十ノ環・四大公爵会議5

「大きな月ですね」


 庭園に出てみようと思ったのは気まぐれ。

 月の美しさに誘われて、少しだけ夜の散歩をしたくなりました。

 回廊の窓を開けて庭園に出る。

 吹き抜ける夜風が気持ちいいです。明日のことを思うと今から緊張していましたが、少しだけ肩から力が抜ける心地です。

 庭園の小道を歩き、お気に入りの東屋へ足を向ける。

 でも東屋から話し声が聞こえました。どうやら先客がいるようです。

 残念ですがお邪魔はできませんね。立ち去ろうとしましたが視界に入った人物に驚きました。

 東屋には二人、エンベルトとランドルフがいたのです。

 まさかの人物に足が止まり、立ち去る機会を逃してしまう。

 そうこうしている間にも二人の会話が耳に入ってきました。



「――――というわけだ。これ以上、冥界の侵攻を許すわけにはいかない」

「相変わらず煩い筋肉バカだ、君に言われなくても分かっている。それにしても、やたら魔王の肩を持つじゃないか。なにか取引でもしたのか?」

「ハハハッ、それを言うな。それに取引などなくとも当代魔王に従うつもりだ」

「誤魔化すな。貴様の愚息がやらかしたそうじゃないか」

「なんだ、やはり知っていたか。相変わらず情報が早い。だがさっきの言葉に偽りはない」



 ランドルフが快活に笑いました。

 どうやら明日の四大公爵会議の前に冥界対策について話し合っていたようでした。

 エンベルトは相変わらず棘のある口調ですが、それでも二人の間に漂う雰囲気は悪いものではありません。

 二人は互いの近況を軽く話していましたが、ふとエンベルトが難しい顔で黙り込む。そして。



「……君は、魔王が人間の王妃を迎えることに納得しているのか?」



 どきりっ、心臓が跳ねる。

 思わぬ話題に呼吸が止まりそうでした。

 これって私の話ですよね? 立ち去らなければと思うのに足が動きません。

 こうしている間にも会話は続いてしまう。



「どういう意味だ?」

「あの人間がどうして王妃なんだ。寵姫ではだめなのか? あの人間が魔王のものになるのは構わんが、なぜ魔王が人間の男を王妃に……」

「お言葉が過ぎますよ。魔王様がお決めになったことです」

「フンッ、そうは言うが君こそ魔王が王妃を迎えることがどういう事か知らないとは言わせないぞ。どんな愚帝であろうと歴代魔王は王妃選びだけは慎重だった。適任が見つからなければ王妃の座を空席にしていた魔王もいたくらいだ。その意味、分かっているだろう?」

「…………」



 ランドルフが黙り込みました。

 肯定に近い反応にエンベルトが鼻を鳴らす。



「【環(かん)の指輪】、お前も知っているだろう。魔王と妃が互いに贈りあう命の指輪だ。いわば魔王の力の一部……。なぜ今なんだ。この混迷を極める時代に、よりにもよって人間を王妃に迎えるとは、……当代は魔界を滅ぼす気か」

「エンベルト様っ」

「本当のことだ。今は魔界の守りを強固にせねばならない時だというのに、力の一部を人間に託そうとするとは。……まったく、当代は何を考えている。色ボケもあながち冗談ではないかもしれんな」

「エンベルト様、それ以上はっ……」

「構うものか。あの人間、たいしたものじゃないか。魔王を手玉に取り、王妃の座を手に入れようとするとは。魔界を滅ぼす傾国になるかもしれん」

「それ以上は聞き捨てなりませんっ。誰かに聞かれていたらどうするつもりです!」



 ランドルフの怒声が上がりました。

 しかしエンベルトは一笑し、皮肉を込めた口調でランドルフに問う。



「自覚しているのか? どうやら君こそ私と同じことを思っているようだ。ありがとう、私の心配をしてくれて。心配せずとも魔王は絶対の存在だ。三界の王に異を唱えることなどしないよ」

「……勘違いしてくれるな。そういう意味で止めたわけでは」

「言い訳はいらんよ。憂いているのは私や君だけではない。南の小僧も魔界の未来を心配している。東は……奴は当代魔王の忠犬だったな。魔王の選択なら、たとえ魔界を滅ぼしかねんものでも従うか。つまらん男だ」

「エンベルト様、南も……というのは本当ですか?」

「気になるなら確かめに行くといい。軟派な男だが、魔界に対しては誠実だ。我々と同様、先代魔王時代に領土を守りきるほどにな」

「……それは、分かっていますが。失礼します」



 ランドルフが厳しい顔つきで東屋を出ていきました。

 向かう先にあるのは南の迎賓殿です。きっと南の大公爵に面会するのでしょう。

 私は、私は……、一歩も、指先一つも、微動だにもできませんでした。

 心臓が煩いほど鳴って、胸がジンジン痛い。

 呼吸の仕方も忘れそうな、そんな衝撃。ハウストとの甘い時間に浮かれていた心が、一瞬で現実に引き戻されたのです。

 動けずに呆然としていると、ふいに背後から声を掛けられました。


「ブレイラ、そこで何をしている」

「ハウストっ……」


 振り返るとハウストが立っていました。

 私を見つけた彼はほっと安堵した顔になり、嬉しそうに側へ来てくれます。


「なかなか戻ってこないから心配した」

「す、すみません。月が綺麗だったもので、少し散歩をと……」


 動揺しながらも話すとハウストは少し怒った顔になりました。

 そして私の手を取って指先に唇を寄せてくれる。


「それならそうと、なぜ俺を誘わない」

「……少しだけのつもりだったので」

「まあいい。次は俺も誘ってくれ」

「はい……」


 ハウストは私の背中に手を添えて、「少し歩くか?」と東屋の方へ足を向けました。

 そこにはエンベルトがいる筈です。慌てて止めようとしましたが先にハウストが気付いてしまう。


「エンベルト、お前もいたのか」

「魔王こそ、この美しい月夜に誘われましたか?」


 エンベルトは東屋から出てくると恭しく一礼しました。

 そしてハウストの隣にいる私を見ます。


「これはこれは未来の王妃様。月明かりの下で一段と美しい」

「美しいのは否定しないが、お前の口からそんなセリフが聞けるとはな。いつも小僧呼ばわりしている南の大公爵の影響でも受けたか?」

「魔界の王妃になられる方だ。臣下としてご機嫌取りくらいさせていただきたい」


 エンベルトは嫌味な笑みを浮かべて言いました。

 でもハウストが気にした様子もなく軽く笑う。きっといつもの事なのでしょう。


「ハハハッ、似合わんことをするな。夢に出てきそうだ。俺に悪夢を見せる気か?」

「悪夢とは酷いじゃないか。私も気は進みませんが、お望みならフェリクトールも出演させますが?」

「最悪だ。お前とフェリクトールが揃うと煩いんだ。魘される」


 二人は気軽に軽口を交わします。

 これが魔王と四大公爵の距離感、信頼関係なのでしょう。それは私が立ち入れないものです。私は人間で、魔界四大公爵にも出会ったばかりなのですから。

 少しの疎外感を覚えながらも二人の会話を聞いていました。

 二人はひとしきり他愛ない会話を楽しみ、エンベルトがまた恭しく一礼します。


「それでは私は失礼します。御二人とも、夜風で体を冷やさぬようお気を付けを」


 そう言ってエンベルトは立ち去ろうと私の横をすれ違います。

 でもその一瞬。


「っ…………」


 目が、合いました。


 その目が語る。――――王妃の座を辞せよ、と。


 全身の血の気が引きました。

 さっきの会話を私が聞いていたことに気付いていたのですね。いえ、むしろあれは私に聞かせていたのですね。

 エンベルトが立ち去りました。

 月夜の庭園にハウストと私だけが残され、ハウストが東屋へ誘ってくれる。

 私のお気に入りの場所だと知っているのです。

 震えそうになる体を必死に耐え、何ごともないふうを装います。

 どうすればいいのか分かりませんでした。上手く思考が働かない。

 ハウストに促されるまま東屋に入ります。

 先に大理石のベンチに座らされ、私が夜風に冷えていないかを確かめられる。優しいですね、本当に。私はどうすればいいでしょうか。どうするべきなのでしょうか。

 普段の自分を装いながらも、頭の中は先ほどの会話がぐるぐる巡っています。


「お前なら歓迎するぞ」

「え、歓迎……」

「淫夢になって襲ってほしいくらいだ」

「バ、バカですかっ」


 先ほどの会話の続きだと察して慌てて言い返しました。

 気を抜くと思考が囚われてしまう。でもハウストに気付かれてはいけない気がしました。

 だって今、彼は楽しそうに四大公爵の話しをするのです。


「エンベルトはフェリクトールの幼馴染でな。二人はいつも成績を競い合っていたらしい」

「そうでしたか」

「ああ、子供の頃から不仲だそうだが、競い合えるのも互いだけなのだろうな。会えば喧嘩ばかりしている。会議中にテーブルの下で蹴り合っていたこともあるぞ。あの二人はもう少し年を考えた方がいい」

「フェリクトール様まで……。想像がつきません」

「だろう? 俺も初めて四大公爵たちに会った時は驚いた。いつも生真面目でお堅いフェリクトールが青筋浮かべて喚き散らしていたからな。ランドルフもさっさと引退したのに、いまだにエンベルトには頭が上がらないようだ。南の大公爵は夜会でどこぞの姫を口説くたびに叱られているし、東は融通がきかない不器用者だからか会うたびに小言を言われている。だが、長年四大公爵筆頭を勤める古株だ」

「四大公爵の方々はエンベルト様の元に纏まっていらっしゃるのですね」

「まあな。いろいろ文句を言われてはいるが、エンベルトは魔界のことを本気で考えてくれている。お前にも気を悪くさせてしまうこともあるかもしれないが信用していい」

「はい……」


 ハウストの言葉に嘘はありません。

 四大公爵の方々を語るハウストはとても楽しそうに目を細めています。

 きっと私の知らない思い出がたくさんあるのでしょう。

 それは当たり前のことなのに、疎外感を覚えてしまうなんて間違っています。ごめんなさい。


「いろいろ聞かせて頂いて、ありがとうございます」

「また時間がある時にゆっくり話そう。お前もきっと彼らを気に入るだろう」


 そう言ってハウストが優しく笑いました。

 私は頷き、微笑を返します。

 あなた、魔界を愛しているのですね。

 魔界を守る四大公爵の方々をとても大事に思って、信頼しているのですね。

 魔界の方々のことを語るあなたはとても楽しそうです。とても優しい顔をしています。

 困りました。私、あなたのその顔も大好きなんです……。





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