八ノ環・勇者は私の腕のなか5
モルカナ国王都を見渡せる小高い丘にアベルの居城があります。そしてその居城に連なるようにしてあるのが迎賓館。他国から訪れた国賓を迎えるための宮殿です。
魔界からの使者である私たちは国賓扱いを受ける為、迎賓館へ通されました。迎賓館が厳重な警備に守られた場所ということもありますが、外部の人間が安易に近づける場所でないので拠点にして自由に動けるようにというアベルの計らいです。
「いろいろありがとうございます。力になってくれて助かります」
「当たり前だろ。冥界は人間界のどこの国も無視できないからな、モルカナはこの件で協力を惜しむつもりはない」
「ありがとうございます。とても心強いです」
迎賓館の応接間でアベルやエルマリスと向き合う。
出迎えられた時はモルカナ国の大臣や高官も一緒でしたが、迎賓館に入るとアベルとエルマリスだけになってくれたので肩の力が抜けました。
「話しは長くなるので、先にお茶を淹れてきましょう」
「お待ちくださいっ。それは給仕がいたしますので」
「いいえ、私が淹れたいのです」
エルマリスが慌てて呼び止めてくれましたが、今は私があなた方に振る舞いたいのです。あのモルカナの御家騒動の件が解決した時もこうして皆でお茶を頂きましたね。
「イスラも待っていてくださいね」
「……やだ、オレもいく」
「お茶を淹れに行くだけですよ」
「おてつだいするっ」
そう言ってイスラが私にぎゅっとしがみ付きました。
イスラと呼びかけると、小さな両手を差し出してきて抱っこをせがんできます。
「あなたを抱っこするとお茶が淹れられません」
「できるっ」
「無茶なことを……」
いつになく甘えるイスラに困ってしまいます。
普段ならば甘えてはいけませんと窘めるところですが、今のイスラは不安定な状態にあるのです。今は私も窘めることができない。
そんな私たちの様子にアベルが苦笑し、「エルマリス、変わってやれよ」と声をかけてくれました。
それを受けたエルマリスは特別に用意していた茶葉でお茶を淹れてくれます。
「……すみません」
「気にするな。全部が解決したら淹れてくれよ。それまでご褒美ってことでとっとけ」
「アベル、あなた……」
アベルをまじまじと見てしまいました。
最後に会ってからまだ数ヶ月ほどだというのに、以前より男ぶりが増したというか、大人になったというか……。年下だというのに気遣われてしまいました。
感心する私の眼差しにアベルが居心地悪そうに舌打ちします。
「……なんだよ」
「いえ、驚いただけです。前はもっと不遜で太々しかったのに、こんな細やかな気遣いができるようになったのかと。感心しました」
「おいっ、それ褒めてねぇだろ」
「ふふふ、ありがとうございます。あなたの気遣いが嬉しくて」
海賊の船長をしていた頃を知っているからでしょうか、なぜか私が誇らしい気持ちになります。そうやって良い男になっていくのですね。
「ブレイラ、ここ、すわれ」
気を引くように呼ばれ、くいくいっとローブの裾が引っ張られる。イスラです。
イスラが少し拗ねた顔で私を見上げていました。
離れるなと言わんばかりのイスラに苦笑してしまう。
それを見ていたアベルが呆れた顔になります。
「……おい、いつまでもママに甘えてんじゃねぇぞ」
「……うるさい」
イスラが隣に座った私にしがみついてキッとアベルを睨みます。
「こら、そんな態度はいけません」とイスラを窘めつつも、アベルの余計な一言も聞き逃していません。
「アベルも余計なことは言わないでください。それと、私はイスラの親ですが母と呼ばれるのは不快です」
「まだそこ突っ込むのかよ……」
どこから見てもママだろとアベルがますます呆れてしまいました。
反論したいところですが、今はエルマリスが淹れてくれたお茶のハーブの香りに免じて黙りましょう。それに今は聞きたいことがたくさんあります。
ハーブの香りに心を落ち着かせ、改めてアベルとエルマリスに向き直りました。
「私が人間界へ来た理由は察していただけていると思います」
「これのことを聞きに来たんだろ?」
アベルがそう言うと、側に控えていたエルマリスがモルカナ国の秘宝である魔笛を出してくれました。それは勇者の宝。
現在、人間界に衝突した冥界は勇者の宝によって造られた結界に封じられています。この魔笛も発動した宝の一つです。
今、魔笛が紫の光を帯びている。それは以前には見られなかった現象でした。
「やはり以前とは違いますね」
「ああ、結界を発動させた時はこんなもんじゃなかったぜ。国全体が覆われたくらいの光柱が昇って六ノ国を射したんだ。強い光はすぐに収まったが、今もこうして光を帯びてる。魔力を放出して結界を支えてるらしい」
「そうですか。砂時計もそのような状態だと聞いています。きっと他の勇者の宝も同じような現象が起こっているでしょうね」
アロカサルで守られていた砂時計は魔界で保管されています。ゴルゴスとアイオナが死去したことで砂時計を守っていた血族が断絶したのです。
「エルマリス、調査報告書を見せてやってくれ」
「はい。ブレイラ様、我々が調査した勇者の宝の在処です。現在、人間界にある勇者の宝は魔笛を含めて二十二個。魔界で保管されている砂時計を含めれば二十三個です。契約者の血族が断絶して行方不明になっていた宝もありましたが、今回の結界発動で発見されました。宝は急ぎ回収されて各国で保護されています」
「ありがとうございます。今はこの国々に勇者の宝があるんですね」
渡された書類に目を通し、勇者の宝の現在位置を確かめます。
冥界がアロカサルに衝突した際、人間界の各地から光柱が立ち昇りました。その光源の国々に勇者の宝があるのです。
いったいどんな方々が勇者の宝を守ってくれているのでしょうか。契約者の末裔はイスラの味方になってくれる人間だと信じています。そう、ゴルゴスやアイオナのように。
ふと隣のイスラを見下ろすと、落ち着かない様子でちらちらと私を見上げていました。その瞳の奥にあるのは不安と前向きな興味。
目が合うとハッとして誤魔化すように焼き菓子を頬張りだす。
誤魔化すのが下手くそですね。怖いけれど不安だけれど、それでも興味を抱いてしまうのは過去の勇者たちが選んだ契約者だから。でも同時にゴルゴスとアイオナを思い出してしまうのでしょう。怖いのですね。
「そのお菓子、おいしそうですね」
「うん。おいしい」
「一つください」
「うん」
受け取ったお菓子を一口食べて笑いかける。
いい子いい子と頭を撫でてあげます。
「ありがとうございます。おいしいですね」
「うん」
イスラも頷いて、またもぐもぐ食べだす。
見るとイスラの口周りにはお菓子の欠片がついていてハンカチを取りだしました。
「イスラ、拭いてあげます。こちらを向きなさい」
「ん」
振り向いたイスラが小さな唇を突きだします。
可愛らしい唇の周りを丁寧に拭き、安心させるように笑いかけます。そして、今のあなたが欲しい言葉をあげましょう。甘やかし過ぎだと思う方もいるでしょうが、いいのです、私はあなたの親ですから。
「大丈夫です。勇者の宝を見に行く時も、あなたは私の子どもとして一緒にいるだけなんですから、関わる必要はありません」
「ブレイラ……」
「大丈夫ですよ」
大丈夫です。世界中の人間があなたに勇者であれと求めても、あなたの心に迷いがあるなら私が守ってあげます。
あなたがどんな答えを出したとしても、その答えごと守ってあげます。
私はあなたに子どもであってほしいと願いますが、それでも『今は関わる必要はない』のか『これからも関わる必要はない』のか、それを決めるのはイスラなのでしょう。
でもアベルから視線を感じて顔をあげる。言いたいことは分かっています。
「……なにか文句でも?」
「別に?」
「イスラはまだ幼い子どもです。忘れないように」
「分かってるよ。だからそんな威嚇すんなよ、美人に睨まれると妙な気分になる」
「威嚇とはなんですか。言葉を選びなさい」
「ハイハイ」
アベルはおざなりに返事をすると、「ところで」と改めて私に向き直ります。
「せっかく人間界に来たんだから、ついでに人間界の国王どもと会っていくか? 明日、冥界の一件で人間界の国王や大臣が集まって円卓会議が開かれることが急遽決まったんだ。勇者の宝を保持してる国の王も出席すると聞いている」
「えっ、いいんですか?」
思わぬ申し出に驚きました。
モルカナ国王のアベルは出会った経緯が特殊なので別ですが、本来なら王は気安く会える存在ではないのです。
「いいもなにも、自分の立場を自覚しろ。あんたが人間界に来ていることは他国にも知られている。あんたが顔を出さねぇといろいろ邪推されかねないだろ」
「……たしかに」
邪推とは馬鹿みたいな理由ですが、無用な邪推によっていらぬ諍いが起こることもあるものです。
「賢明な判断ですね。ふふふ、すっかり王様ですね。海賊のあなたも悪くありませんでしたが、王様のあなたも素敵だと思いますよ?」
「お褒めに預かり光栄です、てな。でも、その褒め言葉は魔王様の前では言うなよ? 海賊狩りならぬモルカナ狩りをされたら堪ったもんじゃねぇからな」
アベルはいたずらっぽい顔で言うと立ち上がりました。
「今夜はゆっくり休めよ。明日の会議は頼んだぜ?」
「はい。勇者の宝を見に行くのは会議が終わってからにしましょう」
そう言って応接間を出て行くアベルを見送ります。
でもその前に、一つだけ聞いておきたいことがあります。
少しの緊張を覚えながらアベルをまっすぐ見つめました。
「アベル、魔笛はモルカナ国に古くから伝わる秘宝だったんですよね。では、あなたも契約者の末裔なんですか?」
「いいや、違う」
あっさり否定されてしまいました。
しかも即答で、心中複雑です。アベルが契約者の末裔なら良いのにと少しだけ思っていたので。
「モルカナの誰かが末裔だったんだろうが、大昔に血族が断絶して宝だけ国に保護されたんだろ。たぶん」
長い年月が流れるうちに勇者の宝という史実が忘れられ、いつしか国の秘宝になったというわけですね。きっと他にもこういった勇者の宝があるのでしょう。
「……おい、そんな拗ねた顔すんな」
「してません」
「そういう事にしといてやるよ」
アベルは鼻で笑うと応接間を出て行こうとします。
でも出て行く前にもう一度振り返り、照れ臭そうに口を開く。
「心配すんな。俺は味方だ」
契約なんか関係ねぇよと口端をニヤリと吊り上げました。
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