三ノ環・崖っぷちの父子1
翌日。
視察旅行二日目の今日はハウストも私もお休みの日でした。
まちにまった大瀑布の見学です。ハウストやイスラと一緒に見たいと思っていたので嬉しいです。
「馬車にするか馬にするか。どっちで行きたい?」
「馬でお願いします!」
即答した私にハウストが意外そうな顔になる。
馬に乗れない私が馬を希望したので驚いているのですね。
フフン、と胸を張って彼に自慢します。
「ご心配なく、私も乗馬の訓練を始めているんです! 教官にもだいぶ上達したと褒めていただいたんですよ? だから大丈夫です!」
そう、婚約者になってから私は儀式や儀礼作法、歴史や地学など、多くの学問を専門の教官から学んでいます。乗馬もその一つでした。たくさん勉強しなければならないので大変ですが、それもすべてはハウストに相応しい王妃になる為です。
「そうだったのか。一緒に乗れるかと思ったんだが、残念だ」
「それはまた別の機会に、その、二人きりで……」
とても魅力的な誘いですが、人前でそれは恥ずかしいです。
それにせっかく乗馬できるようになったので披露したいではないですか。
少しして馬の準備が整いました。
一流の調教師によって育てられた二頭の名馬。ランドルフが是非と用意してくれたのです。ハウストへは見上げるような大きな黒馬。私へは毛並の美しい白馬です。
「イスラ、来なさい。一緒に乗りましょう」
「うん!」
嬉しそうにイスラが駆けてきて、物珍しそうに馬を見上げています。
いつも遊んでいる魔狼や森の動物は見慣れていますが、こうして人に調教された馬は初めてなのです。
イスラを抱っこして馬の背の鞍に跨らせました。
「わあっ、すごい! おうまっ、おうま!」
「馬は初めてでしたね」
「うん!」
「魔狼に乗る時のようにちゃんと捕まっていてください」
「わかった!」
「ふふ、いい子ですね」
さて、次は私が馬に騎乗する番です。
足場を用意してもらい、ローブの裾を抓まんで緩く押さえる。そして足を上げて跨ろうとしましたが。
「わっ、ハウスト! 自分で乗れます!」
ハウストにひょいっと抱き上げられました。
そのまま鞍の上に跨らせられます。
「自分でできるのに……」
「勢いで反対側に転がり落ちたら大変だ」
「そんなヘマはしません!」
「心配くらいさせてくれ」
ハウストはそう言うと、馬に跨ったことで乱れた私のローブの裾を直してくれる。
魔王の手を煩わせていることに侍女が慌てましたが、「俺にさせろ」とハウストが整えてくれました。
「ありがとうございます」
「様になっているな。よく訓練している」
「はい、もう少し上手くなったら競争しましょう」
「それは楽しみだ。いくら相手がお前でも勝負事は手加減してやれないが大丈夫か?」
「あ、バカにしていますね。望むところです」
言い返した私にハウストが喉奥で笑う。
そして私の手を取ってわざわざ手綱を握らせてくれました。
離すなよ? と言われているようで、少し呆れてしまいます。
「心配性ですね……」
「お前のことだからな」
手を離す間際に一瞬だけ強く手を握られて、それだけで頬が熱くなります。
それなのにハウストは何ごともなかったように黒馬に跨り、たてがみをひと撫でしてゆっくりと歩かせました。
「行くぞ」
「はい。イスラ、私たちも行きますよ」
「うん!」
イスラの背後から手綱を握り、馬を歩かせます。速さに注意して慎重に。
少し前にいるハウストがちらちら気にしてくれましたが、大丈夫です、ちゃんと乗馬できます。
進みだした私たちに合わせ、騎馬隊や侍女の方々も一緒に進みます。もちろんコレットも同行していました。人数は最小限に絞りましたが、それでもちょっとした隊列です。
私たちは西都を出て、山に向かって街道を進みます。
山岳地帯へ向かう街道にはたくさんの荷物を運ぶ商人や、観光目当ての旅人の姿が多くありました。
西の領土の大瀑布は魔界でも指折りの絶景で、多くの魔族が大瀑布を目当てに山へ入るそうです。
街道を行き交う魔族は魔王の隊列に気付くと、道の脇に避けて深々とお辞儀する。
近隣の街や村からも魔王をひと目見ようとたくさん集まって道沿いに連なっていました。
ゆっくりと進む私たちの隊列に合わせ、道の両脇に連なる魔族がお辞儀する光景。馬上から見るそれはまるで波のようで、私の方が緊張してしまいます。
だって、すごく見られています。お辞儀をする間際や、顔を上げた間際、一瞬の隙をつくようにチラチラ見られていました。
「あの方が魔王様のお妃様になる方なのね」
「人間らしいわよ。魔王様が魔界にお連れになったとか」
「勇者様の御母上様でもいらっしゃるそうよ」
人々の囁きが聞こえます。
その声色には好奇心と困惑、ちょっとの不審と期待がありました。でもあからさまな嫌悪を向けられなかったのが救いです。
ハウストは魔界の人々にとても敬愛される魔王です。その魔王の婚約者がどんな人間かとても気になるのでしょう。魔族のこの反応は当然でした。
それは分かっていても、隠れてしまいたいような、身も心も縮こまるような、そんな気持ちになってしまいます。
無意識に視線が落ちそうになりましたが、ふとハウストがちらりと振り返ってくれる。
あ、目が合いました。
すぐに顔は前を向いてしまいましたが、私にはそれだけで充分です。少し目が合っただけで言葉はありませんでしたが『堂々としていろ』と言われた気がしました。
モルカナ国の舞踏会の時もそうでしたね。堂々と振る舞っていればいいと教えてくれました。今は見掛け倒しのハッタリですが、いつか本当に堂々と振る舞えるようになりたい。
私はひとつ深呼吸して背筋を伸ばし、誰と目が合ってもいいように、誰に見られていてもいいように、内心緊張しながらも穏やかな微笑を作ります。
ぎこちない微笑は承知です。口角を上げる角度や、微笑した時の目の細め方。細部まで表情に気を使っていますから。
ずっと微笑を貼りつけていると顔が筋肉痛になりそうですが、王妃になるなら人前に立つことも慣れていかなければなりません。
こうして大勢の魔族に見守られて進む街道を抜け、ようやく山道に入ってほっと安堵しました。ここからは視線から解放されます。
「疲れたか?」
緊張を解いた私にハウストが話し掛けてくれました。
ずっと気にしてくれていたようです。
「これなら馬車の方が良かったかもしれんな。気が付かなくて悪かった」
「いいえ、やはり馬で正解でしたよ。せっかく素晴らしい大自然の中を行くのに、屋根のある馬車では勿体ないではないですか。便利な転移魔法だって今は無粋というものです。それに街道に集まった方々はあなたに会えて嬉しそうでした」
「ようやく落ち着いて暮らせるようになったからな」
ハウストはそう言うと、陽射しを受けてキラキラと輝く山の木々を見上げます。
先代魔王時代の苦難は多くの魔族の中に傷跡として残っているのでしょう。ハウストもそのうちの一人です。
でも、魔界の多くの魔族が当代魔王ハウストを敬愛していることを昨日の視察で知ることができました。
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