九ノ環・氷の大公爵2
雪と氷の国、そこはとても美しい銀世界だと書物で読みました。
今、視界一面に映る景色はまさにそれ。純白の雪で覆われた大地や木々がキラキラと輝いて、まるで別世界です。
「雪とは、これほど美しいものでしたか……」
「すごい……。これが、ゆき」
私とイスラは銀世界の夢物語のような美しさに見惚れてしまいます。
時間を忘れていつまでも見ていたくなる景色でしたが、背後に控えていたコレットに心配そうに声をかけられる。
「ブレイラ様、イスラ様、馬車にお戻りください。お体が冷えてしまいます」
「ああ、すみません。とても綺麗だったもので」
「お気持ちは分かりますが、出現と同時に馬車を飛びだすのはいかがなものかと思います」
「イ、イスラを追いかけなければと」
「そういったことは私どもにお任せください。ブレイラ様は魔王様の婚約者で、ゆくゆくは魔界の王妃になられるのですから不用意に出歩かれては困ります」
「……気を付けます」
コレットの小言に自覚が足りなかったと反省します。
でも今まで南国の海洋国家モルカナにいたのに一瞬にして銀世界に移動したのですから、誰だって気持ちが盛り上がるものでしょう。
円卓会議の傍聴と各国の王たちと挨拶を終えた後、私たち一行はフォルネピアに向かいます。移動は馬車ですが、大規模転移魔法を発動させるので所要時間はほぼ一瞬です。
こうした大規模魔法での移動は二回目ですが、本来は決して身近な移動方法ではありません。三界の王であるハウストは大規模魔法も一人で容易く行使してしまいますが、これを一人で発動できる魔力を持っているのは三界でも数えるほどしかいないのです。
今の移動も私の護衛として同行してくれている精鋭部隊から更に魔力が優れた者たちが選ばれ、複数の力によって発動された大規模転移魔法でした。
そして一瞬で南国の海から銀世界へと移動し、興奮したイスラが馬車を飛びだし、それを追いかけた私も別世界の光景に心奪われたのです。
フォルネピアの国境近くの街道に出現した私たちは、このまま馬車で街道を進んで王都シュラプネルへ向かいます。もちろん直接王都へ転移することも可能でしたが、この大所帯で突然王都に出現するのは礼儀に反するというものですから。
「ブレイラ様、王都はまだ先です。早く馬車にお戻りください。雪が降ると御髪が濡れてしまいます」
「分かりました。イスラ、戻りますよ?」
「わかった」
イスラと手を繋いで馬車に戻ります。
雪の地面を踏むたびにキュッキュッと音が鳴って面白いですね。
雪国のフォルネピアには美しさと面白さが一杯で、ここに到着してから私も少し気持ちが昂ぶっているようです。
ふと、視界の隅に気になるものが映りました。
地面の雪にたくさんの人間の足跡があったのです。それは行列のようで、フォルネピアの王都がある方向に伸びています。
ここは街道なので多くの人が行き交う場所ですが、それにしては不自然なほどの多さでした。
「何かあったのでしょうか……」
「足跡はまだ新しいようです。これほどたくさんの人が最北の国の王都に向かっているなんて」
側にきたエルマリスもたくさんの足跡に驚いています。
ただでさえ閉鎖的な国が多い北方なので、これほど多くの人間が移動することが珍しいことでした。
そしてその疑問は、足跡を辿るようにして王都シュラプネルへ向かうとすぐに判明したのです。
「これはいったい何ごとですか?!」
足跡を辿った先で見たものは、王都の前で立ち往生するたくさんの人々でした。
人々は王都をぐるりと囲む城壁の前で疲れたように座りこんでいたり、呆然と立ち尽くしていたりしています。
荷台を引いている人、大荷物を背負う人、幼い子どもの手を引いている人、なかには雪国を訪れるには相応しくない薄着の者もいました。どの人々も旅行や商売などといった雰囲気ではなく、着の身着のままのような沈鬱な表情をしています。
この光景に馬車を停めてもらうと精鋭部隊の兵士が報告に来ました。
「ブレイラ様、この者達はどうやら難民のようです」
「難民? ……まさか」
「はい、六ノ国からの難民です。なかにはアロカサル出身の者もいるようです」
「そうですか……」
言葉が出てきません。
冥界が衝突して国を失くした人々は難民になって他国へ渡っていると聞いていました。砂漠地帯の六ノ国から人間界最北のフォルネピアまで気が遠くなるような長い距離で、その苦難の道を歩き続けてここまで来たのかと思うと胸が痛い。
ふと、胸にぎゅっとしがみ付かれました。
「イスラ……」
「…………」
イスラが無言のまま抱きついてきます。懐に隠れるようにして私の胸に顔を押し付けました。
それはまるで怯えて逃げているような姿で、私は抱きしめて背中を撫でてあげます。
六ノ国が消滅した原因は冥界の出現でした。長い年月をかけて秘密裏に計画されていた冥界出現を回避させることは難しく、強大な災厄を誰かの責任にすることは出来ません。しかしイスラは幼いながらもその責任を感じてしまっているのです。そしてゴルゴスが自分の身代わりになったことも。
いつも無愛想であまり動じないイスラが、六ノ国やアロカサルという言葉に過敏に反応してしまっている。そんなイスラを可哀想だと思う気持ちが溢れてしまいます。
一番哀れなのは国を失くして難民になった六ノ国の人々です。私の目の前にはたくさんの難民がいて、その人々を助けたい気持ちはたしかにあります。それに嘘はありません。
でも、それでも私が最初に抱きしめるのはイスラです。ほんとうに罪深い。
私はイスラの耳をそっと塞いで、報告の続きを聞きました。
「六ノ国の難民はどうして城壁の外で立ち往生しているのですか? どうして城門は閉じたままなのです? 早く城壁の中に入らなければ凍えてしまうじゃないですか」
見れば城門は固く閉ざされていて猫の子一匹すらも入る隙間はありません。
頑強な城壁と鉄城門が聳える様は、凍てつくような冷たさで難民たちを拒絶しているようでした。
「使者の報告によると、難民を王都に入れないのは治安維持という理由のようです。ブレイラ様は難民に関わらずに入城してほしいとのことです」
「え、この城壁の外にいる方々を無視しろということですか?」
「難民の処遇についての意見は内政干渉になりかねません」
「だからって……」
そんなの納得できる筈がありません。
彼らを無視するなどあまりに非道。城門を潜ることはできません。
だって、ここは極寒の雪国です。一年のほとんどが雪に覆われる国で、このような処遇は命に関わります。
「関わらないでいるなんて承知いたしかねます。治安維持という理由も分かりますが、だからといって、こんな……」
私が一番守りたいのはイスラです。今、そのイスラは私の腕の中。だから安心して外に目を向けることができる。内政干渉といわれても難民の処遇をなんとか出来ないものかと思ってしまいます。ここで見捨てれば私は後悔をする。
「今すぐ難民の方々に食事と毛布を配ってください。暖を取れるように焚き火も増やして、救護専用の天幕の設置も急いでください。そしてフォルネピアの王には開門するように急ぎ交渉を。難民が門を潜るまで私も潜りません」
私の指示にコレットや精鋭部隊の兵士が顔を見合わせました。
二人は困ったような顔をしましたが、苦笑して納得してくれます。
「畏まりました。急ぎ準備させましょう」
「フォルネピアには交渉専門の使者を送ります」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
頭を下げると、「頭をあげてくださいっ」と二人が慌てだす。
コレットは呆れたように私を見ています。
「ブレイラ様の命令に従うのは当然のことですので、いちいち頭を下げられては困ります」
「そうでしたね、うっかり……」
作法の授業で習いました。
立派な王妃は威厳も大切だそうです。
こうして私の指示に皆が準備を急いでくれて、夜までに難民たちが集える場所が整いました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます