Ⅶ・王と執政と2
「エルマリスを離しなさい!」
「そうはいきません。この者は私の部屋に侵入し、大切な宝を持ち出したのですから」
「くっ、ブレイラ様、申し訳ありませんっ。見張られていましたっ……」
悔しげにエルマリスが言うと、「黙れ!」と更に強く捻られました。
痛みに呻くエルマリスを見ていられません。
「やめなさい! エルマリスはあなたの子どもではないですか!」
「それがなんだというのです?」
エルスタンは嘲るような口調で言うと、鞘から剣をすらりと抜いてエルマリスの首元に突き付けます。
父親が子どもを人質にする光景に息を飲みました。
「あ、あなたは何を考えているのですっ!」
「父上っ……」呟いたエルマリスの顔も悲壮に満ちている。
しかしエルスタンはニタリと笑う。
「この者は宝を盗み出し、魔王様の寵姫様を騙した罪人です。それなりの処分をしなくてはなりません」
「何を馬鹿なことをっ! エルマリスは罪人ではありません! それはむしろあなたの方ではないですか?!」
「なんのことだか分かりませんな」
「とぼけるのもいい加減にしなさい! あなたが王妃と結託して何をしたか知っていますよ! これを使って何をしたか!」
そう言って懐に隠していた魔笛を突きつけました。
これがあれば王妃とエルスタンの悪事を暴くこともできるはずです。
「それは面白い。でもブレイラ様は私を甘く見ておいでのようだ」
「どういう意味です……?」
「こういう事ですよ」
そう言うとエルスタンはなんの躊躇いもなくエルマリスに突き付けていた剣をゆっくり引きました。
するとエルマリスの首元に赤い一線が走り、ぽたりと一滴の血が伝う。
驚愕と恐怖に全身から血の気が引きました。エルスタンは実の息子を剣で傷つけたのです。
「あ、あなたっ……、エルマリスはあなたの子どもでは……」
「だから、それがなんだというのです。この人質を見掛け倒しの張ったりだと思われては困りますなあ」
「なんてことを……」
「父上、あなたはっ」
動揺する私とエルマリスにエルスタンは歪んだ笑みを浮かべると、私に向かって手を差し出しました。
「さあ、その笛を持ってこちらへ来てください。ブレイラ様はおとなしく城にいてもらわなければ困るんですよ。これ以上エルマリスを傷付けたくないなら、さあ」
「ブレイラ様、駄目です! それを持って早く逃げてください!」
捕らわれたエルマリスが必死に声を上げました。
助けなどいらぬと、早く逃げろと私に言います。馬鹿ですね、そんなこと出来るわけないじゃないですか。運命を共にすると言ったのは私なのに。
「約束してください。これ以上エルマリスを傷付けないと」
「もちろんです。貴方が私に笛を返し、おとなしく城に戻ってくれるなら」
「ブレイラ様、駄目です!」
必死に止めようとするエルマリスに笑いかけました。
「おとなしくしていなさい、エルマリス。私を見くびらないでください」
「ブレイラ様……」
私はゆっくりした足取りでエルスタンへと近づいていく。
一歩一歩進むたびに緊張は高まり、勝利を確信したエルスタンの歪んだ笑みが深くなる。
「さあ、ブレイラ様」とエルスタンが私へ手を伸ばした、その時、――――ドンッ!!
「エルマリス!」
「はい!!」
私がエルスタンに体当たりしたのと、エルマリスが衛兵に頭突きしたのは同時でした。
拘束が緩んだ隙にエルマリスは脱出し、素早くエルスタンから剣を奪い、ついでとばかりに私の手を引いて助けてくれます。
「ブレイラ様、こちらへ! まったく、本当に無茶をするっ。魔王様もさぞかしお困りになっているでしょうね」
「可愛げがないですね。今は素直にありがとうと言うべき時ですよ。だいたいあなたが見張られていたんですから」
「ブレイラ様だって後を付けられていたのに、今まで気付かなかったじゃないですか」
「…………おあいこという事で、この件について追及し合うのはやめましょう」
「同感です」
エルマリスはそう言うと私を背後に庇って剣を構え、エルスタンと対峙しました。
悔しげに顔を歪める父親の姿にエルマリスは目を眇めます。
「父上、残念です……」
「ふんっ、なにが残念だ。私こそ貴様のような愚息に失望したぞ。構わん、エルマリスを捕らえてブレイラ様を救出しろ! エルマリスはブレイラ様を誑かした罪人として処罰する!!」
エルスタンの命令に衛兵たちがエルマリスに剣を抜きました。
あまりのことに言葉を失いました。子どもを罪人に仕立て上げるなんて信じられません。
しかしエルマリスは剣を構えたままエルスタンを見据えました。
「父上……。今より、貴方を父とは思いません!!」
そして向かってきた衛兵たちを一人、また一人と切り伏せていきます。
その動きは正確で無駄がなく、まるで手本のように洗練されていました。
「す、すごい! エルマリスって剣術もできたのですね。文官だとばかり思ってました」
「荒事は苦手ですが、幼い頃からアベル様と剣術を学んできました! なにより王に仕えるなら武芸も一流でなければ!」
剣と剣がぶつかり合うも、衛兵より非力なエルマリスは決して正面から受け止めず、斜めに受け流して戦っています。
どちらかというと細身で戦闘向きに見えないエルマリスですが、自分なりの戦い方を身に着けている姿に素直に感心しました。
「なるほど。大したものです」
すべてはアベルの為と、そういうわけですね。
こうして衛兵たちを昏倒させ、残りはエルスタン一人になりました。
「父上、ご覚悟ください。これ以上の過ちを見過ごすわけにはいきません。この大罪は、公の場にて裁かれるべきです!」
エルマリスが剣の切っ先を向けて覚悟を迫りました。
しかしエルスタンはニタリと笑う。そこには余裕すら漂っています。
「私を裁くだと? 生意気な口を。そもそもこの国の誰が私を裁けるというのだ。まさか牢獄にいるあの男ではないだろうな?」
「やはりアベル様だと知っていて処刑をっ!」
「何を怒っている? あれはただの海賊だ。海賊を裁いて何が悪い」
「アベル様はモルカナの正当な王位継承者です! モルカナの王はアベル様以外にいない!」
「おかしなことを言う。あの海賊が王だと、誰がそれを証明する? 誰が信じる? 失踪した時点でアベル王子は王位を放棄したも同然。アベル王子は死んだのだ。そしてあの海賊も、海賊行為と寵姫様を誘拐した罪状で処刑される」
「父上こそ、もうやめてください! 執政官でありながら国の乗っ取りこそ大罪です! この笛があれば父上の罪は立証できます!」
「立証だと? 笑わせる。フハハハハハッ! いったいどこでそんな事をするつもりだ? お前たちはここで死ぬというのに!!!!」
エルスタンが高笑う。耳障りな高笑いが響く中、――――ゴキッ! ゴキゴキッ!!
鈍い音が辺りに響く。それはエルスタンの骨が折れ、関節が曲がる音でした。
「ち、父上……?」
「そんなっ……」
目の前の現実に、私とエルマリスは驚愕に目を見開きました。
エルスタンの腕や足の筋肉が二倍、三倍に不自然に盛り上がり、体が怪物のように巨大化したのです。それは誰が見ても人間ではありません。異形の姿です。
「どういう事です! 人間がそんな姿になるなんてっ」
「人間? そんなものとっくに辞めたのだ!! 来いっ、私の本当の兵士たちよ!!」
エルスタンがそう言うと地面に魔法陣が出現しました。
魔法陣は地面に闇色の沼を出現させたかと思うと、沼の奥底から何かが這い上がってくる。
――――オオオオッ。オオオッ……。
地の底から響く恐ろしい唸り声。
「エ、エルマリス、これはいったい……」
「ブレイラ様、必ずお守りしますので離れないでください」
エルマリスが私の前に立ち、出現した闇色の沼を睨み据えます。
そして、地面に手を掛けて這い出してきたものに愕然としました。
それは豚と猪を掛け合わせたような顔、発達した筋肉と贅肉に覆われた重量級の体格。この異形ともいえる醜悪な外見は、明らかに人間でも魔族でも精霊族でもなかったのです。
「オークを見たのは初めてかな?」
「オーク……?」
聞いたことがないものでした。
エルマリスを見ても、彼も知らないようで首を横に振る。
動揺する私たちを異形の姿となったエルスタンが嘲笑います。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます