。幼い勇者が無防備なまま公然の場に出たなら、きっと勇者という権威だけが利用される傀儡になっていたでしょうから。
広い敷地内をしばらく歩き、連れて行かれた場所は領主が所有する森でした。
誰も近寄らないような薄暗い森の奥、そこに不気味な塔が聳えていたのです。
しかも塔の壁面には魔法陣らしきものが描かれており、入口には屈強な衛兵が立っている。物々しさに萎縮してしまいそうです。
「ここは?」
「いいから黙ってついてきなさい」
「…………」
質問すら許されず唇を噛む。
塔へ通され、思わず眉をひそめてしまいます。
塔はじめじめして薄気味悪く、息苦しい。まるで牢獄のようでした。
暗い塔の階段にはところどころ松明が焚かれており、その明かりを頼りに塔を上がっていく。
そして最上階には頑丈な鉄扉がありました。
南京錠で施錠された鉄扉にごくりっと息を飲む。
「この中だよ。この中に君に会わせたい者がいる」
バイロンはそう言うと、ガチャリッと鉄扉を開けたのです。
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