Ⅶ・王と執政と1


 夜明け前の暗い時間。

 ベッドにクッションを積み重ね、布団をかけて人型を作りました。

 朝になれば侍女たちが起こしにきます。私が自分から起床しなければ侍女が声を掛けてくることはありませんし、エルマリスも時間稼ぎしてくれるでしょう。いつまでも誤魔化せるわけではありませんが、しないよりマシなのです。

 ベッドの小細工を終えると、エルマリスに用意してもらった衛兵の甲冑を身に着けました。

 海賊船で身に着けた全身用の甲冑よりも軽装ですが、慣れないものなので重たいです。でも兜で顔を半分以上隠せるのは助かりますね。

 こうして甲冑で変装し、時計を確認する。

 時刻は深夜四時、小細工で誤魔化しても朝の九時までが限界です。いえ、もし予想よりハウストが早く戻ってきたら、それより早く見つかってしまう。


「ハウスト……」


 愛しい名前を口にし、震えそうになる指先を握りしめました。

 自分が何をしようとしているのか分かっています。

 明日が終わった時、ハウストは私を見限っているかもしれません。

 身勝手だと自覚しています。

 怖くて震えが止まりません。

 でも今、何もせずにいたら私は死にたくなるような後悔をする。


「どうか、私を嫌わないでくださいっ。どうかっ……」


 静かに目を閉じ、決意を固めてゆっくりと開く。

 私はエルマリスから渡された古い笛を握り締めました。これはクラーケンを呼び出す為の魔笛。

 王妃と執政官がクラーケンを復活させる時に使った魔笛で、この国の秘宝です。千年以上前から伝承とともに残されていた物らしく、執政官が保管していたものをエルマリスが持ってきてくれたのです。そう、私がエルマリスから教わったのはクラーケンの呼び出し方でした。

 私とエルマリスの計画は一つ、クラーケンを国の近海に出現させ、その混乱に乗じてエルマリスがアベルと海賊たちを救いだすというもの。しかしクラーケンを呼び出せても、アベル救出は成功率の低い大博打のようなものです。

 失敗すればアベルだけでなくエルマリスや私自身も無事で済むものではありません。

 成功したとしても、ハウストと私の関係は変わってしまうでしょう。私はそれだけのことをするのです。

 しかしもう後戻りはできません。夜明けまで後二時間。夜明け前に城を抜け出して海へ行かなければ。

 私は魔笛を落とさないように甲冑の内側に入れる。


『クラーケンが出現しても、この笛を肌身離さず持ち続けるように』


 魔笛を渡された時に厳重に言われました。

 私の身を守ってくれるそうです。魔笛なので何らかの力を持っているのは分かりますが、それはクラーケンを呼び出すだけのものではないということでしょうか。エルマリスもよく分かっていないようでした。

 でも今は躊躇している暇はありません。


「イスラ、アベル、待っていなさいっ」


 誰も見られていないのを確認して部屋を出ました。

 やはりエルマリスを味方につけたのは正解でした。見張りが手薄になる時間や場所の情報は正確で、意外なほど順調に城外へ出られそうです。

 甲冑を身に着けた私は長い回廊に差しかかりました。

 塔と塔を繋ぐ回廊はとても長く、隠れる場所すらない真っすぐな通路です。

 もしこの回廊で正体がばれたら逃げることは出来ません。エルマリスの情報でも回廊が一番要注意の場所でした。

 気合いを入れて一歩を踏み出し、足早に回廊を歩く。

 半分ほど歩いた所で、ふと正面から複数の足音がしました。

 ハッとして顔を上げると、魔界の将校や高官を引き連れたハウストが歩いて来ます。

 よりにもよってハウストが歩いてくるなんて、タイミングが悪すぎます。

 しかしここで引き返すわけにはいかず、内心焦りながら私は歩き続けました。

 近付くにつれて緊張感が高まっていく。心臓がバクバク鳴って破裂してしまいそうです。

 ハウストは将校や高官と何やら情報を交わしているようで忙しそうな様子で歩いてきます。

 このまま気付かないでくださいと願いながら、足早に擦れ違おうとしました。


「おいっ、お前!」

「ヒッ!」


 ビクリッと大きく肩が跳ねる。

 魔界の海軍将校に声を掛けられました。

 巨漢の海軍将校に睨むように見下ろされ、内心ビクビクしながら振り返ります。

 兜を被っているので正体は見破られないと思いますが、将校の隣にいるハウストの視線を感じて少しだけ俯きました。

 海軍将校は厳しい面差しで睨んできます。

 今にも怒鳴られそうな雰囲気に身構えました。


「貴様、」

「――――構うな。そんな暇はない」


 しかし、怒鳴りかけた将校をハウストが遮ります。

 そして興味なさげに私とすれ違い、将校や高官と忙しそうに立ち去っていきました。

 その姿が見えなくなり、ほっと息をつく。


「良かった。助かりました……」


 まさかハウストと擦れ違うとは思いませんでしたが、なんとか乗り切れました。

 ひとまず安堵し、改めて気合いを入れます。

 こんな所でぐずぐずしている暇はありません。夜が明けると見つかりやすくなってしまいます。早く城を出なければ。




 エルマリスから教えられた道順どおりに城の裏門から街へ出ました。

 城さえ出てしまえばもう大丈夫です。街の植木の陰に甲冑を隠すと、大通りを使わずに細い裏道を使って港へ向かいます。

 夜明け前に裏道を歩いている者なんてほとんどなく、誰とも擦れ違わずに港に着くことが出来ました。

 そして港に到着した頃、東の水平線から朝陽が昇る。夜明けです。

 朝陽が昇るにつれて海が明るく照らされ、波に反射してキラキラと輝きだしました。


「なんて見事な……」


 美しい光景に思わず立ち止まりました。

 しかし悠長に見惚れている時間なんてありません。

 港には貿易船が幾つも停泊していましたが、そこをぐるりと迂回して、港の端にある小さな堤防を目指しました。

 クラーケンを呼び出すといってもこんな陸地から呼ぶわけにはいきません。近海に呼び出し、騒ぎを大きくして処刑を妨害することが目的です。そして私は次こそイスラの手掛かりを掴みたい。


「あった、あれですね!」


 エルマリスから聞いていたとおり古びた堤防を見つけました。

 港には早朝から働いている人達を多く見かけましたが、古い堤防の周辺には人影がありません。堤防の先には小さな小舟が括りつけられていました。ここからなら誰にも見つからずに海へ出られる筈です。

 しかし堤防に差しかかった、その時。


「ブレイラ様、どちらに行くおつもりですか?」

「えっ……」


 背後から声が掛けられました。

 驚きながらも振り返り、大きく目を見開く。

 そこには城の衛兵を引き連れた男が立っていたのです。見るからに貴族の装いをしている男に嫌な予感が込み上げます。

 男は口元に愛想のいい笑みを浮かべながらも、目は爛々として私を見ていました。


「勝手なことをされては困ります。もし貴方の身に何かあったら私どもの立場はどうなるのです」

「あ、あなたはっ?」


 聞き返した私に男は慇懃無礼なほど恭しくお辞儀してきました。

 そしてゆっくりと顔をあげて名乗ります。


「ブレイラ様にはお初にお目にかかります。私、モルカナの執政官をしています、エルスタンと申します」

「執政官? それでは、あなたがエルマリスのお父様ですねっ……」

「知っていただいていたとは光栄です。さて、ブレイラ様」


 エルスタンがじろりと私を見ました。

 含みのある視線に後ずさりしてしまう。


「ブレイラ様はどこへ行くつもりでしたか?」

「あなたには関係ないでしょうっ」

「そういうわけには参りません。ブレイラ様に何かあれば魔王様がお怒りになります。それに、いくらブレイラ様といえど他人の物を勝手に持ち出すなんてどういうつもりですか」


 確信をついた物言いに嫌な予感が強くなりました。

 エルスタンの表情も口振りも余裕たっぷりです。


「な、なんのことです?」

「とぼけないで頂きたい。笛を返してもらわなければ困りますね」

「……意味が分かりません」

「おやおや、まだとぼけますか。――――連れて来い」


 エルスタンが指示すると、控えていた衛兵がエルマリスを前に突き出しました。


「エルマリス?!」


 衛兵に捕らわれた姿に驚愕しました。

 だって、腕を後ろ手に捻りあげられて人質のような扱いなのです。

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