第四章・ごめんなさい、初恋なので勘違いしたのです。私は最初から独りでしたね。1


 ハウストとイスラが帰ってこなくなって一週間が経過しました。

 二人がいなくなっても私の日常は続きます。

 朝がきたら起床して、お腹が空いて、夜になると眠くなるんです。不思議ですね、指一本動かしたくないほどの空虚が心にあるのに、それでも最低限の営みを行なうのです。

 だって私は独り、何もしなければ死しか待っていません。誰も生きることを助けてくれません。ずっと独りだったので、それを嫌というほど本能が知っているのでしょう。

 時々思うのです。ハウストとイスラがいた時間は、本当は夢だったんじゃないかと。

 でも、夢でないという残酷な現実は直ぐに私自身によって突き付けられる。

 だって私はまだハウストに恋したままです。

 自分でも愚かだと思います。

 でも彼に抱き締められた温もりを覚えています。

 目を閉じると、幸せで心満たされたあの感覚を思い出せてしまうんです。

 私に残されたのは、叶わない恋心と途方もない虚無感だけです。でも、それでも忘れられないのですから、恋なんて最初からするべきではありませんね。だって、こんなの呪いと一緒じゃないですか。


「これが注文を頂いていた薬です。これが腹痛用、この塗り薬が傷用、痛み止めはこっちです。間違えないようにお使いください」


 私は街でいつものように薬を売っていました。

 路地裏で領主に注文されていた薬を使いの男に渡す。男は私に領主を紹介した男です。

 領主の館で下働きをしているという男は、私と領主の仲介役として行き来してくれています。


「ありがとう、領主様が喜ぶよ。これが薬代です」

「たしかに受け取りました。それでは失礼します」


 薬と代金の受け渡しが終わればもう用はない。

 私は立ち去ろうとしましたが、「ちょっと待ってくれ」と呼び止められます。


「なんでしょうか。薬は全部お渡ししましたが」

「ああ、薬はちゃんと受け取ったよ。実は、領主様が君に会いたいって言ってるんだ」

「……領主様が?」


 意外すぎる言葉に驚きました。

 この地域一帯を治める領主は王族と親戚関係にある大貴族です。そんな身分の高い人間が一介の薬師に会いたがるなど妙な話です。そもそも易々と目通りが出来る相手ではないはずです。


「ありがたいことと思いますが、私は領主様とお会いできるような身分ではありません」

「だから領主様の方が君に会いたがっているんだよ。君の薬はとてもよく効くから、直接会って礼を言いたいそうだ」

「ならば尚更会う理由はありません。私は自分の仕事をしたまでです」

「そんなこと言わないで頼むよ! 領主様は是非にとおっしゃっている。もしかしたら新しい仕事を紹介されるかもしれないよ? 君だって薬が今よりもっと高く売れたら嬉しいだろ?」

「…………」


 僅かに視線が落ちてしまう。

 もしハウストとイスラがいたら薬が高値で売れることに心惹かれたでしょう。薬が高く売れれば、イスラに今よりもっと美味しいものを食べさせてあげられるし、ハウストに居心地の良い環境を整えることができると。

 でも二人はもういないのです。

 ならばこれ以上稼ぐ理由はありません。顧客を増やしたいとも思いません。顧客が増えれば煩わしさも増えてしまいますから。

 以前のように私一人が生きていくだけの稼ぎで充分です。


「……いいえ、結構です。私は今以上を望んでいません。もし私の返事が領主様のお気に召すものでないなら、これからは別の薬師をご贔屓ください」


 断ることに躊躇いはありませんでした。

 どんな好条件を提示されても今以上を望みません。

 立ち去ろうとしましたが、「待ってくれ!」と強引に腕を掴まれる。


「な、なんですかっ。失礼じゃないですか?」

「すまないっ、でもどうしても領主様が君に会いたがっているんだ! 一緒に来てくれないと俺は館に戻れない……っ。いや、もしかしたらクビだよクビ! 仕事を失くしたら野垂れ死ぬしかなくなるじゃないか!」

「そんなこと私に言われても……」

「頼む! 領主様は君の薬で持病が良くなって、とてもお喜びなんだっ。薬を作ってくれた君に礼が言いたいだけなんだよ!」


 必死に頼まれて困ってしまう。

 下働きが領主の命令に背けば本当に辞めさせられるかもしれません。たしかにそれは可哀想な気もします。


「……分かりました。一度ならお会いします」

「ありがとう! 本当にありがとう!」


 男に勢いよく両手を握られました。

 興奮してぶんぶん手を振る男にたじろいでしまいます。


「わ、分かりましたから、離してください。痛いですっ」

「ああすまないっ。安心したら、つい」


 男は調子よくそう言うと、さっそくとばかりに私を領主の館まで案内する。

 馬車が迎えに来ていて、男に促されて乗り込みました。

 しばらく走って賑やかな大通りを抜け、豪商や貴族の館が並ぶ富裕層の区域に入る。その中央には石壁に囲まれた城のような建物がありました。そこが領主の館です。


「ここが領主様の……」


 城壁を見上げてごくりと息を飲みました。

 だってこんな場所へ来るのは初めてです。

 緊張が高まる中、馬車は門を潜って中に入っていく。

 手入れの行き届いた庭園を通って正面入口で停まります。

 馬車から降りると、たくさんの召使い達に出迎えられました。


「ようこそお越しくださいました」


 いっせいに召使い達にお辞儀され、「ど、どうも」と慌ててお辞儀をかえす。

 圧倒されていると若い侍女が前に出てきました。


「ここからは私がご案内いたします。どうぞこちらへ」


 下働きの男から侍女に案内役が変わりました。

 館内の壁や床は鏡のように煌びやかな光を放ち、調度品も一目で高価な一級品の物だと分かります。

 案内されながらも心と体が縮こまっていく。キラキラとした館の中で、粗末な衣服に身を包む場違いさに居た堪れなくなるのです。

 緊張に足が竦みそうになりながらも、館の奥にある応接間へと通される。

 しばらく待つように言われ、一人残されました。

 私の家よりも広い応接間には大きな油絵が飾られ、見るからに高そうな壺が鎮座している。豪奢で華やかな雰囲気に飲み込まれてしまいそうです。

 少しでも落ち着こうとソファに腰を下ろそうとしましたが、「うわっ」とびっくりして立ち上がる。硬い椅子しか座ったことがないのでお尻が沈んでびっくりしました。

 今度はそっと腰を下ろします。

 ふわりと沈みこむお尻に戸惑いながらも、大人しく領主を待つことにしました。

 ……心細いです。やっぱり了承なんてするものじゃありませんでした。

 遅い後悔をしていると、少しして応接間の扉が開く。


「はじめまして、儂がここの主人のバイロンだ」

「ブ、ブレイラと申します……」


 現われたのはでっぷりとした体格の男でした。

 着ている衣服は立派なものでしたが、バイロンからは横柄な雰囲気が滲みでている。どちらかというと苦手な部類の男です。

 緊張する私にバイロンは気安く声をかけてきます。

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