十ノ環・四大公爵会議4

「眠いか?」

「いいえ、まだ大丈夫です」


 眠いけれど眠ってしまうのはもったいないです。

 それにイスラの様子も気になります。布団を蹴り落していないでしょうか、怖い夢を見ていないでしょうか、ちゃんと一人で眠れているでしょうか。もう少ししたら寝顔を見に行きましょう。

 でも今はハウストとの甘い時間に揺蕩っていたいのです。

 ハウストが私の頭を撫でて指先で髪を弄ぶ。

 心地よい感触に目を細めると、彼が旋毛に口付けを落としてくれました。


「ブレイラ、お前が無事に戻ってくれて良かった」

「充分なほどの護衛をつけてもらったんです。当然ではないですか」

「そうかもしれないが、俺の側が一番安全な場所だと思わないか?」

「ふふふ、なんですかそれ」


 ひとしきり笑って彼を見上げました。

 顔をあげた私に彼が額に口付けをくれました。嬉しいです。


「今のあなたは忙しくて、一緒に来てくれる余裕なんてないじゃないですか」

「……お前が俺と魔界にいるという選択肢はないのか」

「あっ……」


 はっとした私にハウストが苦笑します。

 申し訳なさに縮こまるとハウストが私の頭にぽんっと手を乗せました。


「……まあいい。だが護衛の追加は受け入れろ」

「…………うっ、分かりました」


 小さく頷いて了承しました。

 私は今でも十分だと思っていますが、どうやら彼には足りないようです。これが私を自由にさせる譲歩なのでしょう。


「ならいい、俺も耐えよう」


 仕方ない奴だとハウストがまた私の旋毛に口付けました。

 まるで駄々を捏ねる子どもをあやすような、そんな甘い口付けです。

 これって子ども扱いみたいじゃないですか。なんだか面白くありません。


「……子ども扱いしないでください」

「拗ねるな。大人扱いしたばかりだろう」

「っ、バカですか」


 さっきまでの情事を思い出して顔が熱くなります。

 たしかに散々大人扱いされましたけれどっ。


「バカとは随分な言い草だな。お前が眠っている間にシュラプネルの件で報告が上がってきたんだが」

「ええっ、なんでそれを早く教えてくれなかったんですか!」

「お前といる時に無粋な政務の話はしたくなかった。お前だってこうしていたかっただろう」

「ひ、否定しませんけど、だからって」


 ああダメですね。否定できません。私だってハウストとくっついて甘やかされていたい時があるのです。

 なんだか悔しくてハウストの胸板に額を押し付ける。

 そんな私にハウストは笑うと報告内容を話してくれます。


「お前が心配していた難民は王都シュラプネルに迎え入れられたぞ」

「本当ですか?! それじゃあ、あの方々は温かい場所で保護されているのですね」

「ああ。お前が魔界に引き上げてからも続いた交渉にシュラプネルも音を上げたようだ。今はランドルフの部下たちも魔界に戻っているが、同じ人間のエルマリスがシュラプネルで監視を続けている。交渉した魔族が去った後、難民がまた追い出されたりしないようにな」

「…………そうですか、受け入れてはもらえましたが、あまり良い状況ではなさそうですね」

「仕方ない、魔界から送り込んだ交渉人で対等の交渉ができる筈がない。向こうからしたら脅し以外の何ものでもないだろうな」

「…………そうですね」


 魔界と人間界の一国ではその立場と力に歴然とした差があります。三界の王の一人が治める魔界と対等な交渉ができるのは、人間では同じ三界の王である勇者だけなのですから。


「だが向こうも考えを変えたようでな。手段を変えてきた」

「手段を?」

「ああ、ぜひ魔界の視察を受けたいそうだ。改めてお前を招待している」

「それはまた……。驚きました」


 頑なに閉じていた門を開けただけでなく、外部の視察を受け入れたいというのです。

 今までと真逆の方向転換に、もしかして……とハウストを見ると彼は苦笑して頷きました。

 ああやはりそういう事ですね。モルカナ国の前王妃と前宰相と同じ選択、魔界と懇意にすれば他の人間界の国々を出し抜けると考えたのでしょう。

 魔界と人間界の関係は良好とは言い難いですが、それでも力の強い世界と繋がっていることは悪い話ではないのです。

 でも、またシュラプネルに戻れるのは願ってもないことでした。勇者の宝が目的ですが保護された難民の待遇も気になります。なによりゼロは見つかったでしょうか。


「……行きたいようだな」

「…………せ、せっかく招待してくれているわけですし。私もシュラプネルでやり残した事がありますし、それに」


 私はそこで言葉を止めると、寝そべっていたハウストの上からごそごそと起き上がりました。

 素肌を晒したままなのでシーツを纏い、そして肘を立てて寝転ぶハウストの隣に正座します。

 改まった私にハウストはなんとも複雑な顔になっています。きっと嫌な予感とか覚えていますよね。ある意味正解です。私は今からわがままを言うのですから。


「ハウスト、お話しがあります」


 太ももの上で拳を握る。

 緊張します。ハウストに怒られるかもしれません。でも話さなくてはなりません。しかしどこから切り出していいものか……。

 言葉に困って言い澱んでいると、ハウストがため息をつきました。


「子どもの話しをするつもりだろう。ゼロという名だったか」

「ご存知でしたか?!」

「ランドルフに子どもの捜索を願ったそうだな。現在も捜索中だと報告があがっている」


 驚く私にハウストは呆れながらも答えてくれました。

 まだ見つかっていないのは心配ですがハウストが知っているなら話しが早いです。

 私は居住まいを正しました。


「ハウスト、そのゼロという子どもなんですが、……その、引き取ってはいけませんか……」

「やはりそうか。予想はしていたが」


 ハウストは淡々と答えながら私をじっと見つめる。

 緊張が高まります。

 怒られているわけではありませんが、なんとも息苦しい。


「ブレイラ、ここは魔界だ」

「はい、存じています」

「俺は三界の王で、お前は俺の妃になる」

「はい、よろしくお願いします」

「お前と結婚すればイスラは俺の息子になるが、イスラは勇者だ。たとえ人間の子どもでも俺と同じ三界の王、普通の子どもではない」

「…………イスラとゼロでは違うと、そう言いたいのですよね」


 無言の肯定に体が縮こまりました。

 私も分かっているのです。イスラは勇者で三界の王。あの子が魔王ハウストの子どもになるのと、普通の人間の子どもが魔王ハウストの子どもになるのとでは意味が違います。


「分かっています。それは私も分かっていますが、でも……、ゼロが……イスラに似ている気がして、それで」

「放っておけなくなったということか」

「…………はい」


 頷いた私にハウストがまたため息をつきました。

 居た堪れなくなって縮こまっていく。

 正座する太ももの上で爪を立てて拳に力をこめました。情けないですね。痛みでも感じていなければ、大事な話の途中だというのに逃げ出してしまいそうになるのです。

 居心地悪い沈黙が続きましたが、ふと。


「……ハウスト?」


 太ももの上で握りしめていた拳にハウストの大きな手が重なりました。

 包み込むような彼の手に恐る恐る顔をあげる。

 すると少し困った顔のハウストと目が合いました。予想していなかった彼の反応です。


「あの……」

「ブレイラ、少し厳しいことを言ってもいいか?」

「ど、どうぞ」

「ここは孤児院ではないぞ」

「…………はい。ご尤もです」


 視線が落ちる。でも伏せた視線の先には私の拳を包むハウストの手。

 呆れられたくないです。捨てられたくないです。怖くなって、ハウストの手を縋るように握り返しました。

 そんな私にハウストはまたため息をつく。そして。


「そんな可愛いことをするな」

「え? わっ、ハウスト……」


 突然、ハウストが私の正座する太ももに乗り上げて腰に抱き着いてきたのです。

 驚く私に構わずハウストがお腹に顔を埋めます。


「あの、ハウスト、どうしました?」


 困惑しましたが、ハウストはますます強く抱き着いてきました。

 しかも腰に回った手がお尻を揉んできて、今はそんなことしてる場合ではないというのに。彼の手をやんわりと払いました。


「こらっ、ハウスト」

「お前はここがベッドだと分かっているのか? 惚れてる相手にベッドでねだられて断れる男を俺は知らない」

「なっ、なんてことをっ……」

「俺もただの男だな」


 ハウストが自嘲気味に言いました。

 自嘲する低音がとてもかっこいいです。でも、払ったはずの手がまたお尻を揉んでくる。


「だからダメだと言っているのにっ。……って、え?! そ、それじゃあゼロを引き取ってもいいということですか?!」


 驚いた私にハウストが苦笑しました。

 そして仰向けになると私の太ももに頭を置く。膝枕です。

 膝枕で気持ちよさそうに目を細め、私を見上げました。


「ここに連れてこい。俺の子どもになるのだからな」

「ありがとうございますっ。ほんとうに、ありがとうございますっ……!」


 目が合って、じわりと視界が滲む。

 わがままを自覚しています。

 三界の王であるハウストにとって私の願いを叶えるのは簡単なことです。しかし彼は独裁を善しとしない魔界の統治者。


「私はあなたに何ができますか? 私はあなたから与えられてばかりです」

「お前に渡したいものがある。それを拒まずに受け取ってくれ」

「それはいったい何ですか?」

「指輪だ。俺はお前と早く結婚したい」


 ハウストは迷うことなく告げてくれました。

 直球すぎる言葉に目を丸めます。

 でも嬉しくなって私の顔が綻んでいく。


「ふふふ、嬉しいことを。ありがとうございます」


 でも聞きたいことはそういう事ではありませんよ。


「あなたが与えてくれるものを私が拒むはずないじゃないですか。私はあなたに与えられてばかりなので、私のできることを聞いているんです。他にありますか?」


 そう問うと、そうだな……とハウストが考え込みます。

 少しして何か思いついたのか、私を見てニヤリと笑う。


「ならば、こうして膝を貸していてくれ。ついでに頭を撫でてくれてもいいぞ?」

「なんですか、それ」


 ハウストのわがままに愛おしさがこみ上げました。

 微笑を浮かべて彼を見つめ、彼の望むまま膝上の頭を撫でてあげます。

 彼が望んでくれるなら、ずっと側に。こうしていられるだけで幸せなんです。


「はい。あなたが望んでくれるなら、いくらでも」





 ハウストと体を重ねた後、眠る前に入浴をしようと寝所を出ました。

 彼はそのままで良いと言いますが汗をかいた体では私が落ち着きません。

 入浴を終えてすっきりし、そのままイスラの寝所へ向かいます。

 イスラが布団を蹴飛ばしていないか、悪い夢は見ていないか、よく眠れているか、寝顔を見て確かめたいのです。

 もし一人で眠れないようなら一緒にハウストのところへ行きましょう。

 でもそれは杞憂だったようです。寝所に入ってぐっすり眠っているイスラにほっとしました。


「おやすみなさい、イスラ」


 布団をかけ直し、よく眠れますようにと額に口付ける。

 可愛い寝顔をひと撫でし、起さないように静かに寝所を出ました。

 今夜はもうハウストの寝所で眠るだけ。

 明日は四大公爵会議です。とても緊張しますが婚約者として紹介されることが嬉しいです。

 寝所へ向かう長い回廊を歩きながら、ふと窓の外に月が見えました。

 夜空に浮かぶ丸い月が煌々と輝いています。

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