三ノ環・崖っぷちの父子2

「行くぞ。もう少し先まで馬で行こう。そこから先は歩きだ」

「はい。楽しみです」


 馬で山道を進むと、しばらく行った先に宿舎がありました。

 ここで馬を降りて、ここから先は山道を歩いて登ります

 先に馬を降りたハウストがイスラを抱っこして降ろそうとしてくれましたが。


「ひ、ひとりでおりられる!」


 ぴょんっ! 突然イスラが鞍から飛び降りてしまう。

 でもそれは馬にとって突飛な行動というものでした。


「えっ、ちょっと! わああ!」


 馬が驚き、前足をあげて嘶き声をあげる。私は振り落とされそうになりましたが、咄嗟にハウストが馬を落ち着かせて私の体を支えてくれました。とりあえずひと安心です。


「ご、ごめんなさい、ブレイラ……」


 見るとイスラが少し青褪めた顔をしていました。

 私が落馬しそうになって驚いてしまったのですね。


「私は大丈夫です。でも馬がびっくりしてしまいますから、次からはゆっくり降りてくださいね」

「わかった……」


 イスラはこくりと頷いたものの、居心地悪げにきょろきょろと視線を彷徨わせました。

 普段とは違った様子に心配になってしまいます。


「イスラ、どうかしたんですか?」

「な、なにもない! オレ、さきにいく!」


 イスラは頭を振ってそう言うと、狭い山道を走っていってしまいました。

 護衛兵が追いかけてくれているので心配はありませんが、いつにない態度に困惑してしまいます。


「イスラはどうしたんでしょうか。ハウストはなにか知っていますか?」

「……いや、悪いが俺も分からん。それより手を」

「ありがとうございます」


 ハウストの手を借りて馬から降りました。

 乗馬も楽しいですが、やはり地面に足が着くとほっとしますね。


「さっきは驚かせましたね。ゆっくり休んでください」


 そう言って白馬の頭を撫でると嬉しそうに鼻を寄せてくれました。

 ここからは歩いて山登りです。

 イスラは先に行ってしまいましたが、ここは観光地にもなっている場所なので迷うことはないでしょう。


「ブレイラ、こっちだ。転ばないように気を付けろ」

「大丈夫ですよ。あなた、私が山育ちなのをお忘れですか?」

「そうだったな」


 軽口を交わしながら山道を登っていく。

 山道といっても緩やかな傾斜が続く道で難所らしい場所はありません。それに私たちの周囲には常に護衛兵や女官や侍女が控えていて、あまり山を登っているという気にはなりませんでした。

 でも途中には小動物や珍しい植物が見ることができて、ちょっとした散策を楽しめます。

 そして木々に囲まれた山道をしばらく歩き、小高い崖の上に出る。


「これはすごいっ……」


 目の前に開けた絶景に息を飲みました。

 緑の山々に突如出現した巨大な白いカーテン。全長十キロ以上にも及ぶ崖の裂け目から、約二百メートルも下の川に向かって水が直下している。辺りには凄まじい大瀑布の音が響いて、水飛沫がここまで届きそうです。

 正面の崖から望める迫力の絶景に、言葉も忘れてしまう。見ているだけで圧倒されて、飲み込まれてしまいそうでした。


「お待ちしておりました。魔王様、ブレイラ様」


 大絶景に言葉を失っていると、先に到着していたランディに声を掛けられました。

 大瀑布を案内してくれるランディは私たちの到着をずっと待っていてくれたのです。

 でも昨日のこともあって、ランディはハウストと顔を合わせ難そうでした。当然ですよね、不問にされたとはいえ会議逃亡は有り得ないですから。


「あ、あの、魔王様、……き、昨日は……まことに申し訳なくっ……」


 じろりとハウストが目を向けると、「申し訳ありませんでした!!」ランディが飛び上がって勢いよく頭を下げました。

 そんなランディをハウストが静かに見下ろします。


「昨日の会議はつまらなかったか?」

「い、いいえ、そういう訳ではなくっ。その、あの場に……不相応な自分に居た堪れなくなってしまって、それで……」

「逃げたか」

「それは、その、……はい。……ほんとうに、不甲斐なく、申し訳ありませんでした……」


 ランディの声が小さくなっていく。

 ただでさえ気弱そうな男なのに、ハウストの前で完全に萎縮されていました。


「まあいい、ランドルフから詫びられて不問にしている」

「父上が……、そうですか……」


 ランディはそれきり黙りこんでしまいました。

 視線は地面に落ちて、肩が下がってしまっている。ハウストを前にしていることもありますが、ランドルフの名前が出てから更に落ち込んだようでした。

 もう見ていられません。私はさり気なく間に入り、ランディに声をかける。


「イスラは先に来ていませんでしたか?」

「えっ?」


 突然声を掛けられたランディが驚いたように顔をあげました。

 ここへ来るまでの街道で浮かべていた微笑をつくり、ランディに優しい声色で言葉を続けます。


「馬を降りてイスラだけ先に走っていってしまったんです。先に来ていると思うのですが」

「は、はいっ。来ています! イスラ様なら見ました! すぐに呼んできますので!!」


 ランディが急いで駆けだして行きました。

 この場から解放されて内心ほっとしていることでしょう。

 私は隣のハウストをちらりと見上げます。

 呆れた顔で見上げていると、気付いたハウストが少し居心地悪そうに顎を引く。


「……なんだ」

「いじわるですね。昨夜は笑って話していた癖に、本人の前であんな怖い顔して。それにわざとランドルフ様の名前をだしましたね?」

「知っていたか」

「はい、昨日の孤児院でランディ様を見つけてからジョアンヌ夫人から聞きました。ランディ様はランドルフ様に劣等感をお持ちのようですね」


 親子関係はいたって良好だそうですが、先代当主と現当主という関係になると駄目なようです。

 ランディは後継者として力不足の自覚があるようで、少なくともこのままで良いとは思っていないのです。しかし身近にランドルフのような存在があることは、彼にとって大きな重圧でした。

 先代当主のランドルフは先代魔王時代に西の領土を守りぬいた傑物なのです。ランディは素直に尊敬しながらも、何かと比べられて苦しい思いをしてきたそうですから。


「ランドルフも出たがりな男だからな。自分で当主の座を譲った癖に、息子が気になって気になって仕方ないようだ」

「……それは困りましたね」


 私は親がいないので父親と息子の微妙な関係というのはよく分かりません。

 でも、それでもそれが良くない傾向だというのは分かりますよ。おそらくランディの劣等感を育てまくっていることでしょう。

 少ししてランディとともにイスラが戻ってきました。

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