第六章・あなたの親になりたい。今、心からそう思うのです。1
私はイスラと一緒に人間界の懐かしい家へと帰ってきました。
魔界の城のバルコニーでたくさん泣いた私を、イスラが転移魔法陣を発動させて人間界へと連れ出してくれたのです。
「ただいま!」
イスラが嬉しそうに家の中に入っていきました。
その姿に目を細め、私も後に続こうとして家の前の小さな花壇に目が止まる。
これは以前イスラの為に作った花壇でした。長くお世話ができなかったのに、小さな花を咲かせています。
「あなた、強いんですね」
森の花を植え替えただけとはいえ、しっかり根付いて花を咲かせている。
小さいけれどとても強い花です。まるでイスラのようだと見つめていると、入口からイスラが顔を覗かせました。
「ブレイラ、なにをしている」
「すぐに行きますよ」
久しぶりの家に入り、埃が溜まって蜘蛛の巣まで張っていることに苦笑してしまう。
懐かしい我が家ですが、このままではいけませんね。
「明日から掃除をしなければいけませんね」
「オレもてつだう!」
「ありがとうございます」
私が笑いかけるとイスラも嬉しそうにはにかむ。
でも大きな欠伸をして、ハッとしたように口を閉じました。
小さな体で私を魔界から連れ出したんです。きっと疲れたんでしょう。
「今夜はもう寝ましょうか」
「いっしょに?」
「もちろんですよ。ベッドは狭いですが我慢してくださいね」
「うん!」
ベッドの埃を綺麗に払うとイスラが嬉しそうに潜り込んでいく。
私も一緒にベッドに入ると、イスラが照れ臭そうにしがみ付いてきました。
私もイスラを抱きしめ、いい子いい子と頭を撫でてあげます。
「おやすみ、ブレイラ」
「おやすみなさい」
そう言って私はイスラの額に口付けました。
するとイスラは驚いたように目を丸め、次にはぎゅっと抱き付いて私から顔を隠してしまう。
恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな姿に、私は苦笑します。
思えば、私はイスラに口付けの一つもしたことがなかったのです。
「イスラ、おやすみなさい」
もう一度言って、背中をトントンと叩く。
少しして疲れていたイスラは眠っていきました。
穏やかな寝顔にまた口付け、いい子いい子と頭を撫でます。
私は眠るイスラを抱きしめたまま離しません。イスラがずっと私を離さなかったように、私ももう離さないと決めました。
親を知らない私がイスラに何をしてやれるのか分かりません。
でも、私はイスラの親になりたいのです。心からそう思えるのです。
翌朝。
朝陽が昇る時間に目覚めると、朝食の支度を始めました。
久しぶりの土間は火を起こすのが大変でしたが、なんとか朝食らしい食事を並べました。
といっても、城で食べていたような豪華なものではありません。
味気の無い硬いパンとミルクだけという質素な食卓です。
「んん、おはよ……」
むくりっとイスラがベッドから起き上がりました。
まだ寝惚けた様子のイスラに苦笑する。寝癖で外跳ねの黒髪がいつもより跳ねてしまっています。
「おはようございます、イスラ」
声を掛けるとイスラは私を見つけて嬉しそうにします。
「ブレイラ、いた」
「いますよ、ちゃんと。これからはずっと側にいます」
そう言ってイスラのいるベッドの枕元に腰を下ろしました。
するとイスラがぎゅっと抱き付いてきて、私もぎゅっと抱きしめ返す。
「あなたが大人になって私の元から旅立つまで、ずっと側にいると約束します」
「やくそく?」
「はい、もうあなたを置いてどこにもいきません」
「うん、やくそくだ!」
イスラは大きく頷き、次に恥ずかしそうにもじもじし始めます。
そして額を押さえてチラッチラッと私を見てきました。
その可愛らしい仕種に首を傾げましたが、ああ、とすぐに気が付く。
「おはようございます、イスラ」
そう言って額に口付けると、イスラの顔がパッと輝きました。
嬉しそうに私の首に顔を埋め、くふくふと笑って照れてしまう。
「ふふふ、くすぐったいですよ。さあ朝食にしましょう。井戸で顔を洗ってきてください。今日は朝食を食べたら掃除ですからね」
「わかった、まかせろ!」
イスラは元気に返事をすると、ベッドから降りて外へ駆けだして行きました。
朝食が終わると掃除の時間の始まりです。
「上手に窓が拭けますね。イスラのおかげでピカピカです」
「えらい?」
「はい、掃除を上手にできるなんて偉いです」
「もっときれいにする!」
イスラは張り切ると、踏台にしていた椅子からぴょんっと飛び降りて井戸の水を汲みに行きました。
その姿に目を細め、窓から青空を見上げます。
掃除日和の良い天気です。この天気ならベッドのシーツも洗えるでしょう。
今日の掃除に朝食の時からイスラは張り切っていて、とても嬉しそうでした。
食卓に並べた硬いパンとミルクはイスラの苦手なものなので心配でしたが、何度も「おいしい」と言ってぺろりと食べてくれました。
以前は残していたので嬉しかったです。たくさん食べましたねと笑いかけると、「おいしいって、やっといえた」とイスラもはにかんで、二人でたくさんお話しながら硬いパンを食べました。
……きっと今頃、魔界は大騒ぎになっていることでしょう。
私はともかくイスラまでいなくなったのです。
ハウストはどう思っているでしょうか。きっと呆れています。いえ、勝手なことをした私を許さないかもしれません。
どっちにしろ、もう嫌われてしまったでしょうね。
胸が、チクリと痛い。
諦めたとはいえ、私はまだハウストに恋をしたままです。
叶わないと分かっても簡単に忘れられる筈がありません。
時々胸の痛みに襲われます。でもそんな時は胸を押さえてじっと蹲ります。
嵐が去るのを待つようにじっと蹲って、痛みが去るのを待つのです。
それを繰り返していれば、いつか忘れることができるでしょう。そんな恋もしていたと、いつか思い出の一つにすることができるでしょう。
「ブレイラ、みずだ!」
イスラが桶にたっぷりの水を汲んできました。
よいしょ、よいしょ、重そうに運ぶ姿に私も手伝います。
「ありがとうございます。窓拭きが終わったら、次はシーツを一緒に洗いませんか? 外でジャブジャブしましょう」
「する! いっしょにじゃぶじゃぶ!」
イスラの瞳がキラキラ輝きました。
一層張り切って窓拭きを終わらせると、今度はシーツを外に運びだす。
大きな桶に水を汲んで、二人で水遊びしながらシーツを洗いました。
「わっ、つめたいっ」
「ふふふ、びしょ濡れじゃないですか」
「ブレイラも!」
「あ、こらっ、私までっ」
水をかけられてかけ返す。するとイスラはもっとだ! とばかりに思いっきり水を掛けてきましたが。
「うわっ、つめてぇっ!」
私の後ろで声が上がりました。
振り向いて目を丸める。そこにはびしょ濡れになったジェノキスが立っていたのです。
「あ、あなたがどうしてここにいるんですか!?」
驚いて身構えると、イスラが急いで駆けてきて私を庇うように立ちました。
「なんのようだ」
「おおっ、ちょっと見ない間に勇者らしくなったな。感心感心」
両手を広げて私の前に立つイスラに、ジェノキスは楽しげに笑う。
「あなたが前に出てどうするんですかっ」と私は慌ててイスラを後ろに下がらせました。
精霊族の狙いはイスラです。きっとイスラを攫いにきたんです。
警戒する私たちにジェノキスはニヤリと笑って肩を竦める。
濡れた髪を掻き上げ、私に向かって手を差しだす。そして。
「あの、とりあえず拭くもの貸してくれる?」
びしょ濡れのまま言いました……。
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