九ノ環・氷の大公爵1
翌日。
モルカナ国王立会議堂の正面玄関を出ると、そこには魔界から同行してくれている女官や侍女、護衛の精鋭部隊が待機してくれていました。騎兵が翻す隊旗は魔王旗に準ずるもので、ハウストが人間界でも不自由なく移動できるようにと用意してくれていたのです。
側近女官のコレットに促され、兵列の中心にある金細工が施された白い馬車へと足を向けます。
馬車に乗り込む前に、見送りに出てきてくれた各国の王たちを振り返りました。
そこに居並ぶのは円卓会議に出席した各国の王たち。私は円卓会議に参加はできませんが、特別に傍聴席を用意されてイスラとともに会議の模様を見守っていました。
「本日は円卓会議の傍聴を許していただきありがとうございました。皆さまの懸命なお働きに三界に住む一人として勇気づけられました」
「ありがたき御言葉です。ブレイラ様にお会いできたことを光栄に思っています。魔王様にもよしなにお伝えください」
円卓会議に出席した王の一人はそう言うと、私と手を繋いでいるイスラの前に跪きました。
もちろん他の王や大臣、高官たちも跪いてイスラを見つめます。そこにあるのは身勝手な期待と希望。
「勇者様、この混迷を極めた人間界で勇者様の存在は光です。どうぞ我々人間をお導き下さい」
「…………」
イスラは困ったように目を泳がし、私の後ろにこそこそと隠れてしまいました。
そんなイスラをさり気なく庇います。無礼は承知ですがイスラを身勝手な期待に晒したくないのです。
「すみません。まだ子どもですから」
「それは失礼しました。ですが我々が王に尽くすことはお許しください」
「各国の王にそのように扱われるのは身に余ることです」
「いいえ、勇者様は人間の王です。いにしえの時代より我々人間を導いてくださいました。勇者の御母上様も我々と同じ人間なのですから、勇者様に特別な御言葉をおかけください」
「覚えておきましょう」
淡々と答えながらも、イスラと繋いでいる手に力を籠めました。
『勇者として人間の為に戦え』と私からイスラに言えというのですね。
この王に悪気がないのは分かっています。でも、無意識に目が据わってしまいそうになる。
「――――おい、挨拶はその辺でいいだろ。そろそろ出発させてやれ」
今まで黙って見ていたアベルが前に出てきました。
この不遜な態度に各国の王たちが難色を示す。
「モルカナの新しい国王は言葉使いを知らないとみえる」
「うっせぇな。今はそんな小せぇこと言ってる場合じゃねぇだろ。なんの為の円卓会議だ」
居並ぶ王たちより年若い王でありながら太々しいほど生意気な態度です。
でも今はその生意気さに救われた気がしました。
「アベル、お世話になりました。人間界は大変な窮地にありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「任せろよ。俺が王になる前は何してたと思ってんだ? 嵐の舵取りは得意だぜ」
「ふふ、そうでしたね」
「あんたもこれからが大変だろ。北は閉鎖的な国が多いし、案内役としてエルマリスを同行させてやる」
アベルの言葉に背後に控えていたエルマリスが一礼しました。
思わぬ申し出に驚いてしまいます。
「いいのですか? あなたの大事な側近でしょう」
「エルマリスが望んだんだ。行くなとは言えないだろ」
「人間界での案内役が必要かと思いまして、アベル様にブレイラ様に同行したいと申し出ました。よろしくお願いいたします」
「そうですか、あなたが案内役をしてくれるのは心強いです。ありがとうございます」
私もハウストと出会うまでは人間界に住んでいましたが、国の片隅でひっそりと暮らしている貧民でした。そんな私に人間界で頼る伝手があるはずもない。だから旅路に気心も知れたエルマリスが案内役を買って出てくれて助かります。
「それでは失礼します」
そう言って見送りの方々に一礼し、イスラとともに馬車に乗りこみました。
私とイスラに続いてコレットとエルマリスも乗り込みます。
ゆっくりと馬車が動きだし、車窓から見送りの方々が見えなくなるまで丁寧に会釈する。魔王ハウストの婚約者として一挙一動が見られているのですから気が抜けません。
間もなくして見送りの姿が見えなくなり、ようやく肩の力が抜けます。
「ふぅ、落ち着きましたね」
ため息とともに背凭れに背を預けました。
こんなだらしない姿は他国の王に見せられませんが、馬車の中は気心の知れた者達だけです。気が抜けてしまいました。
「……覚悟はしていましたが、やはり肩が凝るものですね。あなたも疲れたでしょう?」
「だいじょうぶだ」
「ふふ、無理をして。でもとてもお利口にしていましたね」
えらかったですよと隣に座っているイスラの頭を撫でると、嬉しそうに抱きついてきました。
今日は朝からモルカナ国王立会議堂の大会議室で人間界の王たちによる円卓会議を傍聴していたのです。
今回の円卓会議に出席した王たちは比較的友好的な国々ばかりで、今回の災厄を他国と協力して乗り切ろうと考えていました。なかには勇者という存在に多大な期待をしている国王もいましたが、それはその王だけが特別というわけではないのでしょう。きっと人間界の人間の総意ともいえるもの。
身勝手なものです。勇者という存在に身勝手に期待し、無条件に夢を見ているのです。もしかしたら勇者ならどんな困難も容易く乗り越えると思っている人間もいるかもしれません。勇者はどんな巨悪を前にしても死ぬことはないと思っていることも。
そんな馬鹿なことがあるものですか。
イスラは勇者でも人間の子どもです。怪我をすれば痛みを感じ、悲しい出来事があれば心を傷付けます。そんな普通の子どもです。
でも、怒りながらも強く責めることはできません。私はイスラの親だからこそ身勝手さに怒りを覚えますが、そうでなければ他の人間と同じでした。それほどに普通の人間にとって勇者は遠い存在なのです。そう、幼い子どもが母親から語られるお伽話の主人公のようなもの。
「エルマリス、人間界の北方の国々はどのようなものですか? アベルは閉鎖的な国だと言っていましたが……」
「はい。アベル様のいうとおり閉鎖的な国々が多く、なかには他国との国交を最小限しか結んでいない国もあるほどです。雪深い季節になると外部との流通も情報もほとんど遮断されますから」
「他国からの干渉を好まない国ということですね」
事前に使者を送りましたが少し不安を覚えます。
でもエルマリスが安心してくださいと声をかけてくれました。
「今から向かうフォルネピアは閉鎖的な北の国々のなかでも友好的な国です。モルカナと国交も結んでいますし、お力になれると思います」
「そうなんですね、良かった。ありがとうございます」
エルマリスの言葉にほっと安堵しました。
目的地のフォルネピアは人間界の最北に位置する国でした。今回、そこに向かうことになったのはフォルネピアに勇者の宝が発見されたからです。
今日の円卓会議には各国の王だけでなく、勇者の宝を守り続けてきた契約者の末裔たちも参加していました。末裔たちは国によって保護され、今回の円卓会議に勇者の宝を持ち寄ってくれたのです。なかにはイスラに宝を返そうとする者もいましたが、イスラは今までと同様に断っていました。
新たに目にした勇者の宝は剣や盾といった武具、櫛や書物や杖などの道具などです。一見勇者の宝とは思えぬような物もありましたが、どれもがモルカナの魔笛やアロカサルの砂時計と同じく紫の光を帯びていました。
でも、すべての宝を円卓会議で確認できたわけではありません。
今回の円卓会議に人間界のすべての国が出席していたわけではなく、召喚されながらも無視する国や、協力するつもりはないと頑なに跳ね退ける国もあったのです。その中の一つがフォルネピア。
そういった国には使者を派遣して説得にあたりますが、フォルネピアは勇者の宝を保持している国です。そのこともあって私たちが直接向かうことにしたのです。
フォルネピアにある勇者の宝は魔鏡。モルカナと国交を結んでいる国なので本来なら契約者とともに王が円卓会議に出席していてもおかしくありませんでした。でもなぜか姿を現わさず、アベルはそれを訝しんでいました。
「それにしても、いったいどうしてフォルネピアは円卓会議に出席しなかったんでしょうか……」
「理由は分かりませんが、今はどの国も冥界の対応に追われています。きっとその所為ではないかと」
「そうですね。今は三界が大変な時ですから」
今、三界のすべてが厳重な警戒態勢をとっています。
この異常事態にすべての世界が無関係ではいられません。
「ブレイラ様、もうしばらくしましたら召し物をお着替えください。フォルネピアは一年のほとんどが雪の積もる寒い国ですから」
「分かりました。お願いします」
新しい召し物を用意してくれるコレットに礼を言いました。
もちろんイスラの着替えも用意していただいています。
「ブレイラ、ゆき?」
イスラが聞き慣れない言葉に顔をあげました。
私は笑いかけ、「そうですよ」と頭を撫でてやります。
「イスラは雪は初めてでしたね。私も初めてなんです」
私の生まれた国に雪は降りませんでした。イスラには絵本でなら何度か読み聞かせましたが本物の雪は初めてです。
「ブレイラも?」
「そうですよ」
「ブレイラといっしょ」
「はい、一緒です」
そう言うとイスラが照れ臭そうにはにかみました。
私にぎゅっと抱き付いて、これから行く雪の国の想像を膨らませます。遊びに行くわけではありませんが少しくらい良いですよね。
「ゆき、つめたいのか?」
「はい、冷たいです。今から行く国はとても寒いので、イスラも着替えましょうね」
「わかった!」
「ふふ、楽しみなんですね。……実は私も少し楽しみなんです」
内緒話しのようにこそこそと耳元で囁くと、イスラが嬉しそうに肩を竦めます。
こんな時だというのに不謹慎ですね。
でも最近ずっと強張っていたイスラの顔が綻んで、私の気持ちも嬉しくなるのです。
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