Ⅵ・船長と幼馴染と8
「現在クラーケンの居場所は分かりません」
「どうしてですか、クラーケンを復活させたのは国の防衛力を高める為だったんですよね?! だったらっ」
「クラーケンを呼ぶことは出来ますが、かといって制御できているわけではないんです。一度出現すれば敵味方なく船は沈められ、多くの人々が海底に引き摺りこまれてクラーケンに飲み込まれていきました」
「そんなっ、それじゃあイスラはっ」
絶望的な答えに気が遠くなりました。
イスラは暗い海の底か、それともクラーケンの腹の中か……。どっちにしても絶望的な状況であることに間違いありません。
でも、ハウストはイスラが生きていると言っていました。近いうちに必ず会わせると。
ということは、ハウストは何らかの情報と確証を得ているということでしょう。
そしてハウストが私にイスラの居場所を黙っていたのは、私がショックを受けてしまうことを見越してのものですね。優しいですね、ハウストは私からすべての憂いを取り去って、穏やかで優しいものだけを与えてくれる。それは有りがたくて幸せなことです。見たいものしか見なくて済むのですから。傷付かなくて済むのですから。でもね、私は話して欲しかったと思ってしまいます。
「それならクラーケンを呼び出してください! イスラはクラーケンと海に消えてしまったんですっ。私はイスラを助けたい!」
「勇者イスラ様がっ。……まるで、伝承の勇者のようです」
「伝承の勇者?」
「はい。この国の海には千年以上前から伝わる伝承がありました。当時の精霊王によって怪物クラーケンが封印されたというものです。しかし、伝承によると戦っていたのは精霊王だけではありません。当時の勇者も精霊王と一緒にクラーケン討伐を行なったようです。でも、死闘の末に勇者だけクラーケンに飲み込まれてしまったと残っています」
「千年以上前の勇者がクラーケンに……? そんなことがあったなんて」
なんてことでしょうか。まさかそんな運命を辿った勇者がいたなんて知りませんでした。
同じ勇者であるイスラは何か感じていたのでしょうか。クラーケンの存在を知ってから、イスラは暗示にでもかかったかのように討伐に熱を入れだしたのです。
いにしえの時代の勇者と、現在の勇者であるイスラ。関係無いとは思えませんでしたが、今は考えている暇はありません。
「…………時間がありませんね。今は深夜二時。夜明けまで三時間。海賊処刑まで後十時間」
刻々と迫る刻限に私とエルマリスは焦ります。
しかしふと、先ほどのエルマリスの言葉を思い出しました。
「エルマリス、さっきクラーケンを呼べるといいましたよね?」
「はい」
「……もしかしたら使えるかもしれません。エルマリス、教えてほしいことがあります」
「なんでしょうか?」
「ちょっとこっちへ」
私はエルマリスを側に呼ぶと、こそこそと海賊救出の作戦を話したのでした。
◆◆◆◆◆◆
城の地下には牢獄がある。
それは知っていたが、まさか自分の城の地下牢に主人たる自分が投獄されるなんて、今まで夢にも思っていなかった。しかも処刑待ちだ。
アベルは地下の薄暗い牢獄の奥で苦い笑みを刻む。
夜明けまで後何時間だろうか。今日の正午、街の中心にある広場でとうとう処刑される。
海賊になった日から覚悟はしていたが、まさか魔王の寵姫を船に乗せた所為で拿捕されることになるなんて夢にも思っていなかった。
自意識過剰な寵姫はムカつくが、死を目前にしても不思議と怒りは沸いてこない。むしろ海賊になってからの楽しい思い出が巡るのだから笑えてくる。
ふと、気配を感じてアベルは顔を上げた。鉄格子の向こうに誰かが立っていた。
牢獄の前に来るまで気配を感じさせなかった不審な男にアベルは訝しむ。
「こんばんは。あんたがアベル船長かな?」
「誰だてめぇ……」
「俺は精霊族のジェノキスだ」
「精霊族だと?」
「そう。精霊王の代理で、ちょっと国にお邪魔してるぜ」
そう、アベルの前に現われたのはジェノキスだった。
ジェノキスは鉄格子越しにアベルをじろじろ見る。
その不躾で遠慮がない視線にアベルの額に青筋が浮かんだ。
「ああ? じろじろ見てんじゃねぇよ」
「ああ、悪い悪い。なるほど、これが年下の間男かと思って。ふむ、魔王様や俺とは違ったタイプだな。……うーん、そういうの困るな。もしブレイラが年下趣味になったらどうしてくれるんだよ」
「さっきからなに言ってんだ?」
いよいよ不審丸出しになるアベルに、ジェノキスは怒るなよと軽く笑った。
「そんな胡散臭そうに見るなって。俺は伝言持ってきただけだから」
「伝言?」
「そう、頼まれたんだ。『覚悟を決めろ。もう逃げるのは終わりだ』って伝えとけって」
「なんだそれ。誰からそんなの頼まれたんだよ」
「それはお楽しみだ」
ジェノキスははぐらかすと、「あ、お客さんだ」と近づいてくる気配に気付く。
たしかに誰かが地下牢の階段を降りてくる足音がする。
「じゃあ、俺はそろそろ行くから。伝言はたしかに伝えたからな」
そう言うとジェノキスの足元に魔法陣が出現し、パッと姿が消えてしまった。
気配すら残さないジェノキスにアベルの不審が深まっていく。あの男がかなり手練れの精霊族だということはすぐに分かった。
だが嫌いなタイプの男であることに変わりはない。
魔王より話しは通じそうだが、人を小馬鹿にしたような軽い態度がムカつく。
ジェノキスが消えた所を睨んでいたが、少しして階段を降りてきた客が姿を見せた。
「……久しぶりだな、エルマリス。五年振りか?」
「アベル様っ……。ぅっ」
牢獄への客、そう、執政補佐官エルマリスだ。
エルマリスはアベルを見ると、感極まったように握りしめた拳をぶるぶる震わせる。
「泣くなよ?」
「無理ですっ、むりです……っ、アベルさまっ、アベルさまぁっ……、うぅっ」
エルマリスの瞳から次から次へと涙が溢れてきた。
それは頬を伝い、ぽたぽたと冷たい石畳の床を濡らす。
泣き崩れたエルマリスにアベルは困ったように苦笑した。
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